1月12日に渡辺武達・小黒純両氏が「怪文書」5人裁判で証言
小黒氏、地位裁判結審の日に陳述書提出
浅野健一同志社大学社会学研究科メディア学専攻博士課程教授は3月1日に判決の出る地位確認裁判の他に、2013年10月30日の研究科委員会で浅野教を大学院教授として不適格と非難した怪文書を配布した同僚5人を被告とする名誉棄損訴訟を京都地裁第3民事部(久保田浩史裁判長)に起こしていますが、1月12日(木)午後1時半から5時まで、京都地裁203号法廷で証人尋問がありました。原告の浅野教授と、黒幕として浅野教授を解雇に追い込んだ渡辺武達名誉教授と小黒純教授の2人が証言しました。渡辺・小黒両氏が浅野教授の定年延長妨害事件に関して、公の場で発言するのは初めてのことでした。
証人尋問を傍聴した支援会メンバーから報告します。
15人が渡辺・小黒両氏証言を傍聴、原告が元ゼミ生らの陳述書を提出
裁判官は久保田裁判長、左陪席は加藤民与裁判官(主任)、右陪席は福渡裕貴裁判官でした。
原告を支援する同志社大学の教授、学生、卒業生のほか、浅野ゼミ出身の学生の父親、他大学の学生、東京と京都の弁護士、元新潟日報記者、出版社の編集者のほか、大分県から「みどり荘事件」の冤罪被害者輿掛良一さんが傍聴しました。傍聴席に大きなマスクをした女性が傍聴していました。おそらく小黒氏の関係者でしょう。被告側の傍聴者はほかにいませんでした。地位裁判を毎回傍聴している冨田安信研究科長(当時、産業関係学専攻教授)と松隈佳之社会学研究科事務長の姿はありませんでした。
渡辺・小黒両氏は開廷まで、ほとんど会話もせずに被告席に座っていました。小黒教授は傍聴席に誰がいるか気になったようで、目をきょろきょろさせていました。
裁判では、原告側が小黒氏の出した陳述書の内容が事実に反することを証明するための陳述書などの書証を提出しました。浅野教授の雇用に関し、2013年10月29日から今日までの動きを知っている人たちは、小黒氏の陳述書の主張が事実と異なり、浅野教授と浅野ゼミ学生(院と学部)に対する不当な非難だと分かります。早野慎吾・都留文科大学教授(元宮崎大学教授、社会言語学)が、浅野教授の業績に関する小黒氏の陳述が不当であるという陳述書を提出。また、浅野教授の定年不延長の動きを知るメディ学科4年生(元浅野ゼミ1年生)、浅野ゼミの元学生2人、出版社勤務の支援者が陳述書を出しました。
証人の3人は偽証せず真実を述べるという宣誓を行い、最初に浅野教授が証言しました。浅野教授は山縣弁護士の主尋問で、怪文書がいかに荒唐無稽で、本人への事実確認もない名誉毀損文書であるかを具体的事例をあげて述べました。5人側代理人である多田弁護士の反対尋問は、あまりに稚拙な質問で、小國弁護士が強引に介入していました。裁判官たちが的確な質問を浅野教授にしていました。
渡辺氏は浅野教授の代理人である弘中惇一郎・山縣敦彦両弁護士の追及に対し、「(浅野教授の定年延長について)全く関心がなく、何も関与していない」と証言。弘中弁護士が、週刊文春裁判、対渡辺教授裁判の判決、大学ハラスメント委員会の渡辺氏への調査開始(2013年8月6日)について述べた上で、「あなたは原告と一緒に仕事をしたくなかったのではないか」と聞いたのに対し、「何の関心もない」と答えました。「私自身の定年延長がどうなったかはしばらく知らなかった。原告の定年不延長のことも2014年1月まで知らなかった」と答えました。渡辺教授は13年4月15日に渡辺裁判の控訴審に提出した陳述書で、浅野教授の定年延長に詳しく触れています。また、渡辺教授は浅野教授と共に1995年から開講してきた複合領域科目「マスメディアの現場」(4人のリレー講義)の科目責任者で、13年11月14日に冨田安信研究科長(当時)と共謀して、「14年度、浅野教授はいないので代替教員を用意する」と教務部へ連絡し、同月下旬、教務部から浅野教授に連絡が来ています。渡辺氏は専攻会議にも出席しており、浅野教授の定年延長が拒否されたことを知らないというのはあり得ません。「何も知らない」と堂々と偽証する渡辺氏はまさに確信犯です。
ヘイト偽証連発の怪文書アンカー小黒氏
小黒教授は主尋問では、浅野教授を不良教授と決め付けるヘイトスピーチをなめらかに進めましたが、山縣弁護士の反対尋問では、人が変わったように言葉を見つけるのに必死でした。「博士後期課程の教授でないあなたに、浅野教授の研究教育業績を云々する資格があるのか」という山縣弁護士の質問には、「謙虚に答えなければなりませんが、・・・・、あると思います、ということにしておきましょう」と答えました。学生に労務を強制したという陳述書(2016年12月20日=地位裁判結審の日)の記載について、「人数は何人か」「学生から聞いたのか」という問いには、「覚えていない」などと答えました。
