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裁判闘争支援のみなさんへ
文春捏造記事裁判2審で全面勝訴
原告・浅野健一(ジャーナリスト、同志社大学大学院社会学研究科教授)
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2009年7月6日 |
5月15日午後1時15分、大阪高等裁判所第9民事部(松本哲泓=てつおう=裁判長)は、私が文藝春秋発行の「週刊文春」(以下、文春とする)2005年11月24日号の《「人権擁護派」浅野健一同志社大教授 「学内セクハラ」を被害者が告発!》と題した記事を「事実無根の捏造記事」として、文春(上野徹社長)、鈴木洋嗣・文春編集長、石垣篤志・名村さえ両契約記者に損害賠償などを求めた名誉毀損訴訟で、文春側に550万円(京都地裁判決は275万円)の支払いを命じた。
二審判決で賠償額は倍増した。一個人の一度だけの記事掲載での名誉毀損訴訟で500万円以上の命令が出るのは極めて珍しいと思う。文春に対する賠償額としても最高の部類に入るのではないか。
判決は40頁あるが、一審判決に比べると格調が高く、私と弁護団の主張をほとんど取り入れ、私を“セクハラ加害者”にでっち上げ、闇討ちした人々の構図と経緯を明快に把握して、セクハラ、“留学生賃金ピンはね”に関する記述をすべて虚偽と認定した。全面勝訴と言ってもいいと思う。
判決は私に敵対する同僚教授が同志社大学に不信感を持ち、同大の名誉を傷つけることを承知で、文春に情報提供して社会的に抹殺しようとしたと正確に認定した。
ある判事は「松本裁判長らには、最近の週刊誌のいい加減な取材と記事掲載について、釘をさすという意味もあったのではないか」と見ている。
記事が出てから3年8カ月たったが、本裁判の弁護団のみなさん、文春記事がウソで固めた謀略記事であることを最初から見抜き、本裁判を支援してくださった友人、学生、卒業生のみんなで勝ち取った「司法の正義」の実現だと思う。心から感謝したい。
双方が上告の手続きをとって、最高裁での審理が続きますが、事実認定の変更はないと思います。新聞広告での謝罪記事の掲載を求めてがんばります。引き続き支援ください。
今後は大学での潔白証明を
私が2審で全面勝利したにもかかわらず、「同志社大学キャンパス・ハラスメント防止に関する委員会」(委員長・石川健次郎商学部教授)は、双方が上告したのを理由に、「静観」を続けると表明している。代理人の若松芳也弁護士は2009年6月3日に次のような申し入れ書を石川委員長へ出しました。
《浅野教授が2003年9月より被申立人として申立されている件について、浅野教授の要求に対する貴職らのこれまでの回答を見ますと、浅野教授に関する申立に対する貴委員会の一連の判断は、裁判の結果が確定(最高裁)するまで待つことにしている、ということになりますが、このような情況では、貴委員会の独自性が失われて、ひいては大学の自治権も放棄するものと言わざるを得ず、誣告(虚偽告発)で訴えられねつ造証拠により加害者とされた浅野教授は、貴委員会によって救済されることがなく放置されることになります。
ところで、すでに御承知のことと思いますが、本年5月15日言い渡された大阪高等裁判所(第9民事部、松本哲泓裁判長)の判決によりますと、浅野教授と敵対する三井愛子・中谷聡両氏及び渡辺武達教授ら「渡辺教授グループ」(2004年より浅野教授に敵対関係)の主張する、いわゆるセクハラの事実等は全て否定されており、浅野教授の主張する事実が認められております。
この高裁判決の結論は極めて当然であると思われますので、貴委員会においても、同判決の判断内容を重く受け止めて、浅野教授の人権と名誉を回復するために、すみやかに適切な判断をされるよう求めます。
渡辺教授による貴委員会に対する「申立」から5年9カ月が経ち、三井、中谷氏への調査開始から5年4カ月経過しました。この間、この悪意に満ちた不当な「申立」と、貴委員会の事案をマスメディアに不当に流したことによって引き起こされている、浅野教授の筆舌に尽し難い深刻な心痛と労苦を理解して戴きたいと思います。
浅野教授が文春に対して提訴した名誉毀損訴訟の最高裁の判決の結果を待つ等という日和見的な態度は、大学の自治に由来する委員会独自の職責を放棄するものと言うべきであります。すみやかに浅野教授の人権を救済し、本件申立の誣告性を明らかにされるよう、再度申し入れます。》
また、同志社大学教職員組合員長(越智礼子委員長)の組合三役(越智礼子委員長、副委員長、書記長、副書記長の4人)が6月5日(金)に中山健二総務部長との三役折衝で、私のCH委員会事案を取り上げた。大学当局側は、中山氏と人事担当メンバーが出席した。
