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判決が否定した「E子問題」で再び名誉毀損
事実をねじ曲げた『創』9・10月合併号「津田反論」
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2009年9月29日 |
浅野教授の文春裁判を支援する会・事務局長 山口正紀 |
月刊誌『創』9・10月号に、《『創』8月号山口レポートへの反論》と題する津田正夫・立命館大学教授の文章が掲載された。
冒頭の「編集部より」によると、同誌8月号に掲載された《『週刊文春』“浅野セクハラ報道”に完全否定判決/「敵意の伝聞情報」鵜呑み報道に警告》と題した私のレポートに対して、「一方的な主張であり、事実と異なり看過できない」と津田氏が同誌編集部に反論掲載を要請し、編集部が「基本的事実に限定して反論掲載を認めることにした」という。
しかし、津田氏が述べた「基本的事実」なるものは、文春裁判で争われ、控訴審で津田氏自身が証人として法廷証言して、その信用性を否定されたものであり、とうてい「基本的事実」とは言えない、いわば文春と津田氏の「独自の主張」にすぎないものだ。
編集部はこれを見逃し、法廷でも認められなかった津田氏の一方的主張を「基本的事実」であるかのように扱った。その判断そのものが重大な過誤である。『創』の「津田反論」掲載は、高裁判決で否定された週刊文春の「E子セクハラ」記述の内容を詳細に繰り返すことにより、浅野教授の名誉を著しく傷つける新たな人権侵害を引き起こした。
●「物語」ではなく、裁判経過に即した「事実」
津田氏は冒頭、私の『創』8月号レポートを「山口氏の物語」としたうえで「ドラマティックなストーリー」「美しい陰謀粉砕物語=vなどと揶揄した。私のレポートが、実際に掲載された『週刊文春』記事・及びそれに対して浅野教授が起こした名誉毀損訴訟の審理経過・結果の取材に基づく「記事」であり、私が創作した「物語」などでないことは、偏見を持たずに読まれた読者には間違うことのない「基本的事実」であろう。
津田氏はそのうえで、私の記事には《浅野教授が敗訴したアカハラ事件に触れていないのをはじめ、つじつまが合わない点、隠されている点が多々ある》と書いた。津田氏はどうしてこういうウソを平気で書くのだろうか。
津田氏のいう「アカハラ事件」とは、文春記事が書いた「被害」5件のうちの1件のことだが、これについて私は、同記事に《B「A子とともにセクハラ問題の解決を求める院生Dが脅迫まがいの電話やメールを受けた」(Dの話)》(117頁)として触れた。また、それに関する二審判決の判断について《二審判決も「D」に関する記述は名誉毀損と認定せず、浅野氏が強く求めた謝罪広告の必要性も認めなかった》と紹介した(118頁)。さらに、浅野氏が判決後の記者会見で、「D記述は名誉毀損が認められなかったが、もともとこれだけなら記事にならない付け足し部分であり、主要な争点ではない。これに関しては大学の委員会の中できちんと認定されればよいと思っている」と話したことにも触れた(120頁)。これでも「アカハラ事件に触れていない」というのだろうか。
さらに津田氏は、《山口氏が「立命館大学でのセクハラ行為」があったのか否か、事実関係にふれないのはなぜだろうかという素朴な疑問を抱く》と述べた。いったい津田氏にとって「事実関係」とは何なのだろうか。
〈事実〉は、私が『創』に書いたとおり、@週刊文春が、同志社大院生A子、立命館大学F教授の話として「立命館大学生E子が卑猥な誘いの電話をかけられた」などと書いたこと(117頁)Aその記述の真実性・信用性が裁判で争われ、《二審は、「E子」に関する一審の認定を全面的に見直した。判決は一審の「津田陳述書」などに添付された「E子が作成した」とされる文書について、「伝聞証拠であって、その内容の真偽を確認することも出来ない」と指摘。「被害者の直接の供述なく、伝聞によって被害事実を認定するには、その伝聞事実を述べる者について相当程度の信用性を必要とする」と述べた。そのうえで、津田氏について「渡辺教授に協力して、一審原告によるE子に対するセクハラを立証することに熱心であることが認められる」「これを直ちに採用するのは躊躇せざるを得ない」として、記事の真実性を否定した》(119頁)ことである。
この「事実関係」について私は記事にきちんと「ふれて」いる。ところが津田氏は、それにふれないまま、裁判で真実性・信用性が否定された週刊文春の「E子記述」を「事実」に格上げし、《「立命館大学事件」の事実経過》として詳細に書き連ねた。
「津田反論」の148ページ2段目中段から149ページ1段目にかけての「立命館大学事件」記述は、@文春が「浅野教授のセクハラ」と書きたて(津田氏は「F教授」として「A子」が文春記者に話した「E子が電話で受けたセクハラ」を補強)、A津田氏が一審に提出した陳述書で述べ、B同じく津田氏が二審で法廷証言したこと――の繰り返しであり、一部は文春記事にもなかった、新たな人権侵害記事というべきものだ。
これが「事実経過」などではなく、高裁判決で真実性・信用性を否定された「被告側主張」すなわち「文春と津田氏の主張」にすぎないことを、津田氏は知らないはずがない。
●「Y子」に関する「事実経過」は「知ろうと思わなかった」?