小黒氏は新たな名誉毀損文書である陳述書に沿って、また、「(私の支援者で)「タドロロと名乗る人物が、私に対し『あなたは人の首を切って平気なんですね』と脅迫した。何らかの危害が加わられるのではないかと思ったほど、恐怖にさらされ怖かった」「原告は、多数の学生を引き連れて佐伯教授を取り囲んだ」などと証言しました。
また、怪文書にはないのですが、小國弁護士らが地位裁判の準備書面で、「浅野教授が池田謙一教授の部屋に押し掛け騒いだ」と主張していることを取り上げて、浅野教授が池田教授を脅したと証言しました。その際、「私が昨日も池田教授にこのことを確認した」と大きな声で話しました。この点に関しては、当時現場にいた元同大嘱託職員の鹿野健一氏が15年7月15日に京都地裁第6民事部へ提出した陳述書で、〈複数の人間で池田先生の部屋を訪れたのは事実です。浅野先生からは、このとき、池田教授から「臨時専攻会議」の決定について聞き、先生の立場を伝えようとしていただけだと聞いています。浅野先生がドアをノックして話しかけようとすると、池田先生はドアを少しだけ開けて、「あなたとは会議以外の席で話をしません」とだけ言って一方的に戸を閉めたので、その場に居た私が「そんな態度は専任教員としては失格ですよ!」、「責任から逃げるんですか!」と声を挙げたのが事実です。「あなたとは会議以外の席で話をしません」との池田教授の発言は大学職員の経験のある私にすれば言語道断であり、その気持ちを正直に言葉にしました〉と書いています。
池田氏は浅野教授が訪ねた時に、研究室のドアを数センチしか開けていません。浅野教授は証言で「学生を引き連れてというのはウソ。私は池田教授とは何の関係もないので、赴任して半年もたっていない池田教授が私の追放にかかわるはずがないと思っていたので、10月30日の時点できつい言葉を発するはずがない」と述べました。
池田氏が廊下に誰がいたか分かるはずがありません。また、その時に近くにいなかった小黒氏が証言できるはずがありません。小黒氏がわざわざ「昨日も確認した」と強調したのは、見てもいないことを断言していることを自白しています。
怪文書で最も悪質だったのは、「4 職場環境面」の「[要点]学科内の職場環境を極めて不正常にさせている」にあった次のような記述です。
〈・専攻科の各教員は常時強いストレスにさらされている。文書送付等が顕在化している
ときは勿論、その後も長く続く恐怖感。これによる突発性難聴や帯状疱疹などの発症。
・平穏な研究環境が著しく乱されている。〉
小黒氏は、浅野教授が学生に労務を強制したと強調した後、「原告が職場にいることで、ストレスとなり突発性難聴や帯状疱疹に罹った教員がいる」「私は帯状疱疹になった」と証言しました。小黒氏は怪文書にある教員は自分だと証言したのです。彼は、浅野教授が「菌」だと言ったのと同じです。
小黒氏は、浅野教授の担当科目が3年連続でほとんど休講になっていることについて、「休講になることはよくある。科目があるが担当者がいないということだ」と述べました。海外の大学では一時間の休講も許されません。小黒氏は「ゼミの教員や指導教授が急にいなくなることはあることだ」と述べ、浅野ゼミ(20期、13人)が3年次末に強制解散されたことを正当化しました。しかし、小黒氏が12年4月に渡辺グループの強引な人事で同大に移籍した際、小黒氏は12年度の1年間、龍谷大学の4年ゼミなどを非常勤講師として担当しています。浅野教授は重篤な病気になったわけでもなく、15・16年度に関西大学で非常勤講師を務めています。同大で教育研究意欲いっぱいの浅野教授が「急にいなくなった」のはなぜかが裁判で問われているのです。
小黒氏は、怪文書をなぞって、浅野ゼミの学生がほかの教授のゼミへ移動を申し出ているというウソを法廷でも証言しました。怪文書では「移動を申し出ている」と時制が曖昧でしたが、小黒氏は自分が直接知っているとして、証言しました。浅野教授が主尋問で指摘したように、20年間のゼミ指導で、「留学した後、関心が変わった」などの理由でゼミの移動を求めた学生が3人いますが、それは他の教員にもあることで、メディア学科でごくごく例外的に認めるゼミ移動の手続きに関する申し合わせがあります。浅野ゼミでゼミを移動した学生がいたのは10年以上も前のことで、小黒氏が赴任してきた2012年4月以降、そういうケースはありません。小黒氏は、「ゼミ移動を申し出た学生」の氏名は言う必要はありませんが、何年度の学生で移動希望の理由ぐらいは言うべきでしょう。
