浅野文春裁判支援会事務局より、『創』問題その後の展開についてお知らせいたします。
月刊『創』9・10月合併号に掲載された津田正夫・立命館大学産業社会学部特任教授の投稿記事《『創』8月号山口レポートへの反論》が、浅野教授への新たな人権侵害となった問題をめぐり、10月16日に浅野教授と山口正紀さん(支援会事務局長)が東京都内で約1時間半、『創』編集長の篠田博之さんと面談、約1時間半話し合いました。篠田編集長は、冒頭、浅野教授に謝罪を表明し、話し合いの結果、「山口さんの要求を受け入れ、浅野さんへの謝罪と訂正を行う。また、山口さんに4000字で反論を書いてもらう」と約束しました。山口さんもこの回答を受け入れました。浅野教授・山口事務局長が求めた訂正謝罪記事の掲載について、篠田編集長が全面的に同意しました。
この会談での合意に基づき、『創』12月号(142〜144頁)に、山口さんが書いた津田記事への反論文《「反論」に名を借りた新たな人権侵害》が掲載されました。(全文を末尾に引用しています)
山口さんの反論記事の冒頭《編集部より》に、次のような経過説明を含む「お詫び」文が掲載されました。
《本誌8月号に掲載した山口正紀氏の記事に対して、津田正夫氏から反論掲載の要請がなされ、9・10月合併号に掲載した。それに対して浅野健一氏及び山口氏などから「津田氏の反論には週刊文春記事にもなかった虚偽・名誉毀損記述も含まれ、それを掲載したことは新たな人権侵害だ」との指摘・抗議があった。この問題について編集部に認識不足があったことを認め、浅野氏にお詫びしたい。また同号の「編集部より」で「基本的事実に限定して反論掲載を認めることにした」と書いたことについても、津田氏の文章を「事実」と認定したのかと批判された。「基本的な事柄に限定して」という意味だったのだが、不適切な表現だったことを認め、訂正する。山口氏の見解を今回掲載する》
また、12月号巻末(152頁)の《今月の編集室から》の最後に、《お詫び》として篠田編集長による次のような文書が載った。
《8月号の山口正紀さんの論考に対する反論として寄せられた津田正夫さんの一文を9・10月号に掲載したことについて浅野健一さんから「新たな人権侵害だ」との批判がありました。当方のこの問題への認識不足から、浅野さんに迷惑をかけてしまったことをお詫びします。浅野さんや人権と報道・連絡会とはもう20年以上も協力関係を続けてきただけに、今回の一件は反省すべきこと大でした。(篠田)》
これは「津田反論」が人権侵害記事であったということを『創』編集部としても明確に認めたものです。津田教授らの激しい圧力にもかかわらず、事実関係を直視して、真摯な反省を行った篠田編集長らの英断を評価したいと思います。
山口さんの反論記事は最初、次のように指摘しました。
《津田反論の「基本的事実」なるものは、浅野健一同志社大学教授の対文春訴訟で真実性・信用性を否定された文春・津田氏の「主張」にすぎない。編集部はこれを見逃し、法廷で否定された津田氏の一方的主張を「基本的事実」として扱った。津田反論は、大阪高裁判決で否定された文春の「E子セクハラ」記述を繰り返し、浅野教授の名誉を著しく傷つける新たな人権侵害を引き起こした》
さらに、津田氏が記事で言及した文春側提出の「新証拠」については、《「新証拠」とは、文春の「上告受理申立書」に添付された「資料2」(「(佐藤春吉)立命館大学産業社会学部長ら4人の連名による09年7月9日付「上申書」)のことらしい。だが、これも学部長・事務長らの名義で、津田氏の主張(「学部の相談員が学生の訴えを受け、学生から事情聴取した」)の繰り返しにすぎない。しかも、その聴取に基づく「対処」は何も行わず、「調査」を終了させたという。こんな「上申書」のどこが「新証拠」なのか》と津田記事の虚偽性を批判しました。