津田氏の記述は裁判で証拠に基づいて否定されており、あらためて反論する必要もないが、一点だけ、「事実経過」に登場する「Y子」について、「素朴な疑問」を提示しておく。
「E子」が「浅野教授からセクハラを受けた」と相談したのが、10か月も後だったことについて、「E子」は《「自分の責任もあり、津田先生の友人でもあり、電話番号やアドレスを変更することで、決着すると思っていた。しかし、自分の後輩Y子さんにまで浅野教授から同様の誘いが及んできて、黙っていられなくなった」と述べた》と津田氏は書いた。
また、津田氏は「反論」で、《(「E子」の相談を受けて)、産業社会学部セクシャル・ハラスメント相談委員のO助教授にとりつぎ、翌月E子さんは、浅野氏の別の誘いを受けている後輩Y子さんと共にO助教授と面談、また同月末、学生センターの担当K職員に同様の事実経過を述べた。詳しい経過は、大学関係者全員の連名で、新証拠として最高裁に出されている》とも書いた。
しかし、津田氏は二審の証人尋問(2008年12月2日)で、「Y子」について質問され、「Y子さんについて私はわかりません」「具体的な固有名詞は聞いておりません」と述べ、「Y子さんが産業社会学部の学生か他学部の学生かも心当たりはないのですね」との質問に「心当たりというか、私は知ろうと思っておりません」と答えていた。
「E子」が10か月も後になって相談するきっかけとなったという重要な存在であるはずの学生について、津田氏は、名前も学部も知らないし、知ろうとも思わなかったという。二審判決は、「Y子の存在さえ明らかでなく,一審原告がY子に対してセクハラ行為を行ったという事実を認めることはできない」と認定した。そのような「Y子」について、津田氏は「事実経過」として書きたてたのだ。
津田氏は、二審証人尋問で「E子さんのセクハラの問題について、立命館大学のセクハラ委員会で審議されたかどうかを知っていますか」との質問に、「セクハラ委員会での審議はしていないと思います」「学部で対応したと聞いています」と述べ、さらに「対応した結果はどうなりましたか」との質問に、「それはセクハラ委員の仕事であって私の仕事ではありません」「セクハラ委員会の内容については、私は知る立場にありませんし、聞いてはいけないことになっています」「E子さんからも聞いていません」とも証言していた。(04〜05年当時、立命館大学はセクハラ事案をセクハラ相談室と人権委員会で審理していた。07年からはハラスメント防止委員会が対応している。証人尋問で言われた「セクハラ委員会」は、正確にはセクハラ対応の委員会という意味)
指導する学生からの相談を学部の相談員に取り次いだ教員が、その結果を相談員からも当事者からも聞かなかった、などということがあるのだろうか。
「聞いてはいけないことになっている」と言うが、実際には大学のセクハラ委員会にかけられたことも、審議されたこともなかった。それが二審で明らかにされた〈事実〉だ。
津田氏は、その一方で実際には審議もされなかった「聞いてもいけないこと」を、文春記者に「事実」として語った。そればかりか、「事実かどうか分からないことについて、そう簡単に御本人に聞くのも失礼ですし、私なりに、私も長年取材を随分やっていましたが、そういう状況的なものがそういうことがありうるかということを、情報を集めないと分からないので」(二審証言)として、「E子情報」をばらまいた。
津田氏は「旧知の間であった」浅野教授本人に確かめることもせず、「関西のマスコミ関係者、共同通信記者・OB、同志社関係者、たぶん何十人にも聞きました」(二審証言)という。本人に直接聞いて確かめるのと、無関係なマスコミ関係者らに「そういうことがありうるか」と聞く形で「教え子からのセクハラ情報」をまきちらすのと、いったいどちらが「失礼なこと」か、津田氏にはわからないのだろうか。
●問われる立命館大学産業社会学部長の責任
