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恩師 白井厚慶應義塾大学名誉教授講演「学徒出陣と大学」の記録(浅野健一からの報告)
第一部 白井厚先生講演「学徒出陣と大学」

以下は2014年1月6日に同志社大学寒梅館ハーディーホールで行われた慶應義塾大学名誉教授・白井厚さんの講演会の記録です。一部省略。

  ビデオ(2013年9月13日のNHK「ニュースウオッチ9」内の学徒出陣に関するニュース。白井先生も出演)を9分間、スクリーンで視聴した後、講演に入った。

講演する白井先生

創立者の精神受け継ぐ同志社

  京都だけではなく日本全国を考えましても、私立の大学で、公立を含めてもそうですが、創立者の生き方が現在に至るまで連綿として伝えられてきて、それが今でも生きているという大学はどうもあまりないように思えます。

  有名なところで言いますと早稲田の大隈重信とか、慶応の福沢諭吉、そして同志社の新島襄と、まあこの3人であろうと思いますが、大変面白いことがあります。この3人はそれぞれ少しずつ違っているんです。早稲田の大隈は教育者でもあるのですが、本来政治家です。明治14年の政変でその座を追われて、落胆して、早稲田大学を作った。米国のジェファスン大統領が大統領を辞めた後、ヴァージニア大学を作って青年を育てたのに倣ったんですね。

  福沢はまあ教育者といってもよいと思いますが、本質的にジャーナリストだと私は思っています。彼自身、『時事新報』という新聞を刊行して、ものすごい筆力で書きまくっています。新聞を離れてもたくさんの本を書きましたし、本になってない手紙や何かにも膨大な量があるんです。ジャーナリストかつ文筆家といえばいいのではないでしょうか。 

  新島襄はどうかというと、全身これ教育者、まさに教育家の粋(すい)というような感じがいたします。大隈や福沢のようにいろいろなことに手を出してというのではなく、同志社の教育に魂をかけていって、でも若くして亡くなってしまったという感じではないでしょうか。

第2次世界大戦の戦没者数

  今年(2014年)は第一次世界大戦から100年目なんです。この1年、たくさん言及されると思います。近代兵器がたくさん使われ、グローバルな規模で行われたのがこの第一次世界大戦です。全体でほぼ2000万人が亡くなっているんです。

  第二次世界大戦では、日本は軍人が230万人、その他市民は約80万人亡くなっています。軍人ではない人間も多く亡くなっているんです。アジア全体では2000万~3000万人が亡くなったといわれていますが、アジアではなぜこんなに多いかというと、日本軍が出ていってそこで戦争をしたからなんです。私はこの数字は大変に重いと思っています。ほとんど関係ない人たちが千万単位で亡くなっていると考えると、日本人としては心が重いですね。

  あの戦争はいいとか悪いとか言われることがありますが、敵、味方、さらに現地人の犠牲者が多いというのは悪い戦争だと思います。少ないならまだマシです。ドイツのナチスで600万人を収容所で殺したというのは大変な犯罪ですね。日本の軍隊がアジアで2000万人~3000万人を殺したとなると、これはもっとひどいということになりますね。我々が日本人として生まれた以上はこの数字から逃れることは出来ません。日本が戦争をしなければ死ななかった人たちがこんなにも死んでいるということを、まず頭においてください。

  私は、第二次世界大戦というのは日本としては「自他爆戦争」だと思っております。猪木正道という政治学者は、これは日本の自爆戦争だと言いましたが、私はそれでは足りないのではないかと思い、この言葉を作りました。

当時の日本

  戦争を始めた頃の日本というのは、高い文化を持つ国でした。しかし皇国史観が教育界を支配していた。ロバート・オウェンの性格形成原理という、環境を変えさえすれば人間は良い性格でも悪い性格でも持つことができるという説があります。これは啓蒙思想のひとつの帰結です。逆に言えば、殺人犯について「あの人は刑務所で生まれた」「よい教育を受ける機会がなかった」と言われたら、その人が極悪人だったということができるだろうかと考えますね。

  オウェンは、「社会に影響力を持つ人の力によって、適切な手段を使えば人々の性格は変わる」と言いました。人間は環境によって作られる。情報と教育によってマインドコントロールされる。政治家の政策、発言やジャーナリズムの報道によって人々は動かされ、教育によって人間の性格は変わる。現実に社会を動かす人たちは、支配階級、エスタブリッシュメントと言われます。浅野君たちがやっているジャーナリズムの研究は、人間の形成に極めて大切な学問であると言えましょう。