中山総務部長(セクハラ委員会での浅野事案の調査委員3人の1人)は「5月15日に高裁判決があったことは承知している」「A先生(大学側は浅野を終始、仮名扱い)の方からは学長と委員長へ質問書が来ている。資料も一式いただいている。倫理審査室で対応している。大学の外で裁判がされている。双方が上告している。CH委員会を進めると、資料が裁判に出ると影響を及ぼす恐れがあるので、けいけいには動けない。この件の対応は倫理審査室に委ねる」などと表明した。
組合側は「この事案そのものがあまりにも長く審理されている」と指摘したが、総務武長は「裁判に影響を与えてはいけないので静観する」と重ねて強調した。
組合へ本格的取り組みを強く要望する。
石川CH委員長は、本件裁判を理由として私の事案について審理を3年半以上中断し、「静観」すると繰り返し表明してきたが、裁判所の事実認定はほぼ確定した。本裁判を理由として、委員会の結論を引き延ばすことはできないはずだ。
そもそも二人の申立人と事実上の黒幕教授の03年9月以降の学外での言動は、大学の諸規定、社会通念に著しく違反しており、調査委員会の継続そのものが不可能ではないかと私は思う。
同大当局は昨年末、大麻所持で有罪(執行猶予付き)となった大学生を「(報道で)大学の名誉を傷つけた」との理由で退学処分にしている。高裁判決で、大学に不信感を持ち、大学の名誉を傷つけることを百も承知でメディアに持ち込んだと認定された渡辺教授とライバル校の立命館大学の津田教授。同大と立大が両教授に対してどういう措置をとるのかに注目したいと思う。
判決は行間で、同志社大学(とりわけ社会学部メディア学科の教員たち)の無責任な姿勢も厳しく批判している。
祝賀のメッセージ相次ぐ
私は判決の出た直後、支援者に速報したが、多くの友人、知人、学生、OBGからメールや電話をいただいた。最初に来たのは奥平康弘東大名誉教授のメールだった。
[あなたおよびサポーターの人々の懸命のご努力の賜物にちがいありません。向こうは上告するでしょうが、最高裁が上告受理するか、それが問題ですよね。向こうの代理人はどんな上告理由書を書きますやら、それが興味あります。]
メ ッセージは別にアップします。
被告席は無人の高裁法廷
高裁別館72号法廷には、文春側から五十代の社員らしき人物が傍聴していたが、被告席は無人だった。喜田村洋一弁護士は来なかった。常連のDさんこと中谷聡氏も姿を見せなかった。
共同通信の報道によると、文芸春秋は「一審で認めたセクハラ行為の事実すら認めない今回の判決は驚きだ。被害者たちが浮かばれない。上訴して再度良識ある判断を仰ぎたい」とコメントしている。懲りない連中である。最高裁は事実認定に関する上告は受け付けないことを知らないのだろうか。
一審が記事の柱であるC子さんに関する記述と、渡辺武達同志社大学大学院教授と共謀してセクハラをでっち上げたA子さんに関する記述、大学がセクハラを認定したという見出しとリードを「虚偽」と正しく見抜きながら、何の審理もしなかった立命館大学のE子さん部分について名誉毀損と認めなかったことが誤りだったのだ。
昨年11月に中川昭一氏に関する伝聞情報に基づく記事を載せた際、中川氏に抗議されると、すぐに事実確認すると回答し、3週間後に記事が誤報だというなど「言いたい放題」のインタビュー記事を載せ、「創」の取材には取材経過は明らかにしないと断言している。本件記事に関する文春の姿勢と全く違う(注1)。
津田教授の偽証を見抜いた裁判所
松本裁判長は、15日午後1時15分、「一審の判決を見直した」と述べ、賠償額を550万円に変更したと主文で述べた。
判決文によると、松本裁判長は一審判決で真実性を認めた立命館大学のE子さんへの「セクハラ電話」記述について、「本人への取材をしておらず、真実とする証拠はない」と指摘して、記事の真実性、真実相当性を明確に否定した。判決はE子さんケースに関する情報提供者で、彼女のゼミ指導教授である津田正夫・立命館大学産業社会学部教授(元NHKディレクター)について、私と強い敵対関係にある渡辺武達教授グループに協力した人物であり、文春はそのことを知っていたのだから、渡辺グループからの情報に関し、慎重に裏付け取材すべきだったと指摘した。
「E子が作成して送付したという、三井の陳述書に添付の書面及び津田教授の陳述書に引用の内容については、いずれもE子が作成したかどうか、M子が作成したかどうか確認する客観的証拠はない」と指摘。M子さんが実名で、控訴審の結審直前に出した「証明書」について、「裁判所にとっては、E子とM子が同一人物かどうかさえ確認できない」とまで言い切った。渡辺教授の一審での法廷証言によると、M子さんは現在関西の放送局に勤務する女性だが、「津田教授のいうがままに(証明書に)押印したことが窺がえる」と書いている。
判決は記事の主要部分であるC子さんに関する記述については、一審判断をそのまま踏襲しているが、喜田村弁護士が控訴審に出したC子さん発信とされるメールなどについても、改竄の可能性・痕跡を指摘した。
