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控訴審第4回口頭弁論
―津田正夫・立命館大教授証人尋問/次回・2月13日の弁論で結審、春にも判決へ |
2009年1月25日 |
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●「E子さんの被害」情報はすべて伝聞
浅野健一教授が「週刊文春」記事を名誉毀損で訴えた損害賠償訴訟の控訴審・第4回口頭弁論が、08年12月2日午後1時半から大阪高等裁判所(松本哲泓裁判長)別館72号法廷で開かれ、津田正夫・立命館大学産業社会学部教授(元NHKディレクター)が被告・文春側の証人として出廷、約2時間にわたり証言した。
津田氏は、文春記事に「F教授」として登場、記事で「A子さん」(三井愛子・同志社大学社会学部嘱託講師)が「立命館大学の女子学生・E子さんから被害内容を直接聞いた」として文春記者に話した「電話によるセクハラ被害」のでっち上げを補強した人物だ。
記事では、《E子さんが所属したゼミの立命館大学F教授は、小誌の取材に対し、彼女から相談を受けたことと、その内容が右の通りであった事実を認めている》という程度の扱いだったが、文春裁判の一審では「F教授」が自身であることを明らかにし、そのうえで、文春記事の記述を「事実」とする陳述書を提出した。津田氏は、本件文春報道の「黒幕」である渡辺武達・同志社大学社会学部メディア学科教授とともに、文春人権侵害報道及び、それを裁判でも「真実」とする文春側に全面的に協力してきた。
津田氏はこの一審陳述書で、「E子さんは浅野教授からセクハラを受けた」と断定していた。しかし、この日の証人尋問では、原告側代理人からその根拠を厳しく問われ、「E子さんの被害」に関する情報が、津田氏自身が目撃したことは一つもなく、本人の話以外に何も裏付けのない「伝聞情報」であることを事実上認めた。また、証人尋問の筑前になって被告側が提出した「E子」「X子」らの「証明書」「陳述書」なるものも、すべて津田氏の「指導」によって作成されたものであることを認めた。
津田氏は「マスコミと人権を考える東海の会」(07年12月、「報道被害者支援ネットワーク・東海」に改組)のメンバーであり、著書などで「報道される側の権利」の確立を訴えて週刊誌などのメディア批判を展開してきたメディア研究者でもある。
そんな「メディアの人権侵害に批判的な」はずの研究者が、人権侵害雑誌の代表である週刊文春の取材に「自身は匿名・相手は実名」で登場、伝聞情報を垂れ流したこと自体、渡辺教授と同様、メディア研究者としての責任、著書の主張の「真実性」を問われるものだ。そのうえさらに、「報道被害者」である浅野教授の面前で、文春記事の「真実性」を証明しようと法廷で懸命に証言する津田氏の姿は、裁判を傍聴した人たちにきわめて奇異な印象を与えた。
控訴審は、この津田氏の証人尋問で事実調べを終え、次回期日までに原告・被告双方が最終書面を出して結審になる。次回期日は2月13日午前11時から、大阪高裁別館72号法廷で開かれ、判決言い渡し期日が指定される。
浅野教授の文春裁判控訴審は、09年春にも判決が出される見通しだ。
●原告・被告双方が上申書、意見書などを提出
10月30日の第3回弁論期日以降、第4回弁論までに、原告側は、①11月7日付「上申書」(同志社、立命館両大学への調査嘱託事項に関して)②甲第87号証/山田悦子さんの上申書(11月25日付)③甲第88号証/山口正紀・浅野支援会事務局長の上申書(11月25日付)④11月27日付・準備書面(3)(乙第54号証に関する求釈明、ほか)⑤控訴審原告第三次陳述書(11月28日付)を裁判所に提出した。このほか、11月21日付で、被告側関係者によるものと思われる同志社大学学内における「裁判資料ばらまき」に関し、裁判所に事実確認・対応を求める申入書も提出した。
山田上申書は、津田氏が05年初めの段階で、前記「東海の会」代表の平川宗信・中京大学法学部教授(元名古屋大学教授)に対し、浅野教授本人に事実も確かめないまま、「浅野がセクハラ行為を行った」などと伝えていたことを明らかにしたもの。