小黒氏は、自身も浅野教授からメールや質問書などを送られて度々威嚇されてストレスを感じたと証言しました。もしメールや書面で脅されたというなら、証拠にして出すべきでしょう。原告の浅野教授は「小黒氏は共同通信の後輩のようだが、私は彼のことをほとんど知らなかった。12年に赴任してきた後も、彼の大学院教授任用で私が研究科委員会における人件審議の際、履歴・業績の推薦説明をした以外、何の接点もない。ゆっくり話をしたこともない。個人的なメールを送ったこともない。彼と対立したのは、彼が2013年10月28日に私に送ってきた定年延長拒否の文書を翌日見てからだ。それまでは何の紛争もない」と言っています。
この裁判では、怪文書の作成経緯が焦点ですが、小黒氏は「文書は手控えとして持っていたもので、審議資料として配布は考えていなかった。印刷配付はすべて冨田研究科長が行った」と証言しました。これは地位裁判での冨田氏の証言と矛盾します。冨田氏は「小黒先生から配ってほしいと渡され、事務長らに頼んで印刷・帳合・配布した」と述べています。
小黒氏は、最初のうちは「(渡辺氏を除く)4人で資料を集めて書いた」「どこを誰が中心に書いたかは覚えていない」「職場環境の項は私が主に担当した」などと言っていましたが、「誰のパソコンでこの文書を打ち込んだのか」という問いに「私です」と回答した。主犯は小黒氏と分かった瞬間でした。
これだけ多くの偽証を重ねた証人も珍しいでしょう。浅野教授が勝訴すれば、小黒氏は退職すべきです。
次回4月13日に結審、判決へ
3人の証言が終わった後、裁判官だけで今後の審理の方針を協議しました。裁判が再開され、久保田裁判長は、証人尋問はこれで終わりとし、次回期日を4月13日(木)午後1時15分、京都地裁293号法廷とすると表明しました。裁判長は、原告・被告の双方に、3月末までに最終準備書面を出すよう命じました。地裁審理は次回で結審し、判決は7月ごろまでに出る予定です。
渡辺・小黒両氏は口頭弁論が閉廷し、裁判官が退室した後は、被告代理人の小國隆輔・多田真央両弁護士も交え、にやにやしながらおしゃべりして、仲のいいところを隠しませんでした。原告側が法廷から出るまで、被告席にとどまっていました。傍聴席に現役の同志社大学学生が数名いたことから、廊下などで追及されるのを恐れていたのではないかと思われます。
この裁判では、証人尋問がもう1回予定され、裁判長は「1月12日の証人尋問の後に証人を誰にするか決める」と表明していました。冨田氏の証人採用は確定的で、原告側は小黒氏以外の4教授(原告側の出した優先順位によると、池田謙一教授、佐伯順子教授の順)と沖田行司・教育文化学専攻教授を申請していました。裁判所は、3人の証言で、事案を把握できたと判断したようです。
弘中弁護士は裁判終了後に行われた傍聴者への報告会で、「双方が申請していた冨田氏の尋問もなくなったのは意外だが、名誉毀損訴訟では、被告側に真実性、公共性、公益性を証明する義務があり、2回目の証人尋問がなくなったことは不利ではない。裁判所としては、今回の3人の証言で名誉棄損の事実関係の調べは十分と判断したのだと思う。特に小黒氏が中心になって作成したことが、小黒氏自身の証言で証明されたので、他の被告を呼ぶまでもないと考えたのだろう」と説明しました。
黒幕・渡辺氏のエイジェントが小黒氏
渡辺氏の指示に従って、同僚4人の中心となって体を張って、浅野教授の定年延長を妨害したのが小黒氏です。小黒氏は浅野教授の起こした裁判に初登場です。小黒氏は2013年10月28日朝、浅野教授の研究室棟の郵便受けに、「定年延長を認めない」という茶封筒入りの通知文書(封筒にも押印)を投函して以降、浅野教授の解雇について何も発言していませんでした。当時、博士後期課程2年生だった矢内真理子氏らが同月30日の専攻会議の部屋の前で嘆願書を渡そうとしたとき、その嘆願書を床に叩きつけ、「どうか受け取ってください」と泣きながら懇願する矢内氏に「女性は涙を流すとなんとかなると思っているのか」「会議をないがしろにするな」などという暴言を吐いています。小黒氏らは同日の社会学研究科委員会で浅野教授が退席した後、浅野教授を“不良教授”と決め付けた怪文書を冨田氏らと共謀して「人件審議資料」として配布し、浅野教授の定年延長に反対する演説を行っています。
