来年3月1日(水)に判決、裁かれる闇討ち解雇
浅野教授の地位確認訴訟・15回弁論で2年10カ月ぶり結審
浅野健一・同志社大学社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授が、学校法人同志社(水谷誠理事長)を相手取り、2014年2月3日に提訴した地位確認訴訟の第15回口頭弁論が2016年12月20日午後1時10分から、京都地裁第6民事部208号法廷で開かれました。地位裁判は2014年2月3日の提訴から約2年10カ月後の同日結審し、判決は17年3月1日午後1時10分、京都地裁203号法廷で言い渡されることになりました。
最後の口頭弁論を傍聴した支援者らの報告をもとに支援会事務局から報告します。
担当裁判官は堀内照美判事=第6民事部総括判事、髙松みどり判事、築山健一判事補。原告代理人の武村二三夫・平方かおる両弁護士が出席しました。被告側は代理人の大阪・俵法律事務所の小國隆輔(同志社大学法科大学院嘱託講師)、多田真央両弁護士が出廷しました。
口頭弁論では、双方が最終準備書面を提出、原告の浅野教授側は現役学生らが署名した松岡敬学長への嘆願書(メディア学科の3・4年生の4人を含む)のほか、ナジ・イムティハニさん(博士論文執筆中)、大石薫さん(ナジさんの論文をサポートするインドネシア語翻訳家)、李其珍さん(元韓国人留学生、博士)、霍見芳浩米NY市立大学名誉教授、原告・浅野教授らの陳述書を提出しました。
堀内裁判長は「これで結審する」と述べ、「判決言い渡しは来年3月1日(水)午後1時10分、203号法廷で」と告げました。3月1日は柳寛順さんら朝鮮人民が独立闘争に決起した「3・1運動」の記念日です。
今回も浅野教授の裁判闘争を支援する同志社大学嘱託講師の藤井幸之助さん、元同志社大学学生(16年3月、文学部卒)、京都大学学生(京都大学新聞編集員)、元ゼミ生の両親らが傍聴しました。
被告側の傍聴者は今回、冨田安信・元大学院社会学研究科長兼社会学部長(現在、産業関係学専攻教授)と松隈佳之・社会学研究科事務長の2人だけでした。冨田氏は入廷から退廷まで無表情で、浅野教授と目を合わせることはありませんでした。
原告弁護団は裁判終了後、地裁内で裁判の経過を報告しました。武村弁護士は「特段の事由がない限り、すべての大学院教授に70歳までの定年延長が認められてきたので、浅野教授だけ認められなかったのは不当という主張を貫いた。毎年秋ごろに次年度の科目担当者を決めることで定年延長の実質的な契約ができている。ところが、被告側は、2月の理事会で決めた後に、授業時間割表などを送付することで契約の依頼をし、承諾を得ているという主張をしている。これは実態に合っていない。それに対し、こちらは、浅野教授の定年延長を拒んだ理由はないと証明できたと思う。ただ、裁判所は大きな機関に対して遠慮する傾向もあるので、裁判官の最終判断がどうなるか分からない」と語りました。平方弁護士は「提訴から後の双方のすべての書証を検討して最終準備書面を書いたが、当方の、浅野先生は当然定年延長を認められるべきであったということを、シンプルに論証できたと思う。裁判官たちには、過去、本人が希望しているのに定年延長を拒否された例はないことを証明し、浅野先生の定年延長を認めない理由はないことも分かりやすい論理で示せたと思う。後は判決を待つだけだ。長い闘いになっているが、これまで傍聴などで原告の浅野先生を支援してくださったみなさんに感謝したい」と話しました。
浅野教授は「メディア学専攻と社会学研究科の同僚の教授たちがある教授を解雇するという不利益処分につながるような議決を行ったこと自体が異常だ。専攻会議や研究科委員会は学生・教員の教育研究のよりよき環境を作り出すのが仕事のはずで、嫌がらせをする場ではない。被告の学校法人同志社は小國弁護士らの『定年延長は2月の理事会で慎重に審議し、3月中旬の個人時間割表と出講案内の送付で定年延長の申し入れをして、それに異議がなければ雇用継続の承諾があったと理解するという荒唐無稽な主張をしてきた。私は2013年9月から10月16日にかけて2014年度の開講科目と科目担当者を決める専攻会議で大学院の5科目を担当することが決まっていた。それなのに、同僚の4人が突然、定年不延長を決め、冨田研究科長は研究科委員会で『専攻会議で不延長が決まった』とうウソをついて前代未聞の投票で定年延長に反対と議決した。こういうやり方で定年不延長を決めた例は、定年延長制度ができた1951年以降一度もない。我々の調査で、定年延長を研究科委員会で否決した例もないことも証明した。だから、負けるはずがないが、日本の裁判所は大きな権力・権威に弱いところがあるので、どういう判断を示すか見ていきたい。最後は絶対に勝つという気持ちで、今後も闘っていくので、私の名誉が快復されるまで支援をお願いしたい」と決意を表明しました。
