被告が研究科委員会での定年延長否決はゼロと認める
浅野教授の地位確認訴訟・11回弁論――次回は4月12日
浅野健一・同志社大学社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授が、学校法人同志社(水谷誠理事長)を相手取り、2014年2月3日に提訴した地位確認訴訟の第11回口頭弁論が、2016年1月19日午後1時20分から、京都地裁第6民事部208号法廷で開かれました。傍聴した支援者らの報告をもとに支援会事務局から報告します。
担当裁判官は堀内照美判事=第6民事部総括判事、髙松みどり判事、渡邊毅裕判事補。原告代理人の武村二三夫、平方かおる、小原健司各弁護士が出席しました。
同志社大学法学部と文学部の現役学生、私大教授、元浅野ゼミ生の父親、市民の5人が傍聴しました。被告側は代理人の小國隆輔、多田真央両弁護士が出席。被告側の傍聴者はいつものように冨田安信・社会学研究科産業関係学専攻教授(前社会学研究科長)と松隈佳之・社会学研究科事務長の二人だけでした。
弁論では、被告側が準備書面(4)、乙59~75号証の書証、証拠説明書を提出。原告側は第9準備書面(1月20日付)を提出しました。
原告側の第9準備書面では、以下のように主張しました。
〈同志社大学大学院教授のうち、定年延長の対象となったにもかかわらず、死亡退職以外の理由で70歳まで定年延長されず65歳ないし69歳で退職した者について、研究科委員会で定年延長の可否について実質的な審議が行われ、その結果、研究科委員会で定年延長を認めることを否決された案件は1件もない。
すなわち、原告が繰り返し主張しているとおり、被告においては同志社大学大学院教授の定年は、実態として当然に70歳まで延長される運用になっていたものである〉
〈原告は、前回期日において、被告に対し、定年延長の対象になったにもかかわらず70歳まで定年延長されなかった者のうち、原告のように教授本人が定年延長を希望していたために研究科委員会で定年延長の可否について実質的な審議が行われ、その結果、研究科委員会で定年延長を認めることが否決された案件は何件あるか、及びかかる案件があった場合、その教授名を明らかにするように釈明を求めた。そして、被告は、本年1月12日までにこれに対する釈明を行うことになっていた(第10回口頭弁論調書)。
ところが、被告は、本日までこの求釈明に対する釈明を行わない。
すでに述べたところであるが、被告は、これまで、定年延長は研究科委員会での実質的な審議を経て理事会に提案するかどうか決定されると主張してきている。仮に、かかる審議がなされてきたのであれば、①被告内部の人事案件(新規採用、昇進、院教授任用など)として当該研究科の会議記録に残されないということはあり得ないし、②その記録は性質上永続的に保存され廃棄されないし、③被告が本訴での前記求釈明を受けて調査確認することは十分に容易く可能である。
それにもかかわらず、あくまでも釈明に答えないとの被告の態度は、要するに、「定年延長について研究科委員会での実質的な審議を経て理事会に提案するかどうか決定された」事実はない、すなわち、被告の同志社大学大学院教授のうち、定年延長の対象となったにもかかわらず、死亡退職以外の理由で70歳まで定年延長されず65歳ないし69歳で退職した者について、研究科委員会で定年延長の可否について実質的な審議が行われ、その結果、研究科委員会で定年延長を認めることを否決された案件はないということを示しているといわざるを得ない〉
口頭弁論では、武村二三夫弁護士が①第9準備書面の1、2を認否されたい②乙59への求釈明の回答を待って、検討のうえ、主張を整理し、3月中に提出する―との意向を表明しました。被告側は①について、必要性を含め検討する②について、2月1日までに回答する―と表明しました。
堀内裁判長は「原告側の主張整理が終われば、証人の採否を検討し、証人尋問へという流れか。今回提出された規定類は本件以降の時期に改定されているものがあるが、改定前のものがあれば被告から提出されたい」と述べました。
次回期日は2016年4月12日(火)午後1時10分、同じ地裁208号法廷です。