浅野教授の解雇の主犯は小黒氏ら5人なのに、「研究科委員会の決定」にすり替えているのです。私の代理人の弁護士の多くは、小黒氏らは13年8月ごろから弁護士の指示を仰いで、闇討ち解雇を遂行したとみています。矢内氏が13年11月6日、研究室棟のパソコン室でたまたま目にした、小黒氏から佐伯氏宛の電子メールで、2013年11月初めの「この3連休の間にも、弁護士さんに忙しく動いてもらって・・・」書いているのを見ています。
小黒氏は証人尋問で、弁護士に頼んだことはないと証言しました。矢内氏は数百人にこのメールの内容を伝えています。この弁護士にお金を払ったのは誰なのでしょうか。法人の代理人が名誉棄損訴訟の被告になった教員の代理人を務めるのは、利益相反に当たります。
小黒氏は浅野教授に、4人による「定年不延長決定」を通知した後、その後の学内手続きでは沈黙を守り、地位裁判などの訴訟で陳述書も出していませんでした。小黒氏は16年12月20日の地位裁判の結審の日付で、陳述書を京都地裁民事3部へ提出しました。12月20日より前に出すと、地位裁判に悪い影響が出るかもしれないと考えたのでしょう。あまりに姑息なやり方です。小黒氏の陳述書は、これ自体が、また浅野教授に対する名誉毀損の文書です。
小黒氏は「自らの個人的経験や主義・主張、政治的信条を前提とした講義が行われていることが推認され、院生・学生本位の教育ではない」などと断言。小黒氏は浅野教授が学生相手に、「御用組合」「御用学者」という用語を使ったのは「教育上、不適切」と言い放っています。浅野教授の支援者の固有名詞(カタカナ表記)も挙げて、浅野教授を支援する学生・市民の動きについてウソを書き連ねて、誹謗中傷しています。その陳述書に書かれている内容で、浅野教授がシンポなどのイベント開催で学生を酷使したとか、学生を連れて佐伯教授を取り囲んだとか、池田教授の研究室へ行って脅したなどの事実はまったくありません。浅野教授が雇用問題で学生に支援を強制したり、扇動したりしたことなどありません。ましてや電通のように、学生をただ働きさせることなどありません。
小黒氏は陳述書の中で、浅野教授が2013年度の「新聞学原論Ⅰ」のシラバス(授業概要)から抜粋して次のように書いています。
〔・11年の「3・11」、東電福島第一原発「事件」(企業メディアは事故と呼んでいるが、各地の検察庁が住民による政府・東電幹部への告発を正式に受理し捜査しているから「原発事件」である)で、私は11年3月中旬、原発報道が戦時中の「大本営発表」報道に酷似していると指摘した。日本の記者クラブメディアがジャーナリズムの権力監視機能を全く果たしていないことを市民の前に明らかにした。朝日新聞は11年10月15日の社説で、「大本営発表」報道だったとあっさり認め自省した。(略)
これらの記載のうち、<朝日新聞は11年10月15日の社説で、「大本営発表」報道だったとあっさり認め自省した>という部分は、同日付けの朝日新聞の社説では、「日々の動きを追うのに精いっぱいで、政府や東京電力が公表するデータや見方をそのまま流す「大本営発表」になっていないか」という「厳しい批判にさらされている」と述べられているにとどまり、自らの報道が「大本営発表」になっていたと認めてはいませんので、明らかな誤読か、意図的な曲解と考えざるをえず、研究者・教育者として極めて不適切な記載です。 〕
学生向けに書いたシラバスの文章を抜き出して、裁判所に出す書証に、こんなふうに書くことこそ、明らかな誤読か、意図的な曲解です。浅野教授が16年12月31日、依光隆明・朝日新聞記者(前・東京本社特別報道部長)に小黒純氏の陳述書での主張について聞いたところ、依光氏は「東電福島原発事故後の朝日新聞の取材・報道は大本営発表だったと認識し、大本営発表報道になったことを反省したというのが朝日新聞社内の感覚です。私たちが『プロメテウスの罠』(2011年10月~16年3月)を連載した原点も、そこにあります」と話しています。
依光記者は小黒氏が取り上げた社説と、朝日新聞が「大本営発表」に言及した記事4本を提供してくれました。依光記者らの連載記事は日本新聞協会賞や石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。連載は学研パブリッシングから単行本化および電子書籍化されています。依光記者は、「原発とメディア」を共同研究した浅野ゼミ18期生の東京合宿でもゲスト講義をしてくれています。