また、一審では渡辺教授だけを私に「敵意に近い感情を持っていた」と認定していたが、松本裁判長は渡辺武達教授、三井愛子・中谷聡両氏の3人を「グループ」として括り、3人が揃って私と「2004年以降、敵対関係にあった」と詳しく認定した。これは私が地裁から一貫して主張してきたことである。
判決は「(渡辺教授が)文春らの取材に協力することは、本件大学の信用を傷つける行為となるが、本件大学のセクハラ委員会が再調査を始めたという状況にありながら、文春への情報提供をしたのは、本件大学への不信感と一審原告(私)への強い敵対意識を窺がわせる」と述べた。
このほか、判決は、渡辺教授が私に「敵対」していると9回も表現し、文春側が渡辺教授を経て入手した書証の電子メールコピーについて改竄の可能性、痕跡を認めた。
判決は、渡辺教授が週刊新潮AV上映記事の情報提供者が私だと思い込んだことも認定し、その思い込みを「敵意に近い感情」を抱いた一因であると示唆した。AV上映の情報提供者は私ではない。
学科内で議論すべきだったと指摘
判決は、渡辺教授は私も参加する新聞学専攻の会議で議論すべきだったと述べ、また、私が文春の取材を拒否したことについて、「一審被告らは、一審原告が一審被告らの取材申し込みを拒否したことが本件事実の真実性、真実と信じたことの相当性を裏付ける旨主張するが、一審原告には、一審被告らの取材に応じる義務は全くなかったのであるから、一審被告らの主張は取り得ない」と認定した。
この記事が出た後、「ジャーナリストの一人である浅野氏が、取材に応じないのは問題だ」という非難を浴びせる人たちが多かった。しかし、文春は既に記事掲載を決めており、私のコメントをアリバイ的に使うことははっきりしていた。
私は石垣記者に「この問題の背景には複雑な事情があり、情報提供者の話だけで記事を載せないようにしてほしい」と述べて、取材には応じられないと述べているのに、「ガチャンと電話を切った」と書かれた。渡辺教授グループは03年11月から、石垣記者が送ってきた取材依頼状に書かれている虚偽情報を多数の報道機関へ垂れ込んで記事を書かせようとしており、文春がそれに乗ったということであり、八田学長とも相談して取材拒否を決めた。
判決は「発行部数80万部という週刊誌において、大学教授が大学院生にセクハラを行ったというような記事は、その大学教授の教育者及び研究者としての生命を奪うことになり得るもので、その記事の対象となった大学教授には著しい不利益を及ぼすものである」と正しく指摘。
「一審被告らは、その取材内容が一旦掲載された場合には被害が非常に大きい事柄であることに加え、その根拠が必ずしも明確でなく、得られた情報が敵対する人物の供述が主であり、他の資料も同人物やそのグループ(浅野注・渡辺教授ら)からの提供によるものであったことからすれば、その入手した資料や取材結果については、慎重に検討することが必要であった」
記事に添えられた八田英二学長の写真について、「この写真は本件記事とは全く関係なく、JR事故の追悼式の写真である」と認定し、大学当局がセクハラを認定したとの記述を不当として、記事のほとんどを虚偽と断じた。
その上で、6つの争点のうち5点について、真実性、真実相当性がないと判断し、これを記事としたことは「違法」で、HP・広告もまた「違法」だとして鈴木編集長らは私に対し、不法行為責任を負うと断じた。
判決は残念ながら、新聞広告スペース・文春誌上における謝罪広告の掲載命令を避けた。裁判所は憲法21条の関係から、なかなか認めない。「本件の当事者でもないのに、その同意もないままに、セクハラの被害者として記事にされた者がさらに不利益を受ける可能性が否定できず、一審原告の名誉回復には他の手段もあることなどからすると、その主張は採用できない」と述べた。一審は謝罪広告命令を認めなかった理由を、「時間が経過している」ためとしていた。
中村裁判長は、和解協議の中で、「文春はどんな判決が出ても絶対に、記事は真実と居直るのが普通」と何度も述べていた。私に他の手段で名誉回復措置をとるようにというのは、渡辺グループに対して、謝罪を求めるよう勧めているのでないかと思われる。
私は大阪司法クラブと京都司法クラブの両方で会見したが、大阪の会見で、ある新聞記者が「浅野さんを相手にセクハラ被害を訴えた人たちに対し、誣告罪などの告発は無理としても、何か法的措置をとることを考えていないのか」と聞いた。私は「セクハラ委員会という司法機関ではないところへ虚偽の事実を申し立て、委員会にかかっているということでマスメディアに報道させて私を社会的に葬り去ろうとしたのが、メディア学を専攻する学者たちであった。彼や彼女らは教壇から去るべきであり、当然、法的責任をとってもらう」と答えた。