津田氏は《詳しい経過は、大学関係者全員の連名で、新証拠として最高裁に出されている》と書いた。この「新証拠」とは、被告・文春代理人が提出した「上告受理申立書」に添付された「資料2」、すなわち「立命館大学産業社会学部長(現ならびに当時)佐藤春吉」名義、同学部事務長(現)長谷川哲氏ら4人の連名による2009年7月9日付の最高裁宛「上申書」のことのようだ。
ここに書かれた「調査した事実」とは概略、@「E子」の申告を受けて産業社会学部セクシャル・ハラスメント相談委員の岡田まり助教授が「E子」から事情聴取したA学部長、学部事務長はその聴取内容について報告を受け、対応策について判断に加わったBその過程で、「E子」の友人の「I」からも同様の電話があったとの訴えがあり、「I」からも事情聴取した――というものだ。
では、その結果、どのような「本案件への対処」が行われたのか。「上申書」は概略、@当該学生が自ら毅然とした態度を取り、問題の継続・拡大が防止されたA訴えられている教員が本学教員ではなく、直接の調査は出来ないB当該教員には所属大学で同様の訴えがなされているC問題の解明や対処は所属大学の調査と判断にゆだねることが至当であり、本件の調査を終了させた――と述べている。
結局これも、立命館大学産業社会学部長・事務長らの名前で、津田氏の主張(「学部の相談員が、学生の訴えを受けて本人から事情聴取した」)の繰り返しにすぎない。しかも、その「調査」に基づく「対処」は、同志社大学に任せて調査を終了させたという。
この「上申書」のどこが「新証拠」なのか。ただ、立命館大学の産業社会部長佐藤春吉氏が、こうした文書を署名入りで提出したことには、重大な疑義を呈しておきたい。
ある大学の学生が「立命館大学の教員からセクハラを受けた」と指導教授に相談し、その学生から事情聴取した大学が、「相手の教員」に通知することも事情聴取することもなく調査を終了した、としよう。そのことをもって、指導教授が「立命館大学の教員が教え子にセクハラ行為をした」と断定してメディア関係者をはじめ「数十人」に「情報提供」し、それが80万部の部数を持つ週刊誌に掲載されたとしたら、佐藤氏はどう考えるか。もし、その「教員」が、佐藤氏の同僚やご自身だったとして、何も思わないのだろうか。
これに関してもう一点、津田氏の「反論」の矛盾を指摘する。津田氏は、《E子さんは、浅野氏の別の誘いを受けている後輩Y子さんと共にO助教授と面談、また同月末、学生センターの担当K職員に同様の事実経過を述べた》と書いた。
しかし、「上申書」には、「後輩Y子」は登場しない。「上申書」が「事情聴取した」と述べたのは、「I」さんだけ。彼女は、「E子の後輩」ではなく、同じゼミの学生(津田氏の一審陳述書や二審証人尋問では「X子」と表記)であり、「Y子」ではあり得ない。
「E子」が10か月もたってから津田氏に相談するきっかけになったという「後輩Y子」は、いったいどこに消えてしまったのだろうか。《後輩Y子さんと共にO助教授と面談》と書いた津田氏の文章は、「事実」なのか。事実ならなぜ「上申書」に書かれなかったのか。
津田氏は私のレポートを《つじつまが合わない点、隠されている点が多々ある》と批判したが、この「Y子」と「I」さんをめぐる問題こそ、「つじつまが合わない」見本だろう。
津田反論には「隠されている点」もある。二審判決は、この「Y子」及び「I=X子」について、次のように述べていた。
《一審被告らは,一審原告が,E子と同じ立命館大学学生X子(E子と同学年)及びY子(E子の後輩)に対してもセクハラを行った旨主張するが,X子,Y子の存在さえ明らかでなく,一審原告がX子,Y子に対してセクハラ行為を行ったという事実を認めることはできない》――被告・文春も、被告擁護した津田氏らも、裁判で「X子・Y子」の存在さえ立証できなかったのだ。
●「つまみぐい引用」による言いがかり
津田氏は《詳しい経過は、大学関係者全員の連名で、新証拠として……》のくだりに続けて、《これに対し、浅野氏自身はどう認識しているのか? 本人の裁判陳述書(08年9月2日)によれば、「E子さんと食事をした日の後、E子さんに電話をかけたことも、メールを送ったこともないし、抗議されたこともない」(P