山口上申書は、①2006年9月、京都市内で偶然出会った際、津田氏が「浅野さんと渡辺さんの板ばさみで困っているが、浅野さんが先に新潮に渡辺さんのことを垂れ込んだ」などと、渡辺教授の「吹き込み」を信じていたこと②津田氏がその際、自身が1年以上前の05年7月、渡辺教授に関する「新潮AV上映」記事の校了直前、新潮編集部にAV記事を没にして、三井愛子(記事でA子)氏を紹介するなどして「浅野セクハラ疑惑」を取材するよう働きかけていたことについては何も言わず、「浅野が先に仕掛けた」として、山口を説得しようとしたこと――などの経緯を示し、一審判決が渡辺教授に関して認定したのと同じレベルの「敵意」を浅野教授に抱いていたことを明らかにした。
「裁判資料ばらまき」に関する申入書は、裁判所が同志社・立命館両大学に出した調査嘱託の文書が16日から17日にかけ、同志社大学渓水館の郵便受けに投函されていた問題について、①本件裁判の関係者しか入手できない文書であり②原告が流出させたことはなく、その必要性もないことなどから、被告またはその関係者が流出させた可能性が高い――として、裁判関係の文書がみだりに流出することのないよう、被告及び被告代理人に対し、事実確認及び今後の流出防止に関する指導を徹底するよう裁判所に求めたもの。
一方、被告側は、①11月10日付「意見書」(11月7日付原告側「上申書」に関する意見)②11月25日付「証拠説明書」③乙第55号証/E子による「証明書」(11月15日付)④乙第56号証/X子による「陳述書」(11月23日付)⑤乙第57号証/喜田村洋一弁護士の「報告書」(11月25日付)⑥乙第58号証/立命館大学産業社会学部・O教授(各書面では実名、住所入り)の「陳述書」を提出。このほか、乙55~58号証の閲覧制限を申し立てる「訴訟記録閲覧制限の申立書」2通(11月25日付、同27日付)、津田氏の証人尋問に関する「証拠申出書」などを提出した。
このうち、乙第55号証/E子による「証明書」は、「同志社大学・浅野健一教授が私に対して行った行為に関し、津田正夫教授が述べた2007年2月4日付、別紙の陳述書は事実に相違ないことを証言します」というだけのもの。
また、X子による「陳述書」も、簡単な経緯を述べた後「私にもE子さんに対するいやがらせと似た不愉快な電話がありました。浅野健一教授が私たちに対して行った行為に対し、E子さんが述べていることは事実であることを証言します」というもの(「X子」は、「津田陳述書」に登場するE子の後輩「Y子」とは別人で、彼女が「被害」らしきことを述べたのは、この陳述書が初めて)。
乙第58号証/立命館大学・O教授の「陳述書」は、津田陳述書でE子の被害申し立てを聴取したとされるO准教授(当時)が、「私は立命館大学産業社会学部のセクシャルハラスメント委員であった2004年7月6日、E子さん自身およびその友人から、同志社大学・浅野健一教授によるセクハラ行為の相談を受けたことを証言します」というもの。
この3通の「証明書」「陳述書」は、いずれも津田陳述書を「事実だ」と述べただけで、「被害」についての具体的な記述はない。また、ごく簡単な文面にもかかわらず、手書きではなく、印刷した文書に本人の住所・氏名などを手書きしたものだった。
文春側は09年1月4日、O教授(書面では職名、実名入り)の陳述書(08年12月19日付)を乙第59号証として出した。O教授は、浅野教授の陳述書(甲52号証)に書かれている、立命館大学の人事課当局者が「浅野教授を被申立人とする事案にはない」という事実はないと主張している。この陳述書も喜田村弁護士宛である。O教授が大学内の事務部局者のコメントについて真実を知る立場にあるのであろうか。
●津田氏の証人尋問の要点
津田氏に対する証人尋問は、以上の書面を踏まえ、最初に被告代理人から、続いて原告代理人からの順序で、約2時間にわたって行われた。以下、尋問で浮き彫りになった事実を中心に、津田証言のポイントを紹介し、その問題点を指摘する。
⑴津田陳述書における「E子論述」、今回の「証明書」「陳述書」の作成経緯
まず、津田陳述書に貼り付けたとするE子の「論述」について、津田氏は「E子さんから紙で受け取り、パソコンで字に起こした。電子データでのやり取りはあるかどうかはチェックしないと分からない」と証言した。
しかし、E子が書いたとされる「紙」は全く示されていない。文春はE子に取材を申し入れてもいないし、文春と接触もしていない。津田氏は「E子は今回初めて私の陳述書を見た」と述べた。これは、津田氏がE子の了解を得ずに、E子「論述」なるものを陳述書に貼り付けて提出した、と認めたことになる。
今回提出されたE子「証明書」(乙55号証)の作成経緯については、津田氏は「E子と相談して私が考えて書いた」と述べた。E子「証明書」は津田陳述書を「事実」としているが、陳述書の後半は、E子が全く知りえないはずの事項ばかりだ。