最後の口頭弁論の期日に、現役の学生たちが2016年9月23日、松岡学長、水谷誠理事長へ提出した浅野教授宇野教壇復帰を求める要望書が書証として裁判所に出されました。学生有志幹事の大内健史さんは「2014年7月から数えて5回ほど提出してきた要望書ですが、今回、松岡敬学長になってはじめての要望書です。13年度の1回生浅野ゼミから数人と、そのほかにも、多くの現役学部生が署名をしてくれました。むろん、多くの卒業生も協力してくれました。この事実は、冨田教授らの述べている『同志社大学には、浅野教授の教壇復帰を望む学生はいない』『メディア学科で浅野教授がいなくなって困っていると言ってきた学生は一人もいない』などという内容の発言と一致しません。同志社大学はこのことを重く受け止め、なんらかの手段で、浅野先生を教壇に復帰させてくれるはずであると、わたしたちは望んでいます」と話しています。
これまで学長と理事長へ6回提出された要望書で、現役の社会学部メディア学科学生6人(うち1人は現在のメディア学科3年生)が署名に加わっています。冨田氏は15年5月6日の陳述書で以下のように書いています。
〔 原告が定年退職した4月以降も、抗議活動にかかわっている他学部の学生は数人いるようですが、メディア学科の学生で抗議活動にかかわっている学生はいないと思われます。また、社会学部事務室、メディア学科の先生方からも、2014年3月に原告が定年退職して以降、メディア学科の学生から、原告が定年退職したことにかかわるクレーム、要望等はないとの報告を受けております。(略)
このように、原告が被告を定年退職して約1年以上が経過しましたが、学生らの勉学・研究には何の問題も生じていませんし、不利益を訴える学生もいません。 〕
16年9月27日の証人尋問で、この陳述書の内容について「訂正するところはない」と証言しています。
大内さんらが提出した、浅野教授のゼミや講義を履修したいという要望書に、メディア学科の学生6人が署名しているという事実だけでも、冨田氏が法廷で偽証したことは明白です。
判決言い渡しの3月1日の前後に、ジャーナリストを招いて、自主ゼミ主催の第三回シンポジウム(第11回ゼミ)を開催する予定です。
☆矢内氏が今も学振研究員という冨田氏のウソ判明
地位裁判は昨年12月20日に結審しましたが、浅野教授が2010年から指導していた矢内真理子氏=現在、同大大学院メディア学専攻博士後期課程5年生=が2016年度は、日本学術振興会の特別研究員ではないことが分かりました。通常、学振「DC2」特別研究員(2年)は、博論のための研究継続が必要な場合は、3年間特別研究員を務めることができます。矢内氏の場合、なぜ2年で打ち切られたのかは不明ですが、2年間の間に研究計画に沿った適切な調査研究ができなかったのではないかと推測されます。
矢内氏が2013年9月に内定通知を受けた研究計画書は、浅野教授の指導の下で、東電福島原発事件の被害者、報道従事者らへの聞き取り調査などによって原発事件報道を検証するという内容で、浅野教授が2014年3月末に不当解雇された後、手塚治虫研究者の竹内長武教授(大衆文化論・児童文学)が受入研究者(指導教授)になっており、十分な研究成果を出せなかったのではないでしょうか。指導教授の変更は、浅野教授との相談が一切なく14年4月2日のメディア学専攻会議で決定されています。矢内氏は2013年12月20日以降、自身の奨学金返還免除申請書への書類のことで浅野教授に依頼しただけで、一切連絡を絶っています。矢内氏の2013年度の後期課程2年目の成績を誰がつけたのかが不明で、指導教授へ提出が義務付けられている研究報告書(論文報告書)も浅野教授には未提出になっています。
矢内氏は2014年4月から16年3月まで研究奨励金(すべて国庫=税金から出ている、月額20万円)と研究費(約150万円)を受給して研究しており、2年間の研究報告書を提出しているはずです。あるジャーナリストが1月4日、学振の情報公開請求制度を使って、矢内氏の研究報告書について開示請求をしました。