23)、「私とのやりとりは電話が数回で、メールも3回ぐらいだ」(P 26)など、何度も変わる。本人が自覚している事実とはどれなのか?》と、まるで鬼の首でも取ったかのように居丈高に書いた。
読者は「浅野さんはそんな矛盾したことを言っているのか」と思ったかもしれない。だが、この記述は、《ジャーナリズムの基本中の基本の原則は、小さな事実を確認すること、事実に沿って深く考えること》(津田反論)の反面教師だ。津田氏は、浅野教授の陳述書を、意図的にかどうかはわからないが、「事実を確認」せず、誤って引用・理解している。
最初の引用は、2007年4月18日、同志社大学で開かれた同大特別招聘教授のゲスト講義の後、浅野教授が津田氏と顔を合わせたときのやりとりの一部。正確に引用する。
【A】《私はE子さんと食事をした日に電話で話したが、その後、E子さんに電話をかけたことも、メールを送ったこともないし、抗議されたこともない、と伝えると、「そうですか」ときょとんとしていた。「とにかくまず、謝るべきだ」というので、「本人から何の問い合わせも、抗議もないのに、何をどう謝れというのか。いきなり文春で見た」と反論すると、黙った》
二つ目の引用は、一審に提出された津田氏の陳述書に浅野教授が反論した部分。
【B】《(F)《E子さんらは、それぞれ浅野教授に抗議するとともに、電話番号、メールアドレスを変更して、とりあえず被害が継続しないようにする》とあるが、私は電話をしたのは数回で、メールも3回ぐらいだ。《これ以上続けたら訴えるとメールを送る。すると「すみません、反省しています。でも反省だけなら・・・」などとからかうようなメールが来る。》私はそういうメールを送ったことはないが、そういうメールがあるなら、なぜ保存していないのか。私はE子さんへ「反省」のメールを送ったことはない。もちろん架空のY子さんと電話、メールをしたことがない。立命館大学の何人もの学生がメール、電話でセクハラ被害に遭ったというのに、そのメールや電話の記録をなぜ誰も保存していないのだろうか。》
次に、津田氏が引用しなかった重要な部分(浅野陳述書28〜29頁)。
【C】《私の手帳、取材ノートなどによると、私がE子さんに会ったのは03年10月16日(木)午後9時頃だと思う。同日午後7時から専任教員採用の人事案件を議題にした臨時の専攻会議があった。当時の3回生ゼミの学生が同日夜、木屋町でコンパを開いていて、専攻会議が終わってから学生たちに合流した。その日午後3時からのゼミで、「人間の盾」でイラクへ入った立命館大学の学生(Tさん)をゼミに招いて報告してもらっていたのだが、夜に、また立命館大学の人たちと出会った。E子さんと会った経緯は津田教授らの主張とそう変わらない。ただ、津田教授を私が見つけて、私の方から挨拶したというのが真実だ。私はE子さんらから名刺をもらった記憶はない。大学2年生と「名刺交換」することは滅多にない。E子さんはX子さん(註 前記「上申書」の「I」)と共に私のいたテーブルに来て、話をした。付箋のような色紙(E子さんはピンク、X子さんはグリーン)に、姓名、携帯電話番号、メールアドレスを書いた。
E子さんとX子さんからメールが来た。電話で話したこともある。電話も向こうからかかってきたことが多い。私からメールをしたのではなく、E子さんやX子さんからメールが来たので、返事をして、それにまた返信するというという経緯だった。(中略)二人は懇談したいというので、日程を調整した。私と森氏(註 浅野教授の指導を受ける院生)、E子さん、X子さんを交えて4人で、03年11月5日(水)午後8時から「陣」で夕食を共にした。(中略)E子さんから同日夜、食事のお礼を伝える電話がかかってきて、再び、彼女がチャーミングかどうか、テレビ局に入るにはどうしたらいいか、中高年の男性にうけるために何を売りにすべきかなどという話がほとんどで、私の対応が不親切と受け取ったのかもしれない。私はそういう設問は嫌いなので、適当に、テレビ向きではないですか、などと言った記憶はある。会食のあと、E子さんと電話で話したのはこの1回だけである。10月16日から11月5日までの間で、電話が2、3回でメールも同じくらいの回数だと思う。私はE子さんにそれ以降、メールも電話もしていない。発信、着信記録を調べてもらったら分かるはずだ》