また、X子「陳述書」(乙56号証)に関しても、津田氏は「私の指導を受けながら彼女が考えた」と述べ、自身が誘導して書かせたことを明らかにした。
E子・X子の「書証」は、いずれも数行しか書かれておらず、全く内容のないものだった。どちらも、宛先が裁判所ではなく喜田村弁護士になっており、津田氏の証人尋問が決定した10月30日以降、津田氏と喜田村代理人が文書作成を依頼し、証人尋問直前に証拠として提出したものだ。そこに、元恩師と教え子という権力関係が作用しなかったのか。そもそも津田氏が作成したに等しい文書に署名しただけの文書が「陳述書」と言えるのだろうか。
これについては、松本裁判長も「E子が訴えた文書はないのか」「電子データはないのか」と質問。また、白石研二・右陪席裁判官は、X子書証に関して「誰から被害を受けたか、という記述がないのはなぜか」と津田氏に質し、書証作成に疑問を呈した。
このほか、津田陳述書や三井陳述書に登場して「被害者」とされる「Y子」なる人物について、津田氏は「学部、単位など何もわからない」と証言した。原告席の浅野教授が尋問の最後に「Y子さんが誰か本当に知らないのか」と再質問したのに対し、津田氏は「あなたは知っているでしょう」と聞いた。あまりにも無責任ではないか。津田陳述書によれば、E子は「後輩のY子さんにまで被害が及んだことで告発を決意した」ことになっている。E子と共にO教授らに会ったというY子について、津田氏が何も知らないというのは、きわめて不可解。そもそもE子の話が虚構であれば、「Y子」はその虚構で捏造された「架空の人物」でしかないのだろう。
⑵浅野教授との関係、「セクハラの事実確認」について
津田氏は証言で、浅野教授のことを「浅野さん」「旧知の友人」と述べ、証人尋問の前半では「私は浅野さんを尊敬している」と繰り返し述べた。しかし、その一方で、浅野教授を「セクハラ加害者」と断定し、最後には「浅野教授はいつも嘘を書く。私もやられた」と人格攻撃し、敵意をむき出しにした。
津田氏は04年6月にE子から相談を受けたときは「晴天の霹靂」だったとし、「敬意を持っていた浅野さんがこんなことをするだろうかと疑問に思って」、04年から同志社大学の教員・学生、関西や全国のメディア記者、共同通信の記者・OB、市民団体関係者など「何十人」(後で「20人ぐらい」と言明)へ、E子さんの「被害」について伝えて意見を聞いたと証言。そのうえで、「信頼するジャーナリストから、同志社大学の渡辺教授に相談したらいいと勧められて、渡辺教授に会った」と述べた。このジャーナリストは誰なのか。
しかし、原告代理人から「なぜ浅野教授本人に事実確認をしなかったのか」と質問されると、「こういうことで本人に確認するのは失礼と思った」としか答えられなかった。
津田氏は「07年4月に同志社大学で浅野さんに会ったとき、一度E子らのことを直接質したが、浅野さんは否定しなかった」と述べた。しかし、浅野教授は「質された」のではなく、浅野教授が津田氏に話しかけ、「渡辺教授の新潮記事の情報源は自分ではない。新潮裁判で、渡辺教授が大教室でAV映像を音付きで上映したと新潮に情報提供したのは『近畿在住の同志社大学OB』と認定されている」と伝えた。津田氏は黙って聞くだけだった。E子ケースについても、浅野教授の側から持ち出した。「いきなり文春に出た。E子さん本人から私には何も言ってきていないので、もし何か問題があるというなら、まず私に言うようE子さんに津田先生から伝えてほしい」と津田氏に伝えただけで、津田氏が「事実確認」してきたことは一切ないと断言している。
また、E子問題が立命館大学セクハラ委員会で審議されたかどうかについて、津田氏は「全学のセクハラ委員会での審議はしていないと思う。確認したわけではないが、学部で対応したと聞いている」と証言。「対応した結果はどうなったか」との原告代理人の質問には、「私は知る立場にないし、聞いてはいけないことになっている。E子からも聞いていない」と答えた。文春記者には「教え子が被害に遭った」と断言しながら、セクハラ委員会の審議結果について、教え子に「聞いていない」というなどということがありえるのか。これもまたきわめて不自然・不可解な証言だった。
⑶渡辺氏との「連携」工作について
山口上申書は、津田氏と京都市内で会った際、津田氏が「週刊新潮」の渡辺教授AV上映記事(05年7月)のネタ元が浅野教授であると断定し、渡辺教授と共に動いたことを正当化しようとした経過を明らかにしているが、この問題について、津田氏は「通りすがりでの短い会話で、そういう話は全くしていない」と知らぬフリをした。