依光記者は16年8月28日、北九州市小倉北区で開かれた新聞OB会北九州主催による「8・15平和を考える集い」で、「日本のジャーナリズムが『危ない』」と題した講演で、読者からの「大本営発表じゃないか」という大きな批判を受け止めたと述べています。
林田英明・毎日新聞記者がネットの「レイバーネット」に寄せた〈調査報道の衰退を危惧~「朝日新聞」依光隆明記者が講演〉と題した記事を読めば、依光記者らが〈自らの報道が「大本営発表」になっていたと認めて〉いることが明らかでしょう。林田記者の記事には〈「大本営発表」と批判〉という小見出しがあります。
http://www.labornetjp.org/news/2016/0904hayasida2
〈編集幹部は「正確な情報を。国民にパニックを起こさせてはならない」と考えるが、不安が渦巻く。情報が錯綜する中、「究極の正確な情報は政府の発表だった」と依光さんは言う〉〈これではいけない、と思った編集幹部が事故から半年後に始めさせたのが「プロメテウスの罠」だった〉〈「新聞の取材現場は霞が関だった……」。官僚のやりとりが事実を離れた空論だったにもかかわらず、それが「正確な情報」として当初、流布された。「被害を受けたのは福島の人であり、読者だった」と依光さんは新聞の“共犯”を悔やむ〉〈「これでは戦時中と一緒ではないか」という焦慮とともに、むのたけじさんのジャーナリスト精神に敬意を表したからに違いない〉〈戦時中、論が崩れ、目の前のファクトも書けなくなったテツを踏まないということだ〉
小黒教授には高田正幸・元北海道新聞に(現高知新聞記者)との共著『調査報道』がありますが、東電事件以降のキシャクラブメディアの報道が大本営発表報道と酷似していたと思わないのでしょうか。東電事件の調査報道はどうあるべきだったのか調査研究する気はないのでしょうか。
「小黒氏の陳述書と相手側の弁護士による尋問の証(前半)だけだと、騙される人もいるのではないか心配だった」と言った傍聴者もいました。確かに、西日本の私学のトップとされてきた大学のメディア学の教授が自信ありげに言うのでうから、大学内部のことをよく知らない裁判官たちが小黒氏の主張を信用してしまうと大変なことになります。浅野教授と浅野ゼミの真実を知る人たちが、小黒氏の偽証を社会的に糾弾する必要があります。
傍聴した支援者の感想
証人尋問を傍聴した元浅野ゼミ生(在京テレビ局記者)の父親は「報道現場で活躍する息子の今があるのは、高校時代から師と仰いでいた浅野先生の指導のおかげだ。傍聴することぐらいしか支援できないので、裁判所に来た。浅野先生の東京の弁護士にお二人の尋問のやり方に感心した。裁判官たちは、証言した被告2人が本当のことを言っていないと分かったのではないか」と話しています。また、出版社の編集者は「現役の同大の学生たちが傍聴に来てくれたのがうれしかった。浅野先生の最初の本で、報道界は被疑者の呼び捨てを廃止することを決めた。ジャーナリズムのあり方に一石を投じるようなメディア学者がほかにいるだろうか。浅野ゼミのイベントにも参加したが、浅野先生は学生を第一に考えていた。学生に過重な労務を課したという小黒氏の主張は悪質なウソで、証言の内容は不当な人格攻撃ばかりだった」と言っています。
証人尋問には、大分・みどり荘事件の冤罪被害者・輿掛良一さんが九州・別府から駆け付けてくれました。以下は輿掛さんの感想です。
〔 小黒純教授の証言は、ウソばかりだと分かった。典型的な偽証証人だ。ウソをついている人のパターンがすべて見えた。最初は自信満々にはっきりした声で、的確に答える。原告側弁護士の追及には、これは答えてはまずいと考え、原告側の山縣弁護士に質問内容を聞き直したりした。言い訳を考え始めて、途端に、声が小さくなり、「分かりません」「はっきり覚えていない」「資料が手元にないから分からない」と答えた。それまでは資料がなくても、冗舌に答えていたのに。
私は31年前の1986年1月14日に突然逮捕された。無罪確定まで14年かかった。私の冤罪事件でも、私は2階に住んでいたが、真下の部屋に住む若い女性(会社員)が法廷で検察側証人として証言したことがあるが、この女性は警察に言われたとおりに証言した。事件当時、「男が女を追っかけて逃げる足音を聞いた」「水音を聞いた。腰の高さからかけている水音だった」などと証言した。弁護団が「足の音だけで男女が分かるのか」と聞くと、「分かった」と答えた。警察は、私が犯行後に、洗面器で着衣を洗ったという話をつくっていて、女性にそのストーリーに合う証言をさせた。水音で、どういう高さから水を流したか分かるはずがない。女性の証言は、私を有罪にした一審判決でも採用されなかった。