浅野ゼミと津田ゼミの学生がコンパで合流したのが10月16日。浅野教授と森氏、「E子」「X子=I」が4人で会食したのが11月5日。その間は、メール・電話のやりとりがあった。しかし、会食後は当夜に「E子」から電話があっただけで、その後はいっさいメール・電話のやりとりはない――浅野陳述書が述べているのは、こういうことだ。
引用Aは、「会食した後、電話・メールを送ったことがない」と述べている。引用Bに「電話で数回、メールも3回ぐらいのやりとりがあった」とあるのは、「会食前」のこと。これは、引用Bの前後の文脈、引用Cを読めば、誤解の余地なく理解できるはずだ。
津田氏は、浅野教授の認識が《何度も変わる。本人が自覚している事実とはどれなのか?》と書いたが、認識は一貫している。一度も変わっていない。津田氏はほんとうに浅野陳述書を全文読んだのだろうか。読んだうえで、こんな「理解」しかできなかったとしたら、津田氏の文章理解力は「大学教授」として、相当問題がある。
たぶん、そうではないだろう。津田氏は陳述書の前後の文脈、他の箇所で明記されたことを無視する「つまみぐい引用」で、浅野教授の主張を意図的にねじ曲げ、読者に浅野教授を「言うことがコロコロ変わる人物」と印象づけようとしたのだろう。しかし、それは、いうまでもなく「ジャーナリズムの基本中の基本の原則」を踏みにじる行為だ。
●「セクハラを問う裁判」ではなく「報道の人権侵害を問う訴訟」
「反論」の後半では、津田氏は文春報道、それを名誉毀損として提訴した文春裁判の意味を、「セクハラがあったかどうか」に捻じ曲げ、同じことを繰り返し述べている。
津田氏は、《〈事実〉の認識に関する浅野氏の象徴的な台詞がある》として、「裁判は名誉棄損を訴えたもので、セクハラがあったかどうか争っているのではない」(人報連ニュース)との言葉を取り上げ、これを《つまりセクハラの〈事実〉より、報道の仕方(自分の名誉)が大事だというのである。ずいぶん都合のいい本末転倒の理屈ではないだろうか》と超拡大解釈したうえで《セクハラを受けた上、でっちあげ≠ニ言われる弱者の側の学生の名誉はどうなるのだろうか?》と書いて、反論した気になっているようだ。
また、《結局、根本的でシンプルな疑問は「浅野教授は、立命館大学女子学生に対して、セクハラ行為をしたのか否か?」という〈単純な事実〉に尽きる》とも述べている。
メディア研究者である津田氏が、メディアによる人権侵害を訴えた名誉毀損訴訟について、こんな程度の認識しか持っていないというのは、あまりにもお粗末だ。
浅野教授は《セクハラの〈事実〉より、報道の仕方(自分の名誉)が大事だ》などとどこにも一言も言っていない。セクハラの〈事実〉がないのに、それを巨大週刊誌で書きたてられ、著しく毀損された〈名誉〉を回復しようと裁判を起こした、と言っているのだ。
この裁判は、「E子」が「浅野教授のセクハラ」を訴えた裁判ではない。週刊文春が、浅野教授を「セクハラ教授」に仕立てた。それを事実無根として損害賠償を求めた裁判だ。被告・文春には、記事内容が真実であるか、または真実と信じるに足る相当の理由があったことを立証する義務が課せられた。だが、文春はそれを立証できなかった。そうして、「E子」ケースも含め、文春記事が書きたてた「セクハラ記述」は、二審判決でいずれも真実性・真実相当性を否定された。それが、この裁判の事実経過だ。
津田氏がいう《「浅野教授は、立命館大学女子学生に対して、セクハラ行為をしたのか否か?」という〈単純な事実〉》自体、裁判で「セクハラ行為をしたとの証拠がない」として否定された。それ以前、立命館大学の「調査」でも、「被害者の聞き取り」が行われたというだけで、何ら「セクハラ行為」が確認されたわけではない。もし「被害者の聞き取り」だけで「セクハラが確認された」と断定するなら、それはおそるべき欠席裁判だろう。