また山田上申書で、津田氏が05年初め、平川宗信・中京大学法学部教授に「浅野セクハラ」を伝え、E子さんから来た「浅野セクハラ」を示す電子メールについて「あまりにも重大なことなので消した」などと話したと指摘されたことについて、津田氏は「どうしましょうかというような相談した覚えはある」とあいまいな証言をした。だが、そのような「相談」自体が、「セクハラ疑惑」を言いふらすことになるとは思わないのだろうか。
さらに、「週刊新潮」の渡辺教授AV記事が校了になる直前の05年7月上旬(文春記事が出る4か月前)、津田氏は週刊新潮のQ記者に電話とEメールで、渡辺関係記事の掲載をやめて「浅野セクハラ」について取材して記事にするように再三要求していた。この問題について、津田氏は「新潮記者が日本マス・コミュニケーション学会の研究部会で親しい田島泰彦教授の教え子だったので、一方的に親しみを持っていた。一般論として、多角的な取材が必要だというジャーナリズムの心構えを教えようとした」「雑誌記者の身分は不安定だから心配した」などと、理由にならない説明に終始した。
浅野教授の調査によると、津田氏は、一般の人には知られていないQ記者の編集部デスク直通電話番号と電子メール個人アドレスまで調べたうえ、Q記者に「浅野セクハラ」を取材するよう求めていた。これは、津田氏がいかに早い段階から渡辺教授と連携し、浅野教授に対する攻撃に奔走していたかを物語っている。
⑷津田氏のダブル・スタンダード
尋問の中で原告代理人は、津田氏が編著『テレビジャーナリズムの現在――市民との共生は可能か』(1991年、現代書館)などでメディア批判を展開し、「報道される側の権利」確立を訴えていたことを取り上げ、文春取材に応じたこととのダブル・スタンダードについて津田氏の考えを質した。津田氏は前記著書でこう述べている。
《「報道される側の権利」をめぐっては、これまで報道被害者たちのやむにやまれぬ実力行使や名誉回復の裁判から、問題の所在が少しずつ明らかになってはきている。一部の学者や弁護士がマス・メディアに対して、試行的な政策提言をし、マス・メディアの側も前述のように犯罪容疑者の呼称変更など小さな改善努力は続けている。しかし、無自覚な報道による危険や被害については、国民の間に共通の認識がなく、《報道される側の権利》という考え方は、まだ現実性をもって報道する側にも報道される側にも受け止められていない。にもかかわらず、国境もプライバシーも簡単に超えるような“高度情報化社会”を作ってきた私たちが、民主主義の成熟へ向けて今直面しているのは、社会的少数者の権利をはじめとする報道される側の権利の確立だろう》(215~216ページ)
原告代理人がこうした著書での主張にふれ、「言っていることとやっていることが全く違うのでは」とダブル・スタンダードを批判すると、津田氏は「そんな単純な問題ではない。週刊誌が非常に社会的な役割を果たすときも多々あるし、そうでない場合もある。一概に新潮がどう、文春がどうということはできないと思う。報道される側の人権だけで世の中が成り立っているわけではない」などと述べた。
結局、この日の津田氏の証言は、津田氏が「渡辺教授の新潮AV記事の情報源は浅野だ」と妄信し、渡辺教授と連携して文春記事に協力したことを証明するものになった。
●裁判資料ばらまき問題で裁判長が被告代理人に「注意」
証人尋問終了後、前回期日後に裁判所が同志社大学・立命館大学に対して行った「調査嘱託」について、松本裁判長が、立命館大学は「回答できない」と返事、同志社大学からは回答がない旨明らかにした。そのうえで裁判長は「次回期日は最終回にしたい」と述べ、原告・被告双方に、次回期日までに最終書面を提出するよう求めた。
また、原告代理人が提出した「裁判関係の文書がみだりに流出することのないよう、一審被告(及び一審被告代理人)に対し、事実確認及び今後の流出防止に関する指導を徹底されたい」との申入書に関し、裁判長は「情報管理にはそれぞれの当事者の方には、代理人も、厳重に、第三者にはこういうものが渡ることのないように留意していただきたい」と述べ、事実上被告代理人に「注意」した。
その後、今後の審理について協議が行われ、裁判長は「次回期日は09年2月13日午前11時。次回で結審とします」と述べ、この日の審理は終了した。判決言い渡し日が指定される次回期日も、支援会の皆さんの傍聴をお願いします。(支援会事務局)
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