一審京都地裁(中村哲裁判長)は08年2月27日、私の訴えを大筋で認め、被告である文春側に275万円の支払いを命じる判決を出した。地裁判決は私の同僚である同志社大学社会学部メディア学科の渡辺武達教授がメールなどの書証を改竄したと認定した。私は原審で認められなかったDさん・Eさん部分での名誉毀損認定と新聞広告での訂正謝罪広告を求め、08年3月7日に控訴していた。
和解協議で「雑誌社は判決を無視するのが常」と述べた裁判官
2009年3月16日の第一回和解期日で、和解交渉は決裂した。文春側が高裁の和解勧告を蹴ったからだ。この和解協議での裁判官の話から、一審の非認定部分を見直す判決が出ることはだいたい分かっていた。
第1回目の和解協議は3月16日午後1時半から、高裁別館の第9民事部・第2和解室で行われた。和解交渉の担当は松本哲泓(てつおう)裁判長と白石研二裁判官(右陪席)の2人。前回2月13日に控訴審が結審し、裁判所の職権で今回から和解協議に入った。
裁判官2人は午後1時半、一審原告側を和解室に招いた。原告側の出席者は浅野、代理人の堀和幸弁護士と若松芳也弁護士の計3名。被告側は喜田村洋一弁護士のみ。当事者および代理人以外は傍聴できず、浅野教授の支援者2名は廊下で待機した。
和解交渉は約1時間行われ、原告側は高裁の和解提案を誠実に聞いて対処を考えていたが、文春側は「記事の一部でも真実ではない、つまり虚偽であるということを絶対に認められない」と二度にわたって主張し、和解交渉の継続そのものを拒否した。いったん持ち帰り、文春と相談することも拒んだ形だ。高裁は「双方の接点が全く見つからない」と和解協議の打ち切りを宣言。この結果、5月15日に判決が言い渡されることになった。
文春裁判控訴審はこれで完全に終了した。
松本裁判長は原告側との協議で、「判決で虚偽と言われても、不当判決だと言えば済むが、和解文が公開、非公開にせよ、記事は虚偽だということを相手に認めることは、報道の生命線であり、認められないようだ」「E子さんの部分は記事の“つけたし”であり、主要部分ではないので真実かどうか分からないとあいまいにしてもいいと思う」などと裁判所の“本音”を語った。
裁判長は一審で真実と認定された「E子部分」については、「事実関係はあいまいなままとすることで、真実かどうか分からないが、報道に踏み切ったことについて何らかの謝罪を表明する」とした。一審での原告勝訴部分を維持した上で、「原告側が絶対に認められないE子部分に ついて、真実性は認めない」という和解提案を示唆した。
和解案では、控訴審で最も力を入れた私の主張がほぼ認められた形だった。12月2日の控訴審第4回口頭弁論時の津田正夫・立命館大学教授の証言が、原告側に有利に働いた。津田教授が渡辺教授の走狗としてウソを並べていたことが裁判官にも伝わったのであろう。
原告側と被告側がそれぞれ呼ばれて裁判官と協議をするという形で2回行われた。裁判官は、原告・被告がどのあたりで和解ができるのかというところを探り、和解ができない場合は、5月15日判決言い渡しになるとの前提で行われた。
まず、原告側が呼ばれ、裁判官2名と以下のようなやりとりをした。約15分だった。
松本裁判長―一審原告の側はこの和解協議にについてどうお考えですか。
堀弁護士―こちらが一貫してきたように記事はすべて名誉棄損である。謝罪広告の掲載、一審の維持、敗訴部分の見直しなどが認められないと和解できません。
松本裁判長―大学内で渡辺先生側との間を調停する人はいませんか。どうにかならないのでしょうか。裁判所は和解内容や判決がキャンパス・ハラスメント委員会に影響することを懸念しています。また、渡辺先生との軋轢と言うか対立が悪化することにならないようにという考えもあります。
浅野―同志社はユニークな大学で、他の大学のようなピラミッド型ではない。渡辺教授のことをみんな怖がっていて、仲介しようとする人がいません。大学の委員会は、裁判を理由に結論を出してはいませんが、裁判の結果が直接影響することはないと思います。「セクハラはなかった」という結論は出ていて、本件記事で言うDさんへのアカハラの問題だけ、どうするかを検討してきたと、委員会関係者から聞いています。学長からもそういわれています。渡辺教授がみんな怖くて、逃げているという感じです。
松本裁判長―「記事がすべて虚偽だった」ということは、被告側は呑めないと思われる。控訴審で争った(E子部分とDさんの)事実関係については、真実かどうかはあいまいにして、文春が報道に踏み切ったことに問題があったという内容の文章で和解できませんでしょうか。
若松弁護士―灰色のまま和解ということですか。
松本裁判長―E子さんの部分は記事のつけたし部分だと考えます。主要な部分は一審で虚偽と認定されています。灰色というより、そこの重要でない部分はあいまいのまま置いて、和解できないかということです。
浅野―世間では、私がA子さんらに民事でセクハラを訴えられて、被告になっていると思っている人が多い。