津田氏は、もし自分が知らない間に、通知も聞き取り調査もなく、どこかの大学で一方的に「セクハラ加害者」と断定され、しかもそれを大部数の週刊誌記事や、その広告を掲載した全国紙で初めて知らされたとしたら、どうするのか。それに反論もせず、《教授より数段弱い立場にいる学生》の訴えとして、黙って甘んじるというのだろうか。
津田氏は、同じ論理で大阪高裁にも難くせをつけている。
《大阪高裁での和解協議も噴飯ものだ。松本裁判長は浅野氏に対して、「E子さんの部分は記事の つけたし≠ナ、主要部分ではないので真実かどうかあいまいにしてもいいと思う」「E子部分については事実関係はあいまいなままとすることで、真実かどうか分からないが(文春が)報道に踏み切ったことについて何らかの謝罪を表明する」ことで和解してはどうか、と提案したという(『支援する会ニュース』2009年7月6日)》とし、そこから《つまり裁判長は初めから週刊誌を懲らしめるという政治的結論を持ち、立命館事件を曖昧なままにする判決によって文春を処罰した、というところだろう。セクハラ被害の実態や学生のおかれた弱い立場には考えを巡らせようとせずに、一番大切な事実は故意にぼかしたまま、週刊誌懲らしめ≠フ 材料に使ったといわざるをえない》と結論する。
この部分の引用も恣意的だ(津田氏は『支援する会ニュース』と書いたが、これは支援会ホームページに掲載されている『支援会ニュース』のこと。「小さな事実」だが、確認して書いてほしい)。原文はホームページを見ていただければわかるが、《裁判長は初めから週刊誌を懲らしめるという政治的結論を持》っていたわけではない。二審で、津田氏の証人尋問をはじめとする審理を経て「E子ケース」の真実性・真実相当性が立証されていないと判断した。そのうえで、被告・文春側が受け入れ可能な「和解案」を提示したいと考え、原告側に打診したのだ。そのことは、津田氏が引用しなかったり、「つまみぐい」したりしたHPの次の箇所を読めばわかる。
《松本裁判長―「記事がすべて虚偽だった」ということは、被告側は呑めないと思われる。控訴審で争った(E子部分とDさんの)事実関係については、真実かどうかはあいまいにして、文春が報道に踏み切ったことに問題があったという内容の文章で和解できませんでしょうか。
若松弁護士―灰色のまま和解ということですか。
松本裁判長―E子さんの部分は記事のつけたし部分だと考えます。主要な部分は一審で虚偽と認定されています。灰色というより、そこの重要でない部分はあいまいのまま置いて、和解できないかということです》
《松本裁判長―一審判決(の原告勝訴部分)をそのまま維持して、その上で浅野さんが真実と違うと問題にして、控訴審でも証人を呼ぶなどして審理してきた部分について、真実かどうかは曖昧にして、双方が何とか納得できる和解文を提示したい。そのように、向こうに提案したのですが、文春側は「一部であっても記事が真実ではないということは絶対に認められない」と固いです》
《松本裁判長―賠償金を払うということで原告と和解することも、記事が誤りだったと、負けを認めるということになるので、文春としては和解は難しいそうです。裁判所からの判決が出てしまえば、文春側は「不当判決だ」と言えるが、和解文の中で記事が虚偽であったと認めるのは「報道の生命線」なので絶対に受けられない、譲れないとのことです》
和解協議は被告・文春が拒否して終わった。判決は「E子部分」の真実性・真実相当性を明確に否定した。津田氏のいう「立命館事件を曖昧なままにする判決」ではないし、「一番大切な事実は故意にぼかし」てもいない。裁判長は、「政治的結論」「週刊誌懲らしめ」どころか、ずいぶんと文春のメディアとしての立場を配慮して和解案を出していたのだ。
●「伝聞情報」「当事者」とは何か
津田氏は、《山口氏は、私や教職員がE子さんから聞き取った記録が「伝聞情報」であると言う。私は被害学生の相談を直接に受けている当事者である。「伝聞」という言葉は、事件の当事者でもない山口氏にそのままお返ししよう》と書いた。