  日本は高い文化を持つ国ですが、皇国史観によって「天皇は神、日本は神の国で、日本がやることは絶対に正しく、戦争をすれば必ず勝つ」と国民は教えられてきました。

大学の戦争責任

  当時大学に行けたのは2%のエリートでした。戦争を始めたのは直接には軍部と内閣ですが、やはり高等教育をうけた人間の戦争責任は大きいと思います。政治家、官僚、裁判官、検事、弁護士、ジャーナリスト、大会社の経営者などにそれぞれなった人が多いでしょう。

  今では「村山談話」が出て、これを自民党政権も引き継いでいますから、かつての日本が政策を誤って植民地支配や侵略戦争を行ない、アジアの諸国民に大変な迷惑をかけたことは皆知っていると思います。しかしこの「談話」が正しいとすると、日本が政策を誤った時に、なぜ大学はそれを批判しなかったのか、教授たちがほとんど政府の言いなりになって戦争に協力したのはなぜか、などが問われますね。

  だから大学の戦争責任としては、以下のような罪が考えられます。

  1.軍閥政府の誤った政策に対して、大学が思考停止し、何の批判もしなかったこと。大学は真理を探求し、学生を教育するところです。その大学が政府の大きな誤りを見過ごしたのはなぜなのかということですね。勿論当時は言論統制というものがありましたが、抵抗を示す人もごくわずかおりました。しかし、多くの人々は考えることを止めてしまったんです。学問は全てを批判するところから始まります。「すべてを疑え」というデカルトの言葉もあります。しかし日本の学者、大学というのは、軍部や政府の言うことを唯々諾々として受け入れて、それのみならずそれに協力した。さらに御用学者となって、協力して日本を戦争へ引き込んでいったということになります。誤った政策に対する批判を怠った大学の不作為責任、更に戦争政策を積極的に進めた戦争責任は非常に重いと言わざるを得ません。

  2.架空の天皇神話に沿って教育を行ったこと。天皇は神様、日本は神国で、戦えば必ず勝つと大学でも教えました。戦後、天皇は「人間宣言」を行ったのです。

  3.誤った侵略戦争、日米の戦力比を見れば勝つはずのない無謀な戦争に協力、学生を激励して戦場に向かわせ、軍に協力して細菌兵器の開発までおこなったこと。

  4.大学は戦争指導勢力の一翼を形成し、戦後もあの戦争は何だったのかという総括・反省をしていない。私の知る限り、徹底的な自己批判をしたのは明治学院大学だけです。

  5.戦争に批判的だった教員や学生を抑圧し、朝鮮・台湾出身の学生たちを無理に軍に志願させた。

  6.今日に至るまで、自校の犠牲者を顧みず、この時期の歴史研究も少ない。今日自分の学校からどれぐらいの人が入隊したのか、また戦没したのかということを調査した大学はほとんどありません。戦後50年経っても70年経ってもはっきりしないことはあまりにも多いです。

「学徒出陣70年」で戦争を考える

  昨年(1913年)は「学徒出陣」70年の年です。徴兵検査がないというだけでも今の学生は幸せですね。もっともっと勉強しなければ先輩に申し訳ないと思います。

  先輩は満20歳に近づくと、徴兵検査、そしてそれに続く兵役に怯えました。陸軍は2年間、海軍は3年間軍隊で絞られました。戦争がなくても1日に何回も上官にぶん殴られなければならないのですから、学校に戻って来ても、殴られ続けた後の頭ではなかなか学問が頭に入らなくなります。そこで文部省が認めた学校の学生であれば、例えば卒業するまで徴兵を猶予するという特権がありました。猶予期間には細かい規定があり、また変化しましたが、とにかくこれは学生の特権(高等教育を受けたのは5%位)ですから、当時の学生は大変うらやましがられ、また妬まれました。

  「学徒出陣」というのは、その特権をなくす変化であります。つまり徴兵猶予の制度を全部停止した。そこで満20歳以上の学生はすべて臨時徴兵検査を受け、合格者は陸軍か海軍に入隊しなければならない。ただし理系の医学部や工学部の学生は、入営を延期してもう少し大学で勉強させると決めました。このあたりは、「広辞苑」をはじめ多くの人の解釈が間違っているので、そのことは後で触れます。

