裁判長が被告に定年退職者の人数で説明を要請 浅野教授の地位確認訴訟・第8回弁論――被告捏造の疑い、次回は9月10日
原告側が11人の陳述書を提出
浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授が学校法人同志社(水谷誠理事長)を相手取って提訴した「従業員地位確認等請求訴訟」=平成26年(ワ)第310号=の第8回口頭弁論が6月18日(木)午前10時20分から約15分、京都地裁(第6民事部)208号法廷で開かれました。担当裁判官は堀内照美判事=第6民事部総括判事、髙松みどり判事、渡邊毅裕判事補。傍聴した支援者の報告をもとに支援会事務局から報告します。
原告側は庄司俊作・同志社大学人文科学研究所教授、野田正彰・前関西学院大学教授、山口正紀・元読売新聞記者、霍見芳浩・米ニューヨーク市立大学名誉教授、矢谷暢一郎・米ニューヨーク州立大学教授、福本高大さん(出版社社員)、ナジ・イムティハニさん(インドネシア国立ガジャマダ大学専任講師、14年3月に院博士課程を満期退学)、K・Yさん(元政策学部学生)、R・Kさん(元刑事事件報道被害者の父)、R・Yさん(浅野ゼミ14生)と原告・浅野教授の陳述書などを甲65~84号証として提出しました。
被告側は、乙56号証として、冨田安信・前社会学研究科長(社会学部長兼任、現在社会学部産業関係学科教授)の陳述書を提出しました。冨田氏の陳述書は、浅野教授を「不良教授」と規定しています。また、自身は労働経済学者として、浅野教授の解雇は正当と述べるなど、メディア学専攻の4教授が研究科委員会で配布した怪文書より悪質な人権侵害文書です。冨田氏の陳述書を読みたい方は、支援会へ連絡ください。
堀内裁判長は冒頭、「人証の期日のことに入る前に聞きたい」と述べ、被告が4月6日に乙第55号証として提出した「定年退職の人数構成」(3月31日作成、1頁)に関し、原告が4月20日に出した「原資料の提出について」と題する求釈明文書で、この書面の根拠となる原資料の提出を求めたことについて尋ねました。裁判長が被告代理人の小國隆輔弁護士(俵法律事務所、大阪弁護士会)に、「被告側は釈明はしないのか」と聞いたのに対し、小國弁護士は「それでは、ここで簡単に説明しますが、各学部に散在している資料を集める作業をして、口頭で聞き取りなど、手作業で作成しました。学科として一つのものが学校にあるわけではありません」と答えました。原告側の武村二三夫弁護士は書面での回答を求めると表明しました。小國弁護士は「乙55の基礎データについては、提出できるかどうかも含め、持ち帰って検討したい」と答えました。裁判長は「どれくらいの期間が必要か」と質問、小國弁護士は「1カ月ぐらい」と答えました。裁判長は被告側に7月17日までに提出を求め、次回期日は9月10日(木)午前10時、208号法廷になりました。
原告側が証人申請している冨田安信教授、庄司俊作教授と私などの証人尋問は10月以降になる見込みです。
支援者の庄司俊作・人文科学研究所教授は被告側の乙55号証について、《まず作成の資料を挙げてもらう必要がある。被告の示した数字は、偽りのデータの可能性もある。一見して、大学院教授で65~69歳で退職した人数が一般的想定よりかなり多い。何よりも、この場合、なぜ70歳までいかなかったのかが問題(死亡・病気等による本人都合の退職が多い)。また当然ながら、理工学部と文系ではかなり違う。いずれにしても、文系では浅野教授やY氏(BS研究科、2回目の定年延長を拒否された)のようなケースは極めてレア・ケースであることは間違いない。だから訴訟も起こっている。この点は既に主張した点だが、必要があれば念のため相手側が利用した資料を使って再度主張することも考えたらいかがか》と弁護団に提案していました。原告側は被告が既に提出しているデータをもとに、定年延長を希望している院教授の中で、定年延長を拒否された例はないと証明しています。
庄司教授は、被告が提出した書証をもとに、定年延長は慣習にとどまらず、制度になっていることを示す陳述書を提出しています。
裁判長は当初、次回は人証に入る予定でしたが、被告側の回答を求めるために期日を入れることになりました。このため、冨田氏らの証人尋問は10月以降になります。