被害は深刻で、去年の印税・講演謝礼は50万円にもならなかった。前は数百万円あった。ネットでの非難もすごく、役所、労組、市民団体が私を講師などに招くことが極端に減った。「セクハラ疑惑」というのは被害が深刻です。
控訴審で、E子さん部分について、きちんと津田証人を呼び、両大学に調査嘱託してくれるなど、十分な審理をしてくれたことに感謝しています。一審で私は勝訴したのに、「セクハラ」が一部認定されたという報道があったように、このままでは名誉は回復されない。
松本裁判長―それでは、次に文春の意見を聞きます。
次に被告側(喜田村弁護士)が呼ばれ、約15分裁判官2人と話した。詳細は知ることができないが、裁判官が言ったところによると、被告側は「和解の場合は報道の生命線にかかわる。だから記事が虚偽だとは認められない」と言ったということである。
裁判官と被告側の協議が終わり、再び原告側が呼ばれ以下のような協議をした。
松本裁判長―一審判決(の原告勝訴部分)をそのまま維持して、その上で浅野さんが真実と違うと問題にして、控訴審でも証人を呼ぶなどして審理してきた部分について、真実かどうかは曖昧にして、双方が何とか納得できる和解文を提示したい。そのように、向こうに提案したのですが、文春側は「一部であっても記事が真実ではないということは絶対に認められない」と固いです。
ところで、セクハラ関係では普通は2類型あります。第一に、被害を受けたとする女性本人が、加害者とする人を提訴するケースか、第二に、セクハラがあったということを理由に処分された人が、処分などを不当として提訴するケースの二つなのですが、今回のようなケースは第3類型とでもいうのでしょうかね。
浅野教授― 第3類型があるとしても、そいう例を私は聞いたことがない。前例がないでのはないですか。
松本裁判長―そうですね。
浅野―私の場合は、被害を受けたと大学の委員会に申し立てたとされる人たちは全く申し立てもしていないC子さんは当たり前ですが、ほかのA子さん、Dさん、E子さんは、私に直接何もクレームをしてきていません。突然メディアに情報が流れ、文春が記事にしました。普通は、私を民事や刑事で訴えると思います。
申し立てを受けた大学の委員会は、この裁判を理由に「係争中のため静観する」として、審理を中断しています。
白石裁判官―和解の場合は口外しないというのが、普通ですが、どうか。
浅野―この件は広く世の中に知られているから、どうなったかを双方が黙っていることは不可能で、絶対に和解内容が世の中に伝わると思う。
東京本社版の朝日、読売の文春の大きな広告の真ん中に、セクハラ教授という見出しが私の実名と共に出た。その記事を前提にネットでセクハラ教授と非難されている。これを止めるには、文春が明確に記事の主要部分について虚偽であったと認め、謝罪しないと、こうした記述は減ることもなく続いていく。講演などができなくなっている。
謝罪広告をしないと意味がない。口外禁止ではダメです。
若松弁護士―ネットも含めて原告が受けている被害は甚大で深刻だ。謝罪広告は絶対に必要だ。
松本裁判長―賠償金を払うということで原告と和解することも、記事が誤りだったと、負けを認めるということになるので、文春としては和解は難しいそうです。裁判所からの判決が出てしまえば、文春側は「不当判決だ」と言えるが、和解文の中で記事が虚偽であったと認めるのは「報道の生命線」なので絶対に受けられない、譲れないとのことです。
白石裁判官―裁判所としては、和解を求めて、まとまった場合に和解内容を公表するかしないかでもめると思っていました。普通は、和解は非公表を前提にしますから。
浅野―非公開というのは難しいでしょう。これだけ知れ渡り、真正面から対立しているので、両方とも黙っておれないと思います。
裁判官は原告側と協議をする際に裁判所が勧めた和解や判決等によって、これ以上大学内の紛争がさらに悪化することを危惧した。また、「E子さんの部分は記事のつけたし部分。重要ではない。真実性があるかどうかはあいまいにする」と述べた。2008年地裁判決では「Dさん」「E子さん」の部分は真実性があると認定し、原告はその部分を不服として控訴。文春も同時に控訴していた。今回の和解協議での裁判官の判断は「1審判決をベースにしつつ、「E子」の部分は原告・浅野教授の主張を基本的に認める。E子部分に真実性はない」と高裁が認めたということを意味する。
最終的に、裁判官と原告・被告側双方が呼ばれ、松本裁判長の口から「双方の接点が見つからない。曖昧だが和解案を考えてきたが、残念ながら無理になった」
私が「判決は予定通り5月15日ということですね」と聞くと、松本裁判長は「そうです」と答えた。双方は「今日はありがとうございました」と謝意を表明し、裁判官2人は「ご苦労様でした」と応じた。
和解協議は文春側が初回で蹴ったことにより決裂し、5月15日に判決が出ることがなった。