裁判長の指示に従い、被告代理人は2月1日に「準備書面(5)」を提出しました。それによりますと、定年延長が必要ないと研究科長が判断した場合は記録に残らないので、会議記録はないと主張しています。〈(浅野事例のように)教授本人が定年延長を希望していたために研究科委員会で定年延長の可否について実質的な審議が行われ、その結果、研究科委員会で定年延長を認めることが否決された案件は何件あるか〉という求釈明に対し、 この書面(3ページ)には、〈研究科長が定年延長の議案を教授会(研究科委員会の誤り)に上程したが審議の結果否決された事例は2014年(2015年度の定年延長事案)に文化情報学研究科において1件あるのである〉という記述があります。つまり、1975年以降、研究科委員会の審議で拒否されたケースは2014年の文化情報研究科しかないと言っているのです。しかも、2014年の事案は、浅野教授の不当解雇の次年度の出来事であり、本裁判には関係ありません。文化情報学研究科の事案がどういうものかも不明です。
会議記録(議事録)がないのは、定年延長対象者の意思に反して研究科委員会で拒否された前例がないので、「ない」のです。
また、一研究科の責任者に過ぎない研究科長がなぜ〈学校法人が必要としない〉という判断ができるのか全く理解に苦しむのです。
この裁判で堀内裁判長の指示もあり、被告・同志社から、1975年から2013年に定年になった院教授を示す「原資料」(乙58号証)が出されました。原告側は被告が出したリストの中から、65~69歳の間で定年延長されず70歳になる前に退職した大学院教授58人(死亡者を除く)の一覧表を学部(研究科)別に作成し、定年延長しなかった理由を調査することにしました。なお、58人の中には、理工学研究所(15年3月末に廃止され、「ハリス理化学研究所」に改組)も含まれていますが、同研究所の教授の中には大学院で教えていた教授もいましたが、指導する院生はおらず、定年延長対象者ではありませんでした。従って、54人が調査の対象です。
このリストの中に浅野教授のケースのように、当人が70歳までの定年延長を希望しながら、専攻会議・研究科委員会において審査・審議されて、当人の意思に反して延長を拒否された院教授がいるかどうかを調べています。
原告側は、同志社大学において大学院教授は特段の事情がない限り、本人が希望すれば70歳まで延長されており、院教授は70歳定年が制度化していると主張してきました。これに対し、被告側は、定年延長の可否は「学校法人同志社が必要」と認めるかどうかを、理事会などできちんと審議して決定おり、定年延長が認められないケースもあるという主張を展開しています。
浅野教授のような形・理由で69歳までの間に辞めさせられた事例がないことが分かれば、同志社大学においては、大学院教授は70歳定年が制度化していることが明確になります。
70歳まで働かなかった人たちは、他大学へ移籍(学長、副学長就任を含む)、健康上の問題、悠々自適の生活を選択などの自己都合がほとんどです。大学のハラスメント委員会でセクハラが認定されて定年延長を辞退した院教授が一人います。
被告の法人側は、浅野教授のような「研究科委員会・専攻会議で定年延長拒否=不当解雇」の事例があるなら、記録を出せるはずですが、浅野教授が追放された後の文化情報学研究科に「研究科委員会で拒否した事案がある」と言っているだけです。
原告側は54人の中に、自らの意思に反して定年延長を拒まれた大学院教授は1975年以降いないことを明らかにした書面を提出する予定です。
*口頭弁論の日に被告・法人事務部長ら逮捕
第11回口頭弁論が開かれた1月19日は早朝から、被告である学校法人同志社の事務方のトップである北幸史・事務部長ら6人が廃棄物処理法違反(無許可収集・運搬)の疑いで逮捕され、大学内にある学校法人の施設課などが家宅捜索されていました。
北部長は学校法人同志社が出資する関連会社「同志社エンタープライズ」の社長も兼ねています。京都地検は2月9日、北氏ら6人を処分保留で釈放しましたが、京都府警は2月18日同志社大学の山下利彦施設部長と担当者2人の計3人を廃棄物処理法違反容疑で逮捕、 学校法人同志社の水谷誠理事長室を関係先として捜索しました。2回の逮捕では、被疑者の自宅で撮影された動画が放送され、大学の捜索では正門前などからの中継もありました。2回の逮捕はテレビなどが全国に放送し、入試シーズンの重なったこともあり、動揺が広がりました。ある学生は「同志社はパニックです。最近の同志社は学生たちも怒っています」と言っています。