小黒氏も第三者から、こういうふうに言えと言われていたのだろう。それは渡辺武達教授だろう。小黒氏らは最初から、浅野教授をやめさせると決めていた。山縣弁護士が、小黒氏の陳述書に「人事の場合プラス面とマイナス面を考慮する」とあるのに、怪文書にはマイナス面しかないのはなぜか、と聞いたに対し、「やめさせると決めて書いたので、いいこと、プラス面は書かなかった」「研究科委員会では激しい議論になると思ったので短くまとめた」などと答えていた。最初からやめさせることを決めていたのを白状した。自滅した。
小黒氏と浅野教授には直接の対立関係は全くなかったのに、あれだけのウソを、悪意を持って言うのに呆れた。ウソはどこかでつじつまが合わなくなる。自分の身を守るためで哀れだ。 〕
輿掛さんは証人尋問の後、同大今出川キャンパスの良心館で開かれた自主ゼミで講演しました。
鶴見太郎さん(元同大生)の渡辺・小黒両氏の証人尋問に関する感想です。
〔 ☆渡辺名誉教授について
尋問に対して、興味ない、関心ない、何とも思わない、という答弁ばかりで、露骨にやる気の無さを感じた。ただ裏を返せば、余計な事は喋れない、ボロは出さない様にしているという風にも判事には映ったのではないか。渡辺氏は入廷の時二回とも関係者側からではなく、傍聴者側のドアから入っていた。原告側支援者の顔を覚えようとしている様子だった。私が、支援に来てくれた現役学生に渡辺氏が通った時、「あれが黒幕」と教えたら、怖じ気づいた感じで一瞬こちらを振り向いて、そそくさと中に入っていった。開き直り、逆ギレの冨田安信氏とは真逆に小心者で世間体を気にする渡辺だからこそ、人を陥れるやり口は非常に陰湿かつ姑息で謀略的なのだろうと私は納得した。
☆小黒純教授について
退廷覚悟で糾弾したくなるくらい、滅茶苦茶な嘘と捏造のオンパレードだった。ただ、小黒氏は大手企業を渡り歩いてきただけあって、善良な人間ぶるのと自らが被害者であるかの様に見せる演技は上手く、判事が騙されないか心配になった。しかし終盤の原告側代理人の尋問に対しては良い子ぶる演技にも綻びがあらわれ、「覚えていない」、「(伝聞である為)詳細な事はわからない」、「具体的な事は把握していない」、という様な答弁を焦りと冷や汗交じりに行うことしかできなくなっていた。全部許せなかったのだが特に酷かったのは、「学生を巻き込みたくないので」、という理由で原告側の尋問をかわした時である。学生を巻き込んでいるのはどこのどいつだ、多くの学生に甚大な被害を被らせているのは紛れもなく小黒氏らではないか。自らの数々の不法で非人道的な行為を棚に上げて、よくもこんな発言ができたものだ。そして、(当時、博士論文の指導ができる博士後期課程教授でなかった小黒氏が)「適切に(原告の研究業績等を)審査する事ができると考えていたのか」という山縣弁護士の質問に対して、「そういう事にしておきましょう」とほざいた時は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。何様のつもりなんだと。しきりに査読付きの論文がどうたらと述べていたが、そもそも小黒氏は最近単著さえないではないか。同志社の研究者データベースで調べても論文さえ、前任の龍谷大の時のものまでしか載っていない。優れた業績もないくせに、渡辺氏にゴマをすって、渡辺氏の下僕となって、同志社の「教授」になった小黒氏が大先輩を審査するなど笑止千万、噴飯物である。
☆小國隆輔弁護士について
相変わらず、職業倫理の欠片も感じられない悪徳弁護士だなと思った。ただ、小黒氏もそうだが、小國氏は自分が正しくない事をしているという若干の疚しさを持っている様にも見えなくもない。しかしながら自身の立身出世と保身の為ならば、良心をかなぐり捨ててでも事を遂行しようとする性質は正に現代特有の利己主義的な人間そのものであると感じる。中学からずっと同志社で、金の心配もなく好きな法律のお勉強だけさせてもらって、汗水垂らして労働した事もなく、そういう人の悲しみも冤罪被害者の苦しみも想像さえしない小國氏の様な輩が同志社大学法科大学院で教壇に立っていると思うと、激しい怒りと同時に、日本の司法の将来に対する強い絶望を感じざるを得ない。
☆多田真央弁護士について