また、津田記事が自己の都合のいいように裁判陳述書等を引用して、浅野教授を非難したことについて、《「つまみ食い引用」による言いがかり》と指摘し、《津田氏は陳述書の文脈、他の箇所で明記されたことを無視する「つまみ食い引用」で、浅野教授の主張を意図的にねじ曲げ、読者に浅野教授を「言うことがコロコロ変わる人物」と印象づけようとした。「ジャーナリズムの基本中の基本の原則」を踏みにじる行為だ》と批判し、《被告・文春には記事の真実性、真実相当性を立証する義務が課せられた。文春はそれを立証できず、文春「セクハラ記述」はすべて真実性・真実相当性を否定された。それが事実経過だ。津田氏がいう〈単純な事実〉自体、裁判で完全に否定された》と展開しました。
山口反論は最後に、次のように「津田反論」を批判して締めくくられています。
《(裁判で)津田氏には「相当程度の信用性」が認められなかった。津田氏は「私は被害学生の相談を直接に受けている当事者である」と言う。だが、その話が「事実かどうか」には証拠・裏付けが必要なのだ。文春裁判では、その証拠・裏付け、本人取材もなしに記事にした「伝聞報道」が名誉毀損と認定されたのである。津田氏の「当事者」性は、浅野教授を「セクハラ教授」と断罪する記事に匿名で登場し、「A子」の伝聞情報を補強したことにある。文春記事は、「ロス疑惑」報道以来、人権侵害を繰り返してきた「伝聞による疑惑報道」の典型であり、かつ「ロス疑惑」報道を真っ先に批判した浅野教授への敵意に根ざしている。私はこう考え、浅野教授の裁判を支援してきた〈当事者〉だ。ただし、私の『創』記事は「伝聞」ではなく、裁判傍聴を重ね、判決で認定された事実に即したレポートである》
この山口反論が指摘した「事実」に対して、津田氏に反論の余地はないでしょう。
実は、『創』9・10月号には、渡辺武達教授も「山口レポートに対する反論文を掲載してほしい」と篠田さんに再三にわたり要請していたことが分かっています。
津田・渡辺両教授ら「渡辺グループ」は創出版に対し、どのような反応を示すかが注目されます。
新聞各紙の報道によると、津田教授を雇用している学校法人立命館(京都市中京区)は11月27日、立命館大大学院社会学研究科の男性教授(50歳代)を、セクハラ行為を繰り返したとして諭旨解職処分にしました。また、セクハラ行為をしたとして調査中だった別の60歳代の教授の依願退職を認めた、と発表しました。
[ 大学によると、諭旨解職となった教授は2006年から今年7月にかけ、女子院生に性的行為を含むセクハラ行為を繰り返し、指導上の優位な立場を利用して「親密な関係が崩れると指導できない」などと告げるアカデミック・ハラスメント行為も行った。教授は事実関係を大筋で認め、「申し訳ない」と話しているという。
依願退職した教授は、指導していた女子学生に対し、今秋までの約1年間にわたり、性的な話をしたり、私生活に介入するような言動で苦痛を与える嫌がらせを繰り返したという。懲戒手続きを進めていたところ、退職の申し出があり、10月31日付で退職を認めた。 ](京都新聞)
同大学の上田寛副学長は記者会見で「深くおわび申し上げる。責任を痛感する。年度中には、教員に対する倫理綱領や行動指針を作成し、周知徹底を図りたい」と述べました。
立命館大大学院社会学研究科は産業社会学部と密接な関係にあるのではないでしょうか。
津田教授は[立命館大学教授]の肩書きで『創』9・10月合併号に投稿した《『創』8月号山口レポートへの反論》で、浅野教授をセクハラ加害者と断定した上で、文春高裁判決を《週刊誌を懲らしめるという政治的結論を持ち》《セクハラ被害の実態や学生のおかれた弱い立場には考えを巡らせようとせずに(略)週刊誌懲らしめ≠フ 材料に使った》などと論じた文章を次のように結んでいます。