学校法人同志社の水谷誠理事長は1月19日夜、「今後このような事態がおこらぬよう指示を徹底したい」とするコメントを発表しました。
1月19日の強制捜査は正午のNHK、民放各局が全国ニュースで報じていましたから、堀内照美裁判長ら裁判官も知っていたと思われます。19日の法廷では、いつもは、浅野教授に目線を合わせて軽く挨拶してきた冨田前研究科長、松隈佳之事務長も終始、硬い表情で、原告席を見ることはありませんでした。閉廷後もそそくさと立ち去りました。小國隆輔弁護士ら(大阪・俵法律事務所)も、自分たちの依頼者である学校法人同志社の異常事態を知っていたことでしょう。
浅野教授の地位確認裁判で、学校法人同志社の事務方の責任者が法廷に一度も姿を見せず、本来、研究科・学部において教職員の教育研究環境、福利厚生を守るのが主な仕事であるはずの冨田、松隈両氏だけが傍聴席にいるのかと問題提起してきました。彼らには別の重要な業務があるはずなのに、出頭する必要のない浅野教授の労働裁判を傍聴するのはおかしいのではないでしょうか。
浅野教授の裁判の被告席に座るべきは、学校法人同志社の人事総務部門の責任者です。北幸史・法人事務部長または北氏の部下が被告席に、小國弁護士らと共に座るべき当事者なのです。北氏は「浅野教授は学校法人にとって必要のない院教授」として、浅野教授の解雇を決めた法人の事務部長です。北部長は浅野教授の解雇を冨田氏・渡辺氏(名誉教授)グループらと共謀して強行し、この裁判で小國弁護士らを選任したのも北氏らでしょう。
怪文書「5人裁判」の代理人弁護士に、この裁判と同じ小國・多田真央両弁護士を紹介したのも北氏の可能性があります。
北部長は、冨田氏らに浅野教授の裁判を仮処分の審尋から、傍聴させてきたのです。地裁内で浅野教授の支援者にビデオカメラで撮影されたとウソを地裁総務課長につき、地裁が約半年、法廷に警備職員を配置する事態になったこともあります。これも北部長が絡んでいたと思われます。浅野教授の裁判を傍聴した支援者の中に、ビデオカメラを持っていた人はいません。
学校法人同志社はこのウソの告げ口の頃から、小國弁護士らの他に大阪の淺田法律事務所の米倉正美・小谷知也両弁護士にも弁護を依頼しています。淺田事務所のHPによりますと、同事務所は〈民事介入暴力事件の処理や反社会的勢力の排除に積極的に取り組んで〉いるということです。北部長らは、浅野教授と支援者を「反社会的勢力」とみなしたのでしょうか。
なお、浅野教授が起こした怪文書5教授裁判の弁論準備手続きで、小國隆輔弁護士が同志社大学法科大学院の嘱託講師に就任していることが分かりました。「彼ぐらいのキャリアで同志社のロースクールの講師になるのは極めて異例」とある立命館大学法科大学院出身の弁護士は言っています。
2月初め、副学長に3年前の学長選挙で村田氏に僅差で敗れた文学部英文科の圓月勝博教授らの就任が決まりました。この地位確認裁判で、原告側が証人申請した大学事務方トップの吉田由紀雄副学長・事務局長の更迭も発表されました。
法人が同志社エンタープライズを設立した時、浅野教授は社会学部教授会で「学校法人が非正規職員を雇うための人材派遣企業のようなトンネル会社をつくるのはおかしい」と反対したが無視されたということです。
北部長は地位確認裁判の被告である法人の人事総務部門の責任者で、法人の代理人である小國隆輔・多田真央両弁護士を選任し、報酬を支払っています。弁護士費用は学生の授業料と国庫補助金から出ているのです。
安倍首相とこの時期に「会食」した村田学長
村田学長は学長選挙に負けて破れかぶれになったのか、1月26日、戦前回帰で暴走を続ける安倍首相と官邸で会食しました。1月27日の朝日新聞の「首相動向」後半は以下のようでした。〈5時1分、谷内正太郎国家安全保障局長、北村滋内閣情報官。11分、谷内氏出る。24分、北村氏出る。31分、国家安全保障会議。(略)52分、公邸。村田晃嗣同志社大学長と食事。世耕弘成官房副長官同席。9時11分、全員出る。〉