小黒氏や小國氏の批判を書いてきたが、私が一番こわく思っているのは多田氏の様な人間である。 既述の通り、小黒氏や小國氏には正しくない事をしているという、ほんとうにごくごく僅かな良心の呵責がある様に思える所がある。しかし、多田氏にはそれがないのだ。全くないのである。倫理や善、正義などには、はなっから興味などない。自分の行為が正しいかどうかなど一瞬たりとも考える事もなく、ただ「仕事」をやっている。そういう風に見受けられる。尋問の仕方も茶店での女子トークみたいな感じで裁判長も困惑していた。悪い事、良くない事と分かっていながら、就職や昇格或いは保身の為に、それらの事をしてしまうというのは、駄目ではあるが、理解できない事もない。しかし、多田氏の様に最初から良心というセンスが欠如している人がいて、そういう人が、弁護士やジャーナリストになってゆくという現実は小黒氏や小國氏の様な存在以上に恐ろしいことだと感じる。浅野先生と渡辺氏の長年に渡る決死の闘い、人権と名誉をかけた裁判を「子供の喧嘩」と言い放った元ゼミ生然り。何の疑問もためらいもなく、堂々と安倍の提灯持ちをする岩田明子NHK政治部記者然り。
☆裁判官について
本件の裁判長はしっかり双方の主張に耳を傾けている感じで、所々よく質問をしていた。右陪席の判事がまだ、よく慣れてない様な風で、色々指導している場面も窺えた。左陪席の判事はよく自分の爪を弄ったりしていたが、これは被告の主張を聞くまでもなく名誉毀損だと思っているからなのか、興味がないからなのかわからず、些か心配になった。また、もう一回予定されていた証人調べが、無くなり、不安になった。にやついた渡辺氏と小黒氏の顔を見、余計に。しかし、裁判後に原告代理人の弘中惇一郎弁護士が、名誉毀損が明白だからこそこれ以上長引かせたくないという、裁判長の意向ではないかという事をお話しされ、そうであれば安心だと思った。 〕
1月12日、同志社大学から浅野健一教授の追放を企んだ同僚教授らによる「怪文書事件」の裁判を京都地裁で傍聴した。著名な私立大学の現職教授らによって引き起こされた醜い内幕は、これが大学の教授のやることか、という自問を引き起こすとともに、今日の大学と大学教員(教育労働者)の腐敗ぶりを見事に示している。この日の法廷は追放劇で主導的役割を果たしたとされる2人の教授を証人として呼んだ。
傍聴の結果、裁判官の姿勢はかなり積極的で、特に右陪席の裁判官が、なかなかいい質問をしているなという事ぐらいは理解できた。名誉毀損を争う事件で、裁判官3人の胸の内は窺い知れない。確かに裁判所の聞く姿勢は理解できたが、判決の行方はまったく未知数。厳しく見ておくほかはなかろう。
浅野教授の教員採用に至る経過が本人の主尋問、反対尋問で明らかにされた。反対尋問で浅野ゼミが発行していたゼミ誌が俎上に上った。「デーセンシー」とタイトルのゼミ生による研究レポートで何度か目にしたことがあったので尋問の中身に興味が持てた。ところが反対尋問で被告側弁護士は、浅野研究室がいかにもティーチングアシスタント(TA、大学が雇用する授業補助者)などの教育研究費を多く使っているかのように尋問を組み立て、あるいは非正規の研究レポートであるかのように印象づけようと攻撃を繰り広げたのだ。私は何回かこのゼミ誌でレポートを拝見したことがあるのだが、ごく普通の真面目な研究レポート。特に2013年3月に発行された第18号は東電福島原発事故報道を検証して画期的な研究成果(広川隆一氏編集の「DAYS JAPA」増刊号=2012年3月発行でも発表)でした。被告側弁護士の反対尋問を聞きながらどこが問題になるのだろうかと不思議だった。しかもゼミの学生による編集というから、ゼミ生たちが頑張った証明で、褒められこそすれ非難されるいわれはない。
反対尋問を続ける弁護士の腑に落ちなさそうな顔を見て、私は謎が解けた。今の大学では被告教授たちはこの種の研究誌さえ問題視したりケチ付けしたりするのか。自分らの教科書以外は認めないみたいな偏狭な学問観に満たされた姿が、こうしたところに反映されたのだろう。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」を実地に聞かせて頂いた。
小黒純教授に対する反対尋問の中で、同氏は具体的に学生の登場する場面では、その学生らを特定すること、氏名を明らかにすることを、「学生を巻き込ませたくない」などの理由で、特に拒否した。あるいは「知らない」「忘れました」「憶えていない」などと連発した。裁判官からの質問にも、本学の学生らを庇っているかのように振舞っているのが、とてもおかしかった。聞けば、こうした問題に絡み、要請書を持参した学生らの面前でその書類を床に捨てたというからひどい。公式の場では、善人のように振舞うものの、自分自身の振る舞いを問われると途端に真っ黒な地金を明かすというケースはよく聞くが、大学教授も例外ではなかったようだ。