冨田氏は16年9月27日の証人尋問で、「(大学院メディア学専攻博士)後期課程の日本人の学生に関しましては、学術振興会の特別研究員として現在も研究活動を努めております」(地裁調書17~18ページ)と証言。小國弁護士ら学校法人同志社の代理人3名も16年11月30日の最終準備書面で「後期課程の大学院生は、日本学術振興会の特別研究員として現在も研究活動を続けており」(9ページ)と断言していました。
浅野教授は地位裁判の最終陳述書(16年12月13日)で、「矢内氏が被告となった民事の名誉毀損裁判(元被疑者の実名無断掲載をめぐる訴訟)がありますが、東京高裁の移送請求に関する決定書で、矢内氏は2年間の特別研究員を終えて、2016年4月からは研究奨励金を受給していないと判示されています」と述べました。
浅野教授の代理人の最終準備書面でも、矢内氏は現在、学振の特別研究員ではないと主張したのに、被告側は、冨田氏の証言の裏付け調査もせずに、矢内氏は現在も学振特別研究員だと断定したのです。小國弁護士または冨田氏が矢内氏か学振に電話で聞けばすぐに分かるのに、それさえやっていないのです。あまりに無責任です。
被告側は仮処分の審尋段階から今日まで、矢内氏が新しい指導教授の下で順調に博論を進めていると言い切り、当時私が指導していた大学院と学部の学生約60人はすべて新しい指導教授の下で勉学を続けいきたと強調していました。
ところが、冨田氏は2016年9月27日の証人尋問で、矢内氏の研究テーマが何かも答えられませんでした。冨田氏だけでなく、小黒氏ら専攻のスタッフも、矢内氏の博論のケアなどしていないのでしょう。矢内氏は冨田・小黒両氏らを頼って、2014年4月2日に学振へ「受入研究者変更届」を提出する際、「旧受入研究者」の欄を空白として、私が学振の受入研究者の変更届にサインを拒否しているという冨田氏の書いたウソの説明文書を添付しています。この変更届文書には村田晃嗣学長の押印(署名はなく、学長名はゴム印)がありますが、学長が書くべき箇所(複数)を矢内氏が記入しています。これは公文書偽造に当たります。
以下は冨田氏の証人尋問調書(京都地裁作成)からの引用です。
〔 ――最後に、浅野さんが退職された後の大学の状況について二、三だけお聞きします。浅野さんが指導教授をしていた大学院生は、当時3名でしたね。
はい。
――その3名の大学院生はどうなりましたか。
後期課程のインドネシアからの留学生に関しては、経済的な理由で2015年3月に退学届が出ました。それから、修士課程2年だった学生に関しましては、修士論文を執筆して修了し、就職いたしました。 〕
浅野教授は最終陳述書でこう書いています。
〔 冨田氏はまた、「後期課程の日本人の学生(矢内さん)に関しましては、学術振興会の特別研究員として現在も研究活動を努めております」と答えました。
平方弁護士が、矢内氏の研究テーマを聞いたところ、「専攻は違いますので、具体的な研究テーマまでは私は把握しておりません」と平然と答えました。平方弁護士が「テーマは『大規模災害とマスメディア報道―東日本大震災と福島原発事故を中心に』にということなんですけれども、お聞きになったことありますか」と聞くと、「今言われればそういうテーマだったかなと気がします」と無責任に返答しました。矢内氏は私の下で原発とジャーナリズムをテーマに博論を書くということで、13年9月に内定を得て、14年4月から学振の特別研究員をしていました。
冨田氏の「矢内さんは今、学振の特別研究員をしている」という証言は事実に反しています。矢内氏は今年3月末で、2年間で学振特別研究員を終えています。
矢内氏が被告となった民事の名誉毀損裁判がありますが、東京高裁の移送請求に関する決定書で、矢内氏は2年間の特別研究員を終えて、2016年4月からは研究奨励金を受給していないと判示されています。今は正式な研究員ではないと思われます。通常は博論を書き終えていない場合、3年目も認められるのですが、なぜか2年で打ち切られているようです。
冨田氏は、矢内氏が14年4月2日に「受入研究者の変更届」(私から竹内教授に変更、私との協議なし)を学振に出した際、「浅野教授が変更届への署名、押印を拒否している」という虚偽文書を添付文書として提出しています。矢内氏の研究テーマも知らずに、矢内氏の違法な変更届に協力したことになります。 〕