私は協議終了後、「こういう事案は、本来はメディアに持ち込むことなく、大学でやりなさいと言う裁判所の意思でしょう。1審をベースすることは渡辺の敵意性をすべて認めることに他ならない。和解を蹴った喜田村弁護士にたいして、裁判官は『文春側にとっては1審よりは悪い判決がでますけどいいですね』と言ったようなもので、文春側はそれを了承したことになる」とコメントした。弁護団は「後は天命を待つということだ」と述べた。
5・15判決でE子さん部分が見直されれば、津田教授がわざわざ証言台に立ち、津田教授は恥をかいたということになるであろうと当時考えた。
判決はそのとおりになった。津田教授に心から感謝したい。
法の正義を示した格調高い判決
二審判決は一審判決より、この捏造記事の構図を学内の人間関係にまで触れながら、鮮明に明らかにしており、全面勝訴だと思う。最高裁では法律論しかできないので、事実誤認を主張する文春の「上訴」は受理されないのではないか。セクハラ報道はすべて虚偽とする事実認定は確定したと思われる。
最近の週刊誌のいい加減な取材と記事掲載について、釘をさすという意味もあったのではないか。
二審判決は「正義の実現」だった。文春のコメントには笑った。
判決文には、私以外のメディア学科の全専任教員の実名も3箇所に出ており、学科の同僚教員たちが私に対して「強い敵対関係」「敵意に近い感情」を持つ渡辺教授とある時期行動を共にしていると認定している。
この判決でメディア学科の正常化がやっと始まると思う。院生、学生のためにも私はこの件で完勝するしかないと思ってきたので、全面勝利は本当にうれしい。
判決はDさんこと中谷氏(ゼミ3期生)へのアカハラに関する記述について、名誉毀損の成立を認めなかった。有力紙はDさん関連記述は「付け足しにすぎず重要ではない」(松本裁判長の和解協議での見解)として記事には書かなかったが、一部メディアが「アカハラだけを認定した」(牧野宏美・毎日新聞記者)「男子大学院生へのパワハラがあったとする記事は真実と認めた」(産経新聞)と報じた。一審報道の犯罪の再犯である。
中谷氏へのアカハラ嫌疑なるものも完全なでっち上げだが、私を裏切り渡辺教授の配下に入り、印税、講師職など様々な利益誘導を受けて、悪徳メディアに私を売り、「浅野攻撃に生きがいを感じている」(人権と報道関西の会メンバーである放送労働者)ようで、極めて遺憾だ。渡辺グループから離れ、一日も早く、調査研究半ばで放棄していると思われる「人権と甲山事件報道」に関する博士論文を書いてほしい。
全面勝利喜ぶ支援者
15日午後6時半から、京都弁護士会館で判決報告集会が開かれた。院生、学部生が集会に来てくれた。
支援会の山口正紀事務局長は「判決は、報道被害の部分で、発行部数80万部の雑誌がセクハラ教授と報じることは、教授の生命を事実上奪うと指摘し、慎重で確実な取材を求めた。文春の報道の仕方を知って、一審よりずっとレベルの高い内容になっている」と述べた。
堀和幸弁護士「百点まではいかないが、九十点以上与えていいのではないか。裁判長自身が“付け足しの記事”と称していたDさん部分について一審判断を維持したのは遺憾だし、謝罪広告の掲載を認めなかったのは不満だが、E子さんに関する記事を真実とは認めないということについて、突っ込んだ理由付けをしている。文春側が出してきた被害者のメール、書証などについて、原告と強い敵対関係にある渡辺教授の協力者である津田教授からの伝聞情報を軽々しく信じたのは不当と認定した。渡辺教授や津田教授は本裁判の当事者ではないが、ここまでやられるとダメージがかなり大きいのではないか」と述べた。
若松芳也弁護士は「一審判決が悪かったので、よかった。格調が高い。99%勝った。我々の側の主張をそのまま採っている。賠償額の550万円は低すぎる。Dさん部分にも不満なので、上告を検討すべきではないか。この判決には、今後の週刊誌報道に対し、歯止めになる部分がたくさんある。これが成果だ」と話した。
山口氏は「成果が大きい。勝訴を勝ち取ったことで、どうやれば被害が回復されるかが今後の問題。謝罪広告を認めなかったことについて、記事で被害者とされている人に対する二次被害みたいなことを理由にしているが、文春記事がウソであることを文春が誌面などで公式に表明することによってこそ、二次被害を避けることができるはずだ。被害回復のためにどういう手段があるか論点にしていきたい」と語った。
森類臣事務局次長(同志社大学社会学部嘱託講師)は「ずっと支援してきてよかった。苦労が報われた感じだ。浅野先生ががんばり、弁護団、支援会、学生たちみんなの努力が実った。院生として支援してきたが、この間、渡辺教授に繰り返し嫌がらせを受けた。脅しのメールも来て、こういう人なのだと分かった。最高裁まで支援していきたい」と述べた。
そのほか参加者から「浅野先生が記事にあるようなことをするはずがないと思っていたが、裁判所が明確にセクハラを否定してくれたのでよかった」「真実が明らかになってよかった」などという発言があった。