裁判を傍聴して、浅野教授が提唱したメディアの犯罪報道について実名原則から「匿名報道への転換」が脳裏に浮かび上がった。新聞に実名報道されることで受ける社会的実害が今も後を絶たない。地方新聞社に在職中、「犯罪報道の犯罪」(浅野健一著、学陽書房、1984年)を教えられ、夢中で読んだ。警察には「実名発表」を求める、これをメディアの責任で「匿名報道」に転換する。当時は当たり前だった事件報道の暴走への反省から「匿名」原則への転換という誰も気が付かなかった主張がとても新鮮だった。現職記者からの提言は外国の実例を調査報告して、鎖国状態だった我が国のメディア社会に、大転換を求めるものだった。
しかし、当時の新聞界をはじめとするメディア社会は、衝撃を受けながらも、「容疑者の呼び捨て廃止」などのわずかな改革を試みたものの、浅野理論が提起した問題を真正面から取り組もうとはしないで、尻つぼみに終わった。誠に残念なことだと思う。同志社大学を舞台に今繰り広げられる浅野教授をめぐる対立は人権と報道研究の行方に影を落とすことになろう。提起された問題の根は深いと感じる。(片桐元・元新聞社記者)
[ 私は2015年度に同志社大学へ入学しました。当然、浅野教授の不当解雇の件などは知らなかったのですが、徐々に学生への管理志向を強める同志社大学当局について疑問を抱き、ツイッターにおいて学生の管理強化に反対するアカウントを作成し、そこから浅野教授の不当解雇の件を知りました。
私が裁判を傍聴していて最もひどいと思ったことは、浅野教授の大学院博士後期士課程の「特殊研究A」の講義を受けていた外国政府の国費派遣での外国人留学生がいて、浅野教授の博士論文の指導を2014年4月1日以降、まったく受けられなくなくなったことです。これは同志社のみならず、その国家への裏切りであります。
また、被告側の法廷での証言が最後になるにつれて、しどろもどろになり、「わかりません」「記憶にございません」などと連呼しているところです。私は法学部で、定年延長になっている66歳の教授のゼミに入っています。そのゼミが突然なくなるなどと考えられませんし、あってはならないことだと思います。実際にそれが過去に同志社大学において起こったことについて、強い違和感と憤りを持っています。被告側は、まるで突然教授がいなくなることが「よくあること」かのように言っていますが、浅野教授のお話や、そのほかの大学について調べてみると、教授が急病になるとか何らかの事情で他大学へ急に移るとかの理由以外には、普通はあり得ません。また、浅野教授の場合、大学側は65歳で定年退職したと言い張っているのですから、浅野教授を特別任用教授(同志社女子大では定年延長制度をやめて特任教授制度に切り替えている)や嘱託講師など他の雇用形態で雇い、科目を担当してもらうことが簡単にできるはずです。
浅野教授を解雇した後、教員補充で公募して採用された教授(前創価大学教授)は浅野教授が担当していた大学院と学部の科目を一科目も担当していないと聞きました。同志社大学はいったい、どうなっているのでしょうか。
さらに、相手側弁護士がほかの浅野教授の地位確認裁判と同じというのは、被告が大学法人なのか個人なのか違いますし、問題がないとは言えません。
相手側の、浅野教授が同僚にいるから、帯状疱疹、突発性難聴などを罹患し、体調不良になっただのという主張もまったく根拠のない言いがかりだと思います。
また、2014年9月以降、浅野教授解雇反対の300名(現役学生含む)以上の署名が集まったとも聞いています。同志社大学当局は、学生、卒業生、市民らの意見を踏みにじり、学生の授業を受ける権利を侵害しています。浅野教授担当科目が数年間休講になっているのは、私は学部が違っても、同じ大学の一員として、ほっておけない事態だと感じております。
浅野教授を解雇した時の学長は2015年11月の学長選挙で大敗し、現在の学長が16年4月に就任しています。現在の大学執行部は3年前に起きたことを公正中立に調査して、浅野教授の解雇が正当だったかを再考すべきです。その結論が出るまで、休講になっている科目を、17年4月から、浅野教授に担当してもらうことができるはずです。
一在学生として、今後もこの裁判について情報を集め、それを多くの学生に知ってもらい、3年前に起きた浅野教授の不当解雇を糾弾していきたいです。 ](同大法学部2年生)
(以上)