《ひとりひとりの学生にとって受難のトラウマは深刻なのだ》
《旧態依然とした性差別が残る社会の中で、就職の展望も開きにくい女子学生の大きな不安を、マスメディアはどこまで真剣に考えているだろうか。教授より数段弱い立場にいる学生や、学生の保護者、大学関係者、世の中の人が聞きたいのは、〈大学という場〉にセクハラ・アカハラがまかり通っているのかどうかである。正義のジャーナリズムや人権を主張していた人々が、事実を無視し、反権力を隠れ蓑に自分が引き起こしたセクハラ被害者の人権を傷つけているという情けない実態が、今回の問題の本質だと言えよう》
立命館大学の立命館大学ハラスメント防止委員会の調査が適正に行われたとすれば、この二人の教授は《女子学生に大きな不安》を与え、《セクハラ被害者の人権を傷つけている》
《(立命館大学という場〉にセクハラ・アカハラがまかり通っている》と推察されます。
セクハラ被害を受けた女性の立場に立って闘うと宣言している津田教授や渡辺グループ・文春などは、この二人の元教授の姓名を明らかにして、セクハラ被害者の学生のために闘わないと、二重基準と言われるでしょう。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
【『創』12月号に掲載された山口正紀さんの《「反論」に名を借りた新たな人権侵害》と題した津田記事への反論文の全文は下記のとおり】
[ 本誌9・10月号に津田正夫立命館大学教授の《『創』8月号山口レポートへの反論》が掲載された。《『週刊文春』浅野セクハラ報道≠ノ完全否定判決/「敵意の伝聞情報」鵜呑み報道に警告》と題した私の記事に津田氏が反論掲載を求め、編集部が「基本的事実に限定して反論掲載を認めることにした」という。
しかし、津田反論の「基本的事実」なるものは、浅野健一同志社大学教授の対文春訴訟で真実性・信用性を否定された文春・津田氏の「主張」にすぎない。編集部はこれを見逃し、法廷で否定された津田氏の一方的主張を「基本的事実」として扱った。津田反論は、大阪高裁判決で否定された文春の「E子セクハラ」記述を繰り返し、浅野教授の名誉を著しく傷つける新たな人権侵害を引き起こした。
●「物語」ではなく、裁判に即した「事実」
津田氏は、私の記事を「美しい陰謀粉砕物語=vなどと揶揄した。私の記事は、浅野教授が起こした名誉毀損訴訟の綿密な取材に基づく記事であり、「物語」などではない。
津田反論は、私の記事には《浅野教授が敗訴したアカハラ事件に触れていないのをはじめ、つじつまが合わない点、隠されている点が多々ある》と書いた。この「アカハラ事件」なるものは、文春記事が書いた「被害」5件のうちの1件だが、これについて私の記事は、《「A子とともにセクハラ問題の解決を求める院生Dが脅迫まがいの電話やメールを受けた」(Dの話)》として触れ、《二審判決も「D」に関する記述は名誉毀損と認定せず、浅野氏が強く求めた謝罪広告の必要性も認めなかった》と紹介。さらに、浅野氏が判決後の会見で、「D記述は名誉毀損が認められなかったが、もともとこれだけなら記事にならない付け足し部分であり、主要な争点ではない」などと述べたことにも触れた。これでも「アカハラ事件に触れていない」というのだろうか。
さらに津田氏は、《山口氏が「立命館大学でのセクハラ行為」があったのか否か、事実関係にふれないのはなぜだろうかという素朴な疑問を抱く》と述べた。いったい津田氏にとって「事実関係」とは何なのだろうか。