  号外研究家の小林宗之さんに今お借りした同盟通信発行の新聞号外がこれです。明治神宮外苑の陸上競技場で学徒出陣の壮行会が行われました、そのときの写真もあります。演壇にいるのが東条首相、岡部文部大臣などです。その前を2万5000人の大学生が鉄砲をかつぎ、剣を下げ音楽に合わせて行進する。そして宮場前で解散という、これはもう壮大な式典な訳です。

  号外の裏面に観客席で見送りの女子学生が映っていますが、女子学生をここに並べたというのはニクいですね。これでみんな参っちゃうんですよ。学生たちが鉄砲を担いで進軍していくと、女子学生が涙を流して応援するわけですよ。上の方に座っていた女性もみんな下の方まで駆け寄ってきて拍手するわけですね。こんな戦争で命を落として来るなんて嫌だなと思っていた学生も、「よし、俺のために涙を流して泣いてくれたあの人のために俺は戦争に行くぞ」と決意を固めたという人を私は何人も知っております。男ってバカですね。男って単純ですよね。泣かれちゃったらどうにもならない。「天皇陛下のために命を捨てる」覚悟をしました。

  アジア・太平洋戦争における慶応義塾関係戦没者名簿というのがあるのですが、これは私どもが作ったんです。これを作り上げるのに16年かかりました。学校が作らないので、しょうがなく私どもで作りました。その結果、2,223名が慶応義塾関係の戦没者であることを確認しました。8割ぐらいの方がいつ、どこで亡くなったかが分かっています。フィリピンで500人も慶大関係者が死んでいるんですよ。

  何のためにこんな戦争をしたのかと腹が立ちますね。この戦争は自衛ではなく日本が攻めていったんです。真珠湾、中国大陸、インドネシアしかり、ガダルカナルやインドにいたるまで日本が攻め込んでいったんです。そのために大勢の人が亡くなったということをどうぞ念頭に置いてください。

  広辞苑には「学徒出陣」のことを、

  『太平洋戦争下の一九四三年、学生・生徒(主として法文科系)の徴兵猶予を停止し、陸海軍に入隊・出征させたこと。』

  と、極めて簡単に書いている。説明は誤っています。

  1.「学徒出陣」は1944年になっても行われている。

  2.法文系のみならず、すべての分野の徴兵猶予を停止した。ただし理系、医、教育系などの学生・生徒には徴兵検査後入営延期として学校での勉強を続けさせた。

  3.「出征」とは“天皇に服従しない者を征伐に行く”という意味だから、今の世に説明として使うのは不適当。

  4.当時の用語としても、「出征」とは、兵役を終えた予備役や体格が劣る補充兵     

  が戦時に召集令状を受け取り連隊から戦場に向かうこと。

  5.文法的に言えば、「学徒出陣」は「入隊・出征させたこと」ではなく,「学徒が入隊したこと」でしょう。

広辞苑というと大変信用がありましてね、「これは広辞苑から引いた」なんていうとみんな感心するんですが、そういう権威主義が学問にとって極めて有害です。それさえ見れば安心だという感覚は、戦争中に大本営発表を真実だと頭から信じたことと同じです。正しい戦争だと言われてそれに付いていった感覚とかなり似ています。

  私は岩波書店に何回も注意したけれど、「まだ在庫がありますから」とかで直そうとしないんですね。そしたらこのあいだ電子辞書の新しいのを見たら、半分くらい私の言うように直してありました。だから岩波は半分私に降伏した。でもまだいっぱいまちがいがありますから、「学徒出陣」の研究はまだ非常に遅れているということでありましょう。

気の毒な戦没者たち

  戦没者の追悼をしなければなりません。追悼とは、分解すれば「愛」と「記憶」と「悲しみ」です。追悼会をやったり記念碑を立てたり戦没者名簿を作ったり、どこの大学でもできることをおやりになれば良いと思うんですけど、これが非常に少ないと思います。

  日本の戦没者は非常に気の毒ですね。敗戦までは、亡くなった方は名誉の戦死、天皇の為に戦った英霊と言われて、靖国神社に合祀されて神となり、「神である天皇陛下」がお参りするんですよ。戦死した方々は護国の神などと言われて、神様です。それが太平洋戦争において亡くなった方々は、今や、逆に不名誉の戦死です。戦争に行ったうちのお父ちゃんは、侵略者、加害者ではないかと家族にも思われるわけですね。しかも戦没者は、半数以上は飢え死にですから。あるいは誰も護衛しない貨物船に乗せられて、途中でみんなつぎつぎと沈められちゃって死んだ人も多い。何が名誉ですか。不名誉なうえに無意味な死です。そういう状況にも関わらず運命に身を委ねるしかなかった人たちは本当に気の毒ですね。