元ゼミ生は「勤務先のディレクターが、文春記事を読んで、あなたの先生も終わりだね」と言ったことを明らかにした。「しっかりした先輩だったが、活字になると信じてしまうのだと思った」。
参加できなかった山田悦子さんは次のようなメッセージを寄せてくれ、司会者が読み上げた。
[浅野さん攻撃の文春記事内容をつぶさに検討した山口正紀さんが、それが実にいい加減なものであるかを述べられていますが、私の友人が記事を見て驚き「あなた、浅野さんのこんな記事が出ています」と、夫に見せると「これだけではわからない」と言ったそうです。
冷静に想像力を働かせて読めば、記事内容がいかがわしいものかが判断できることを、友人の夫の反応が示しています。
人の世にあって人が社会的に陥れられる道具となるのが、この「いかがわしさ」です。確かに文春はイエロー・ジャーナリズムではありますが、しかし、いやしくも日本ジャーナリズムを構成するひとつであるわけですから、ジャーナリズムの基本ルールである事実の確認をすべきでした。
よく考えてみると、事実の確認の喪失はなにも文事に限らず、日本を代表するマスコミ機関にも見られる現象です。警察発表を鵜呑みにし、確認することなく世間に流すやり方が多くの冤罪事件を生み出してきました。ここにもつきまとうのが「いかがわしさ」です。
「いかがわしさ」がその時々の事情に合わせてドレスアップされ、世間を魅了し、的となった人を攻撃します。日本のジャーナリズムにしみ込んだ「いかがわしさ」は、結局、 「benefit of doubt(疑わしきは罰せず)」の刑事司法の理念を社会精神として、日本の社会にジャーナリズムが育てていくことを不可能にしています。
文春が平気で浅野さん攻撃の記事が書けたのは、日本のジャーナリズムが「法の精神」を宿していないからに他なりません。浅野裁判の文春記事は、法治国家におけるジャーナリズムが抱える深刻な問題提起をしています。
浅野裁判の勝利は、喜ばしいと同時に、裁判員裁判を目前に控え、社会精神として必要不可欠なジャーナリズム精神を私たち自身が社会に育てていかなければならないことを、改めて提起するものであると感じております。]
報道被害を調査研究してきた私自身が05年11月、想像もしないことで「報道被害者」になった。とてもつらいことであったが、活字による暴力の深刻さを実体験できた。裁判闘争を闘う中で、山田悦子さんがいつも言う「法の正義」「正義を実現する法」について考えることができた。
「週刊新潮」が09年1月、朝日新聞阪神支局襲撃事件の「実行犯」を名乗る男性の手記を4回載せたこことで、新聞、雑誌で激しい非難を浴びている。朝日新聞や文春は「伝聞情報だけで確認をとらなかった」と攻撃し、「第三者委員会をつくって検証すべきだ」と主張している。ならば、警察官からの一方的なリーク情報をそのまま報じている新聞社の犯罪報道や、私の同僚教授らから受け取った伝聞・再伝聞・再々伝聞情報(文書改竄を含む)だけで書きなぐった出版社も自分たちの「報道加害」を検証してほしい。
最近、メディア訴訟で被告の出版社の敗訴が続き、損害賠償額が高額化している。日本雑誌協会編集委員会(上野徹委員長=文藝春秋社長)は4月20日、《一連の「名誉毀損判決」に対する私たちの見解》を公表し、各雑誌に掲載した。見解は《「裁判員制度」の実施が迫ってきたこの時期に、相次いでこのような判決が下されているのは決して偶然ではなく、司法権力の雑誌に対する明確な意思の表れ、といわざるを得ません》などと書いている。
しかし、司法権力がこうした判決を出す背景には、市民一般にあるメディア不信があると思う。市民とメディアの間に大きな溝ができていることが最大の危機なのだ。
【追記】本訴訟の詳細については、ゼミ誌『DECENCY』13号・14号(浅野健一ゼミ編)所収の文春裁判関連部分を参照してください。HP(http://www.support-asano.net/)
山口正紀氏が「週刊金曜日」「創」「マスコミ市民」などに2審判決について書いている。
「人権と報道・連絡会」の第245回定例会が6月15日夜、水道橋の東京学院で開かれ、約40人が参加した。テーマは「富山冤罪事件国賠提訴」と「週刊文春訴訟・二審勝訴判決」だった。「人権と報道・連絡会」ニュース??号に報告が載っている。
神林毅彦さんのブログに速報されている。http://break.kyo2.jp/e106723.html
神林さんがブログ(http://break.kyo2.jp/)を始めた理由;《以前、共同通信の記者にぼくのような「どこの馬の骨か分からない」ような人間は日本のメディアで仕事を探すべきでないと怒られましたので、この「馬の骨」をどこかで使いたいと考えていました。彼女に感謝します。日本の社会では、組織に属していないと人間扱いされないことがあると学んできました。今後も少しずつ学んでいきたいと思います。》
(注1)救援 09年4月号