〈事実〉は、@文春が同志社大院生A子らの話として「立命館大学生E子が卑猥な誘いの電話をかけられた」などと書いたことAその記述の真実性・信用性が裁判で争われ、二審判決は、「E子」に関する一審認定を見直し、記事の真実性・信用性を否定したことである。
津田氏は、この事実にふれないまま、裁判で真実性も信用性も否定された文春「E子記述」を「事実」に格上げし、《「立命館大学事件」の事実経過》として書いた。記述の一部は文春記事にもない新たな人権侵害である。
●「Y子」はどこに消えたのか
津田反論の「事実経過」に登場する「Y子」について、「素朴な疑問」を提示したい。反論は、「E子」が「浅野教授からセクハラを受けた」と津田氏に相談したのが10か月も後だったことに関し、《自分の後輩Y子さんにまで浅野教授から同様の誘いが及んできて、黙っていられなくなった」と述べた》と書いた。
だが、津田氏は二審証人尋問で「Y子」について質問され、「Y子さんについて私はわかりません」などと述べていた。「E子」が相談するきっかけとなったという重要な存在について、名前も学部も知らなかったという。
津田氏は証人尋問で「E子問題が立命館大学のセクハラ委員会で審議されたかどうか」について、「私は知る立場にありませんし、聞いてはいけないことになっています」とも証言した。〈事実〉は、セクハラ委員会にかけられたことも審議されたこともなかったのだ。
一方、津田氏は審議もされなかったことを文春記者に「事実」として語った。そればかりか、「そういうことがありうるかということを、情報を集めないと分からないので」(二審証言)と、浅野教授本人には確かめもせず、「関西のマスコミ関係者、共同通信記者・OB、同志社関係者、たぶん何十人にも聞きました」(同)という。つまり「情報収集」と称した「浅野セクハラ情報」のまきちらしだ。
津田反論は《詳しい経過は、大学関係者全員の連名で、新証拠として最高裁に出されている》と書いた。「新証拠」とは、文春の「上告受理申立書」に添付された「資料2」(「立命館大学産業社会学部長ら4人の連名による09年7月9日付「上申書」)のことらしい。
だが、これも学部長・事務長らの名義で、津田氏の主張(「学部の相談員が学生の訴えを受け、学生から事情聴取した」)の繰り返しにすぎない。しかも、その聴取に基づく「対処」は何も行わず、「調査」を終了させたという。こんな「上申書」のどこが「新証拠」なのか。
これに関し、津田反論には「つじつまの合わない」ことがある。津田氏は、《E子さんは、浅野氏の別の誘いを受けている後輩Y子さんと共にO助教授と面談、また同月末、学生センターの担当K職員に同様の事実経過を述べた》と書いた。しかし、「上申書」には「後輩Y子」はまったく登場しない。「上申書」が「事情聴取した」と述べた「I」は、E子と同じゼミ生(津田陳述書では「X子」)だ。「後輩Y子」は、どこに消えたのか、《後輩Y子さんと共にO助教授と面談》は、事実なのか。
津田反論には「隠されている点」もある。二審判決が次のように認定した事実だ。
《一審被告らは、一審原告が、E子と同じ立命館大学学生X子(E子と同学年)及びY子(E子の後輩)に対してもセクハラを行った旨主張するが、X子、Y子の存在さえ明らかでなく、一審原告がX子、Y子に対してセクハラ行為を行ったという事実を認めることはできない》――文春も津田氏らも、「X子・Y子」の存在さえ立証できなかったのだ。
●「つまみぐい引用」による言いがかり
津田反論はまた、浅野教授の「E子」問題に関する主張について、《本人の裁判陳述書(08年9月2日)によれば、「E子さんと食事をした日の後、E子さんに電話をかけたことも、メールを送ったこともないし、抗議されたこともない」(P23)、「私とのやりとりは電話が数回で、メールも3回ぐらいだ」(P26)など、何度も変わる。本人が自覚している事実とはどれなのか?》と居丈高に書いた。