村田氏の官邸入りの前に首相が会った北村氏は「朝鮮総連にはできることは何でもやれ」と号令をかけた元公安警察官僚で、秘密保護法強行成立の黒幕で「官邸のアイヒマン」(「週刊現代」)と呼ばれている人です。谷内氏は、元毎日新聞記者の西山太吉さんが「絶対許せない」という元外務官僚。谷内氏は沖縄密約の民事法廷で「密約はない」と何度も偽証した対米隷従の人間です。世耕氏は官邸で言論弾圧を進める中心人物です。
首相と村田氏の会食は二時間一九分。首相は昨年夏の国会公述に謝意を伝えたのでしょう。年齢が五十代初めで、まだ若い村田氏を政界に誘ったのではないかという声もあります。
浅野教授は2月1日、同大広報課を通じ村田学長に①北氏らの弁護人は誰か、弁護士費用はどこから出ているのか、私の裁判で出している弁護士費用の額はいくらか②首相との会談内容、食事費用・往復交通費など誰が出したか―などを文書で聞きました。植村巧広報課長から3日、「ご質問には応じかねます」といういつもの“回答”が浅野教授にありました。
同志社大学は13年3月、学内に交番を設置しました。交番の敷地を府警に無料で提供しています。同志社には大学院教授の70歳定年延長制度を存続させるため、65歳で退職する院教授ではない教職員に、5年間、年間約300万円前後のヤミ年金手当(大学一般予算から拠出)を支給している問題もあります。同志社香里中学校では16年4月から育鵬社の歴史教科書が使われます。キリスト系学校では初の採用です。リーマンショック後も授業料が上がり続けています。再選は拒まれましたが村田学長の新自由主義的政治姿勢(自衛隊関連の講演も)の問題などもあります。
浅野教授は「同志社大学には、天皇制、死刑制度に反対する活動家や、先の京都市長選で共産党候補者の女性を街頭で懸命に応援し、「ドアホノミクス」という用語を使い安倍政権を批判するリベラル・左翼教員が多数います。ノーム・チョムスキー米MIT教授は〇二年、「自分の住む地域の教会や働く職場で、理不尽なことや不正義なことがある時に闘えるかどうかが重要だ。遠い世界で起きていることに論評するのは誰にでもできる」と私との対談で語りました。同志社大学の内部で起きている理不尽なことに、同大の教職員、学生が立ち上がってほしいと願う」と話しています。
裁判官になってはいけない
浅野教授が1994年に共同通信記者を辞し、大学院教授として同志社大学に就任して以来、大学院と学部で担当していた科目は今も休講になったままです。労働裁判中にもかかわらず、浅野教授の補充人件として15年4月に採用された伊藤高史教授(前創価大学教授、元新聞協会職員)は、浅野教授の科目である「新聞学原論」を担当していません。学生たちは15年7月から浅野教授の科目の開講を求めて何度も署名運動をしていますが、中村伸也学長室庶務課長は、要望書を持参した4年生2人に、「こんな署名を集めても意味ないよ」と言い放つなど、新島襄精神に反するような姿勢を示しています。
放送行政の責任者である高市早苗総務相が2月8日の予算委員会以降、放送局への「停波」命令の可能性に言及しています。これに対し、樋口陽一・東大名誉教授(憲法)ら5人で、法学や政治学などの専門家でつくる「立憲デモクラシーの会」の会員が3月2日、東京都内で記者会見し、「政治的公平」などを定めた放送法4条を根拠に処分を行うことは憲法違反にあたるとする見解を発表しました。
樋口氏は「何人も自分自身がかかわっている事柄について裁判官になってはならないという、自由民主主義社会の基本原則が肝心な点だ」と述べ、政治的公平を政治家自身が判断することの問題点を指摘しました。
浅野教授を追放したメディア学専攻の教授5人と冨田氏らは、「自分自身がかかわっている事柄について裁判官になり、自由民主主義社会の基本原則である適正手続きを無視している」のではないでしょうか。
安倍官邸と自民党が言論弾圧を強める中、ジャーリズムのあり方を教育研究してきた浅野教授の活動が今こそ求められているのではないでしょうか。
同志社大学は16年4月1日、松岡敬・新学長の執行部体制になります。村田学長体制で、浅野教授の裁判を受ける権利を蹂躙し、労働権を奪い、完全追放し、浅野研究室を強奪し、浅野ゼミ20期生を強制解散させてきた過去の暴挙を猛省し、浅野教授とよく話し合い、学生のために和解の道を探るべきではないでしょうか。