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支援会ニュース SUBJECT 掲載日
支援会呼びかけ人・山田悦子さんからのコメント 2007年1月29日

 当支援会の呼びかけ人である山田悦子さんから、支援会・そして浅野健一教授に、「文春裁判」ついてメッセージが寄せられました。山田さんの了承を得て、公開いたします。

 山田さんは甲山事件の冤罪被害者であり、警察・検察の不当な捜査の問題点を指摘する一方で、なぜ日本では人権が蹂躙されるのかを、1895年からのアジア太平洋諸国に対する侵略について、国民も政府も責任をとっていないこととの関係で考え続けている人です。また、マスメディアを学校教育と並ぶ「民間の教育機関」と位置づけ、ジャーナリズムの改革についても提言を続けています。

 以下、山田さんからのメッセージです。


●山田悦子さんのコメント―「浅野支援会通信 vol.2」を読んで(2006年10月16日)


 支援会通信1・2号を読んで、渡辺・中谷・三井各氏が中心となって、今回の浅野さんに対して流言蜚語を飛ばし攻撃するという事件を起こしたということがはっきり分かった。 名誉毀損のでたらめな記事が出た原因をあぶりだすためにも、彼、彼女ら3人を京都地裁の法廷に証人として呼んで、真実を公の場で明らかにし、最終的には法の判断に委ねなければならない。刑事事件ではないが、悪いことをした人には、罪を償ってもらわなければならない。妥協してはならない。

 私もかつて甲山事件で、清水一行氏を名誉毀損で民事訴訟を行った経験がある。裁判は私の尊厳を守る闘いでもあった。

 渡辺教授はもちろん、三井氏・中谷氏もきちんと法の判断を受けなければならない。中谷氏もそれだけのことをしている。メディア研究者が、本来してはいけないことをしてしまったのだから、その罪を償わせるためにも、法廷に立たせるべきだろう。

 こういう大学教授や講師がいて、浅野さんを不当な手段で傷つけたということをきちんと記録として、後世に残さなければならない。人を傷つけるというのはどれほど罪深いことかを、身に沁みて、知ってもらわなければならない。そうでなければ3人は、また同じことを繰り返すであろう。浅野さんにも、そして他の人たちにもするに違いない。

 渡辺教授の行為は、支援会ニュースで使われている「ダブルスタンダード」などというきれいな言葉で表現してはならない。言葉で言い表せない、人として最低の行為だ。

 これからの方針としては、原告(浅野教授側)から、積極的に彼らを証人として呼ぶべきだと思う。彼らが法廷に立たざるを得ない状況をこちらからつくらなければならない。

 もし、彼らを証人として呼ばずに結審したら、たとえ文春裁判に勝訴はしても、判決文がうやむやになってしまう。裁判官たちが、3人の証言を証拠とした上で、名誉毀損を認定すべではないか。

 3人の“犯罪”を法の場で断罪し、公に明らかにすることが重要になる。法廷の場で証言するということの重みを彼らにきちんと分からせなければならない。

 裁判官が和解を提示しても、妥協しないでほしい。浅野さんはこれだけ屈辱的なことをされたのだから、許してはいけない。浅野さんが妥協するということは、私たち市民が妥協してしまうということと同じだ。とりわけ「人権と報道」の問題をやってきた人々にとっては、浅野さんを貶めたこの記事と3人の犯罪性を完全に暴いてこそ、真の勝利だ。

 3人のことをうやむやにすると、浅野さんの潔白と、社会は見ないだろう。
 文春を謝罪させ、3人を断罪するまで、闘ってほしい。浅野さんのこの裁判は、人間の尊厳とは何かを普遍化できる問題なのだから、今回の裁判の審理と判決文を通して社会的戒めとしなければならない。


●山田さんから浅野教授への手紙―2006年10月17日付

 前略。 浅野支援会通信を読んで、電話でお伝えしたように怒りが、湧いてきました。       それと、同時にイェ―リングの「権利のための闘争」が、脳裏を横切りました。彼は、次のように言っています。