読者は「浅野教授はそんな矛盾したことを言っているのか」と思ったことだろう。だが、最初の引用部分で浅野教授が述べたのは、「食事をした日の後、電話もメールも送ったことがない」事実。二つ目の引用部分で述べたのは、「食事した日の前に、電話・メールで数回やりとりした」事実だ。それは津田氏が引用しなかった個所でも明確に述べられている。
津田氏は陳述書の文脈、他の箇所で明記されたことを無視する「つまみぐい引用」で、浅野教授の主張を意図的にねじ曲げ、読者に浅野教授を「言うことがコロコロ変わる人物」と印象づけようとした。「ジャーナリズムの基本中の基本の原則」を踏みにじる行為だ。
津田反論は文春裁判の意味も歪曲した。「裁判は名誉毀損を訴えたもので、セクハラがあったかどうか争っているのではない」との浅野教授の言葉を、《セクハラの〈事実〉より、報道の仕方(自分の名誉)が大事だというのである》とねじ曲げ、《結局、根本的でシンプルな疑問は「浅野教授は、立命館大学女子学生に対して、セクハラ行為をしたのか否か?」という〈単純な事実〉に尽きる》と述べた。
だが、この裁判は、「E子」が浅野教授を訴えたセクハラ訴訟ではない。浅野教授が文春記事を事実無根として訴えた裁判だ。被告・文春には記事の真実性、真実相当性を立証する義務が課せられた。文春はそれを立証できず、文春「セクハラ記述」はすべて真実性・真実相当性を否定された。それが事実経過だ。
津田氏がいう〈単純な事実〉自体、裁判で完全に否定された。立命館大学の「調査」も、「被害者の聞き取りが行われた」というだけだ。「被害者の聞き取り」だけで「セクハラ」を認定するとしたら、おそるべき欠席裁判だ。
●「伝聞情報」「当事者」とは何か
津田反論は、《山口氏は、私や教職員がE子さんから聞き取った記録が「伝聞情報」であると言う。私は被害学生の相談を直接に受けている当事者である。「伝聞」という言葉は、事件の当事者でもない山口氏にそのままお返ししよう》と書いた。私が問題にした「伝聞情報」とは、文春が「E子」本人に取材せず、「原告と敵対関係にあった」(二審判決)「A子」が「E子から聞いた」という伝聞を、「E子の指導教授も認めた」として記事にしたこと。私は「伝聞情報」についてこう書いた。
《判決は一審の「津田陳述書」などに添付された「E子が作成した」とされる文書について、「伝聞証拠であって、その内容の真偽を確認することも出来ない」と指摘。「被害者の直接の供述なく、伝聞によって被害事実を認定するには、その伝聞事実を述べる者について相当程度の信用性を必要とする」と述べた》
津田氏には「相当程度の信用性」が認められなかった。津田氏は「私は被害学生の相談を直接に受けている当事者である」と言う。だが、その話が「事実かどうか」には証拠・裏付けが必要なのだ。文春裁判では、その証拠・裏付け、本人取材もなしに記事にした「伝聞報道」が名誉毀損と認定されたのである。
津田氏の「当事者」性は、浅野教授を「セクハラ教授」と断罪する記事に匿名で登場し、「A子」の伝聞情報を補強したことにある。
文春記事は、「ロス疑惑」報道以来、人権侵害を繰り返してきた「伝聞による疑惑報道」の典型であり、かつ「ロス疑惑」報道を真っ先に批判した浅野教授への敵意に根ざしている。私はこう考え、浅野教授の裁判を支援してきた〈当事者〉だ。ただし、私の『創』記事は「伝聞」ではなく、裁判傍聴を重ね、判決で認定された事実に即したレポートである。
(「浅野教授の文春裁判を支援する会」HPには、より詳細・全面的な私の「津田反論批判」が掲載されている。ぜひ参照してほしい) ]