私が問題にした「伝聞情報」とは、文春が「E子」本人に取材せず、「原告と敵対関係にあったグループ」(二審判決)の一員である「A子」が「E子から聞いた話」を「事実」としてそのまま記事にしたことだ。その裏付けなるものが津田教授の話。文春は「A子の話」を《E子さんが所属したゼミの立命館大学F教授は、小誌の取材に対し、彼女から相談を受けたことと、その内容が右の通りであった事実を認めている》として掲載した。
繰り返しになるが、私は『創』記事で、「伝聞情報」について次のように指摘した。
《二審は、「E子」に関する一審の認定を全面的に見直した。判決は一審の「津田陳述書」などに添付された「E子が作成した」とされる文書について、「伝聞証拠であって、その内容の真偽を確認することも出来ない」と指摘。「被害者の直接の供述なく、伝聞によって被害事実を認定するには、その伝聞事実を述べる者について相当程度の信用性を必要とする」と述べた。そのうえで、津田氏について「渡辺教授に協力して、一審原告によるE子に対するセクハラを立証することに熱心であることが認められる」「これを直ちに採用するのは躊躇せざるを得ない」として、記事の真実性を否定した》(119頁)。
津田氏は「私は被害学生の相談を直接に受けている当事者である」と言う。痴漢冤罪事件で法廷証言する刑事だって「被害者から直接聞いた」と同じことを言う。それが「事実かどうか」には、相当の証拠・裏付けが必要なのだ。文春裁判ではその「裏付け」がないまま、本人取材もなしに記事にした文春の取材・報道が名誉毀損と認定されたのである。
津田氏が「当事者」であるのは、別の意味においてだ。浅野教授を実名で〈セクハラ教授〉と断罪した文春記事に匿名で登場し、「A子」の伝聞情報を補強したこと。それだけではない。二審判決が「渡辺教授の敵意」の背景として言及した2005年7月の『週刊新潮』《同志社大「創価学会シンパ」教授の教材はAVビデオ》記事に関しても、記事掲載の直前、同誌の担当記者に電話・メールで、この記事の取材に関して「アドバイス」していた。以下は、そのやりとりに関する二審での津田教授自身の証言。
「取材というのは、多角的にいろいろな立場の人から聞いて書くのが鉄則だよと、説教のようなことですが、申し上げました」「一般論ではなく同志社の中について、いろいろな問題があるよと。一つの立場から見るのではなくて、様々な角度からいろいろな人に聞いて書いたほうがよいと。余計なおせっかいかもしれませんが」
まさに「余計なおせっかい」だが、津田教授と渡辺教授の関係を物語る証言だろう。
津田氏は「事件の当事者でもない山口氏」と書いた。しかし、津田氏が「E子の被害」を直接聞いた「当事者」というのなら、私も浅野教授の報道被害を直接聞いた当事者だ。
そのうえで、私はこの文春記事が、「ロス疑惑」報道(渡辺教授や津田教授も、著書で批判してきた)以来、さまざまな人権侵害を繰り返してきた文春「疑惑報道」の典型であり、かつ「ロス疑惑」報道を真っ先に批判した浅野教授への「敵意」に根ざしていると考えた。そうして、支援会事務局長として浅野教授の裁判を支援し、京都・大阪での裁判傍聴を重ねた。『創』記事は、その傍聴取材や裁判資料の検討を基にし、裁判で証拠に基づいて認定された事実に基づくレポートであり、津田氏に「伝聞」などといわれる筋合いはない。
津田氏は私への「反論」を次のようにしめくくった。
《正義のジャーナリズムや人権を主張していた人々が、事実を無視し、反権力を隠れ蓑に自分が引き起こしたセクハラ被害者の人権を傷つけているという情けない実態が、今回の問題の本質だと言えよう》
私は、津田氏の言葉を、ごく一部の字句を変え、そのまま津田氏に返す。
――正義のジャーナリズムや人権を主張していた人々が、事実を無視し、「被害者」を隠れ蓑に自分が引き起こした〈報道被害者〉の人権を傷つけているという情けない実態が、今回の問題の本質だと言えよう。
2009年9月24日記
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