 「私はどんな争いにおいても権利のための闘争を行なえと要請しているわけではく、権利に対する攻撃が人格蔑視を含む場合にのみ闘争に立ち上がることを求めているのである。」

 そして、「汝の権利を踏みにじった他人をして、処罰を免れて恬然たらしむことなかれ」とのカントの格言を引用して、真の闘争をすることは、権利=法であることを言っています。

 浅野さんは、甲山で報道被害にさらされ続けていた私に、匿名報道という思想を提示してくれました。私はお陰で、マスコミのカメラに自分をさらさないことが、匿名報道の実践につながることに気付き、マスコミ会見を拒否することが出来ました。

 人間が行動をとるためには、確たる思想的根拠が必要です。日本の甲山の報道と対峙する根拠を私に与えてくれたのが、浅野さんでした。

 高校の教科書にも載っている日本人お馴染みの、日本の各種法典を起草し、また、日本の法学教育に尽力したフランスの法学者ボアソナードは、「各人に彼のものを帰すべし、何人も害するなかれ。これら二つこそが、それが遵守されなければ、社会が貪欲と略奪と暴力のえじきになり間違いなくほろびる、そういう準則である。」と、言っています。

 浅野さんに降りかかった今回の禍は、覇権を求め理屈をこねあげ他国に押し入る侵略国家の、覇権精神と同じものです。同志社大学でのマスコミ学の覇権を手中にせんとする、渡辺教授の権力意識が引き起こしたものです。浅野さんが報道被害にあったことで、浅野さんは、教授から学生を盗られました。講演する機会もまた盗られました。名誉を傷付けられるということは、生理的なものとなって跳ね返ってきます。

 それまで浅野さんの人生を賭して営々と構築してきたのに破壊の手が入ったということは、浅野さんの全人生、全人格の否定につながることを意味しています。


 《山田悦子(やまだ えつこ)さんプロフィール》

 富山県出身。72年徳島文理短期大学卒業。72年4月甲山学園保母。無罪確定後も、各地の弁護士会に招かれ、司法についての講演を行う一方、日本の警察・司法のあり方から、「無答責性」についても疑問をもち、日韓の研究者、ジャーナリストに呼びかけ、答責会議設立に尽力。1991年からシンポジウムを重ねる。
 寿岳章子・祖父江孝男編『無答責と答責』(お茶ノ水書房、1995年)に日本の朝鮮半島などへの戦争責任問題を論じた「無答責から答責への道」を発表。

 
《甲山事件とは》

 兵庫県の知的障害児入所施設で二人の子どもが連続して行方不明になり、その後施設内の浄化槽から溺死体で発見された事件。殺人事件という想定で捜査が開始され、当時の保母が逮捕され、起訴され、25年かけて無罪が確定した事件。
 74年3月に兵庫県西宮市の知的障害児施設「甲山学園」の浄化槽から園児2人が遺体で見つかり、同園保母の山田さん(当時、沢崎さん)は男児への殺人容疑で逮捕された。  
 不起訴、検察審査会の不起訴不当の議決、再逮捕、一審無罪、大阪高裁で破棄・差し戻し判決という異例の経過をたどり、93年から神戸地裁で差し戻し審。3月24日、差し戻し審(吉田昭裁判長)で無罪判決。事件から24年後の「再び無罪」判決だった。知的障害を持つ園児の証言が争点だった。神戸地検(堀川和夫検事正)は4月6日、大阪高裁に再控訴、さらに第二次控訴審の大阪高裁は3回目の無罪判決。99年10月8日大阪高検が上告断念を正式に発表。山田さんの無罪が確定。99年11月4日大阪高検が荒木さん、多田さんに対する上告を断念。ここに甲山刑事裁判のすべてが無罪終結。


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