  なのに、戦場に学生たちを送り出したほとんどの大学は、知らん顔です。せめて大学は卒業生や学生の戦没者を調べ、色々な形で彼らを追悼、慰霊すべきではないでしょうか。

  追悼が難しいならば、せめてあの戦争について、戦争中の大学について、大学は研究し、戦争を全く知らない学生たちに戦争の正確な歴史を教えるべきではないでしょうか。その努力がなければ、近隣諸国との友好は実現せず、悲劇は再び繰り返されるでありましょう。

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  【会場との質疑応答】

  Q. 戦争のメリット、デメリットとは何でしょうか。なぜ戦争をしたがる人々がいるのですか。

〈白井先生〉いろんな研究があるんですが、一つの理由が「戦争は儲かる」ということなんですね。例えば莫大な人員を必要とするので、戦争の前は多くの人が失業していた。しかし一度戦争が始まれば、予備役の人を徴兵した後会社も工場も農業も人手不足で、賃金が上がり、雇用機会も広がりますね。それから戦争というのは壊し合いなので、戦争の後は作り直すための需要も広がります。また戦時中は特に繊維工業と農業の需要が上がります。それから勝てばですが、植民地を獲得したり賠償を請求できます。とにかく勝てばもうかります。

  また「日本良い国強い国」と胸を張って歩くことができます。戦死した人の家にも「英霊の家」「傷痍軍人の家」と名誉を与えることもできます。

  あと新聞に関しては、戦争が始まると新聞が売れるんですよ。「この戦争はやめた方がいい」と書くと売れなくなるんですがね、調子のいいことを勇ましく書くとよく売れる。だから新聞社で働く人間にとっても好都合になりましょう。

  しかし「人はパンのみにて生きるにあらず」。戦争の一番大きな損失は多くの人々が死んでしまうことです。儲けと人の命と、どちらが大切でしょうか。父が亡くなる、兄さんが戦死するということはどれだけつらいことでしょうか。

  また、やたらに戦争をすれば「あの国は好戦的、侵略国だ」と後世に言われ続けることを覚悟しなければなりません。

  また戦争で勝つことに一点集中をするので、軍人が威張りだし、経済がおかしくなって、本当に国民の為になるような政策が実施できなくなってしまうんですよ。平和産業も困窮状態に陥って、衰退します。「苦しい」といえば「今は非常時だぞ、我慢しろ」と言われてしまいます。

Q.日本はなぜ敗戦後、天皇制を残したのでしょうか。

  〈白井〉日本人がなぜあんなに戦ったかというと、神と言われた天皇に命令されたからです。また明治憲法によれば「大日本帝国は万世一系の天皇が統治する」。だから法的にも道徳的にも、天皇に一番の責任があるというのが普通の考え方です。

  その天皇制が残ったのは、一つには米国の意向が強かったということがあります。アメリカ人には日系人も日本に留学する人も多かったので、日本研究が非常に進んでいました。その中で、「日本は天皇陛下の言うことには全て従う」ということが分かったので、天皇を処刑した場合反乱が起こることを予想したのです。歌舞伎から「日本人は敵討ちの芝居が非常に好きな民族だ」ということを知っていたんですね。それは怖いので、「天皇陛下を処刑してはいけない」と判断したのです。それによって日本人は「戦争を始めたのは軍閥だが、戦争を止めてくださったのも天皇陛下である」と親近感が強まる訳です。

  マッカーサーは、天皇に「人間宣言」をさせて、戦争のあと天皇は日本各地を旅行して歩く訳ですが、それで現地の人とふれあったりすると、日本人は簡単に感激してしまうんですね。それですべてのことを忘れて、「天皇陛下がいてくれてやっぱり日本はいい国だった」と。その証拠に反乱も起こらないし、努力した分、生活も年々向上している。「戦争に負けたのにこんなにいい国であり続けているのは、天皇陛下のお陰だ」とも思われた。

  米国の占領政策が成功して、そう考える人が増え、天皇は新憲法によって憧れの象徴に変質したために、天皇制への批判は激減してしまったわけですね。

  昭和天皇はせめて退位だけでもすべきだと考えていた人は大勢いました。日本をこれだけめちゃくちゃにした責任は非常に重く、先祖に対して非常に申し訳ない。本来なら切腹してお詫びすべきです。しかし天皇を利用する保守勢力は非常に強く、米国に上手く取り入って天皇制を残し、天皇も少し変質して残りました。 (了)