[中川昭一・前財務相の「もうろう会見」を当初日本メディアが批判的に報じなかったことついて、月刊「創」四月号に書いたが、中川氏の酒乱癖について、「発行部数日本一」の週刊誌が昨年秋に報道した後、秘かに訂正をしたため、中川氏に「甘え」が生じていたことを記録しておきたい。
文藝春秋発行の「週刊文春」(以下、文春)は〇八年十一月十三日号の特集《麻生内閣「おバカ」ランキング》の中で《〝酔いどれ〟中川財務相が痛恨の「遅刻」》と題した記事を載せ、中川議員の閣議における飲酒問題を激しく批判した。[財務省担当記者は、中川財務相の罪も大きいと指摘する。(中略)「前夜に麻生首相と会談後、赤坂のホテルを出たのが十一時十五分ごろ。このとき、会談の内容を聞こうと大臣を囲んだら、ベロベロに酔っ払っていたんです。その場で嘔吐されたら嫌だなと思ったくらい。それから帰宅したのが、午前二時ごろ。もはやベロンベロンでした。もう一軒寄って飲みなおしたのか、途中で気分が悪くなって休んでいたのか分かりませんが、もはや大臣として当事者能力があるとは思えません。翌朝の会見では、顔がむくんでいました」(同前)]
この記事に対して、中川昭一氏は十一月七日、文春編集部に抗議文を送っている。朝日は翌日、[10月26日夜の会合で飲酒していた形跡がある、などの記載があったことについて「客観的事実に反し、名誉を著しく棄損する」としている。週刊文春編集部は「事実関係を確認の上、対応する」とコメントした]と報じた。 文春は三週間後の十二月四日号に《中川昭一財務金融相 緊急インタビュー 「金融危機」から 「給付金騒動」まで》を載せた。記事にこんな記述があった。「(略)私の記者会見も九時の予定が十五分遅れてしまい、記者さんからお叱りを受けた。ただ、私が前夜に酔っ払って、遅刻したと『週刊文春』が書きましたが、それは違います。
二十六日は午後五時すぎに帯広から戻って、総理から九時四十五分に来るように指示を受けました。財務省の幹部も交えて、ホテルで総理から市場安定化対策の指示も受けました。それまでは一滴も酒を飲んでいません」
文春は中川議員のローマでの泥酔会見後の辞任を受けて、二月二十六日号で《中川昭一 「天下の文春が天下の中川に取材に来たのか」 小誌が掴んだ「酒乱と奇行」全情報》という特集を組んだ。同号は《CATCH UP》と題したグラビア特集でも、《目の前にコップがあるよ~ 居酒屋かよ!》などと題して、中川氏を徹底的に非難した。
《小誌編集部にあるテレビから、もはや聞き馴れたこの音声が聞こえてくると、その度に編集部員がテレビの前にどっと集まる。 (略)本人は帰国後すぐ、飲酒については強く否定。「風邪薬を多く飲みすぎて……」などと弁明し、「罷免されない限り職務を全うしたい」と語っていた》
特集記事は、《「昭一、朝から酒を飲むな」》という小見出しで、《これまで新聞・テレビは中川氏の奇行をいわば黙認してきたのである。小誌はたびたび中川氏の酒癖の悪さを指摘してきた。〇四年十月二十八日号では、ダイエー問題を巡り、経産相だった中川氏が酔っ払って、伊藤達也金融担当相(共に当時)を罵倒したことを報じている》などと書いた。
《小誌デスクは月刊誌の取材で、中川氏から〝不規則発言〟を直接聞いている。中川氏が自民党組織本部長時代、拉致問題で話題になっていた田中均外務審議官(当時)に関する取材で約束をとり、面会したときのことだ。中川氏は寝そべっていたソファから身を起こすと、酒の臭いをプンプンさせて言い放った。
「天下の文藝春秋が、天下の中川昭一に一官僚のことごときで取材に来たのか。よし、テープを回せ」(略)
酔いにまかせて、いったい何を話し出すのか、同行した記者と思わず顔を見合わせてしまったという。》
この記事には、昨年十一月十三日号の《〝酔いどれ〟「遅刻」》のことは一字も入っていない。
中川氏の山本秘書は二月十八日電話で「文春編集部の人が事務所に来て、話し合って、十二月の記事が出た」とコメントした。両者がひそかに談合して和解したことを認めた。秘書は文春の誰が来たのかは明らかにしなかった。
「創」編集部は二月二十二日、文春編集長に、「どうのようにして事実関係を確認したか」「中川氏の主張を認めたのか」など七項目の質問書を送った。向坊健編集長は二月二十四日「編集部としては掲載された記事がすべてです。今回に限らず取材の経緯を外部にもらすことはございません。編集部」と回答した。
文春が昨年十一月の記事で屈服せずに中川氏のアルコール依存症について調査報道をしておれば、ローマの朦朧会見はなかったかもしれない。閣僚のときは記事を撤回して、辞任すると叩くのでは、弱いものいじめではないか。
最近、週刊誌が名誉毀損訴訟で敗訴するケースが相次いでいるが、権力者を調査報道で糾弾するのが週刊誌ジャーナリズムの責務であることを自覚してほしい。]
(以上)
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