今日の裁判には、冨田安信研究科長と松隈佳之社会学部・社会学研究科事務室事務長の他、中年男性が一人、冨田、松隈両氏のすぐ後ろの席で傍聴しました。冨田氏は、次回に人証があると思って、偵察に来たのでしょう。冨田氏は傍聴席から浅野教授の方を見て、会釈していました。浅野教授を誹謗中傷する悪意に満ちた陳述書を出していることを忘れているのでしょうか。
原告側は、法学部4年生を含む支援者10人が傍聴しました。
口頭弁論終了後、地裁1階ロビーで、報告集会が開かれました。平方かおる弁護士は「被告側が出した定年退職者に関する数字の根拠を示せなければ、当方が出した具体的な書証が証拠になる。我々は定年延長を希望する65歳の院教授は全員定年延長されていることを証明している。今後の予定だが、9月の次回期日、その後、10月から11月に人証の後、双方が最終準備書面を提出し、結審となる。判決は今年度内(16年3月末)に出ることになると思う」と話しました。
支援者から弁護団に対し、「当時院後期2年で学振特別研究員に内定していた院生が、13年12月初旬以降、冨田研究科長ら大学当局からの父親も巻き込んだ威圧、甘言を受けて、浅野教授の支援から離脱した過程で、院生は原告の弁護団会議に数回参加し、大学が浅野教授を懲戒解雇する、支援学生を退学処分にする危険性があると述べて、大学の報復を怖がっていたことをリアルに話している。別の弁護士にも相談している。院生から法律家が聞いたことを報告書の形で裁判所に提出し、この院生らメディア学専攻・学科の学生が14年8月ごろからなぜ、沈黙するようになったかを裁判官に理解してもらうべきだ」と要請しました。小原健司弁護士は、橋本太一弁護士と協力して、2週間以内に報告書案を書くと約束しました。
浅野教授は「私の窮地を救おうと、海外の研究者も含め、大学教員、元学生、報道被害者、支援者がすばらしい陳述書を書いてくれ、敵の論理矛盾を指摘してくれた。特に定年延長は2月の理事会での審議で決まり、3月の担当科目時間割表などの送付が定年延長の労働契約の要請で、特に返事がなければ雇用するという主張しながら、冨田研究科長や村田晃嗣学長は、定年延長は各研究科の審議事項で、専攻で決めたものしか研究科で審議しないなのが原則と主張している。冨田教授の陳述書は、同僚4人と渡辺武達教授が作成し配布した怪文書の拡大版だ。私はこの裁判に勝たなければならない。勝てば、私を追放した5人と冨田教授には、大学から去ってほしいと思っている」と述べました。
●渡辺教授の補充人事なのに池田教授と同領域で公募
浅野教授によると、この日(裁判のあった6月18日)、日本マス・コミュニケーション学会からのお知らせメールで、同志社大学がメディア学科教員公募を開始していることが分かり、浅野教授は電話で大学に直ちに抗議したようです。
以下は浅野教授の報告です。
[ 2015年6月18日
地位確認裁判を無視して原告の後任を採用
同大メディア学科が教員公募
―浅野勝訴なら定員オーバー
日本マス・コミュニケーション学会事務局から6月18日午前9時すぎ、「事務局からのお知らせを掲示」として、「同志社大学 社会学部メディア学科教員公募のお知らせ」が以下のような電子メールで届いた。
私はこのメールを18日午後1時頃読み、メディア学科のHPを開いて見た。私は午後1時15分ごろ、この公募は私の京都地裁民事6部における地位確認裁判を無視した不当な公募であるので、大学と社会学部はただちにこの公募を中止するよう口頭で要求した。私は「大学は14年6月に3人の公募をしたが、2人しか採用しておらず、私の補充人事で採用したはずの伊藤高史教授は14年度に私の担当科目を担当していない。私の院と学部の担当科目はすべて2年連続、休講になっている。従ってこの公募は実質的に浅野の後任補充の公募である」と指摘し、公募を中止、停止しない場合は、法的措置を検討すると伝えた。
以下は、同志社大学の公募要領である。
《社会学部メディア学科 専任教員公募
採用職名および人員
教授・准教授あるいは助教 1名
専門分野
情報と社会、あるいは社会心理に関する研究領域
担当予定科目
情報行動論、メディア学実習、メディア学基礎演習、メディア学演習Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳなど
応募資格
1.博士以上の学位を有するか、それと同等以上の学識と業績を有すること。
2.大学・短大での教育経験を有すること(非常勤講師を含む)。
応募締切日
2015年8月31日(月)必着
*書留郵便または宅配便で送付してください。社会学部事務室窓口への書類持参は受け付けません。
採用予定
2016年4月1日 》
私が同志社大学から完全追放された2か月後の2014年6月、同志社大学社会学部がメディア学科の教員3人(任期付き1人含む)の公募を始めた。渡辺武達教授と勝野宏史准教授(任期5年の1年を残して14年3月大阪経済大学教授に就任)と私の後任補充人事でした。この後、同年12月4日の大学評議会で、以下のような人事を決定した。
《(議長)2015年4月1日付、社会学部メディア学科で伊藤高史氏を教授として採用する人件です。浅野健一先生の補充人件で、担当科目は資料記載のとおり。(略)
社会学部メディア学科で阿部康人氏を助教(有期)として採用する人件です。任用期間は2015年4月一日から2020年3月31日です。》
伊藤教授は創価大学文学部教授からの移籍だった。「浅野健一先生の補充人件」で採用された伊藤氏は元日本新聞協会職員で、私の福島原発報道に関する論稿について、「最初から反原発の立場で論じている」「新聞、テレビは企業であり、浅野氏は企業にないものねだりをしている」などと非難する論文を日本大学法学部新聞研究所の紀要に発表し、私の記者クラブ廃止論も批判する論文を書いている。
14年12月当時、不思議なことに、メディア学科は3人を公募したが、2人しか採用しなかった。
私は地位保全の仮処分申請は棄却となったが、地位確認を求め京都地裁民事6部において係争中で、もし私が勝訴して教壇に復帰すれば、学科の定員枠を1人オーバーになる。法令で設置されている大学では、教員と学生の定数が決まっており、定員をオーバーして専任教員を雇用することは許されない。「多い分にはいいではないか」と言う人もいるが、学生の授業料、国庫補助金(税金)で大学の予算はまかなわれており、コンプライアンス上、大問題だ。同志社大学の、私が裁判で勝つはずがないという司法無視の姿勢は、新島襄の建学理念に真っ向から反している。
さらに不思議なことに、大学評議会で私の「補充人事」と明言している伊藤氏は、私の学部担当科目である「新聞学原論Ⅰ」「新聞学原論Ⅱ」の授業を担当しておらず、15年度も「休講」になっている。
私が6月8日付で京都地裁へ提出し、18日の口頭弁論で陳述した陳述書の「9 その他の法人側主張への反論と私を取り巻く現状」の「(3)地位確認裁判中に私の後任を採用」で、以下のように書いた。
《私が追放されて2カ月後の2014年6月、同志社大学社会学部がメディア学科の教員3人(任期付き1人含む)の公募を始めました。渡辺教授と勝野准教授(任期5年の1年を残して大阪経済大学教授に)と私の後任補充人事でした。私は地位保全の仮処分申請は棄却となりましたが、地位確認を求め京都地裁において係争中で、もし私が勝訴して教壇に復帰すれば、学科の定員枠を1人オーバーになります。大学では、教員と学生の定数が決まっており、定員をオーバーして専任教員を雇用することは許されません。
私の請求が本裁判で認められれば、定員を1人オーバーします。「多い分にはいいではないか」と言う人もいますが、学生の授業料、国庫補助金(税金)で大学の予算はまかなわれており、コンプライアンス上、大問題です。私が裁判で勝つはずがないという司法無視の姿勢は、新島襄の建学理念に真っ向から反しています。
浅野ゼミにゲストで来てくれ、東京合宿でも何度もお世話になった放送局の報道社員から14年6月12日に届いたメールで、この教員公募のことを知りました。
【浅野先生からのメール、毎回、同志社の一派に憤りを感じながら拝読しています。
その同志社大学社会学部がメディアで教員公募を始めました。浅野先生の穴埋めかと思うと腹が立ちます。
私はいずれ大学教員に転身したら、朝日新書から『大学教員への道』みたいな本を出してもらえることになっていますので、そのときに、同志社の件にも触れたいと思っています。
まずは先生の訴訟での勝利、祈念しております。】
被告学校法人同志社と社会学研究科の教員スタッフと事務当局の人たちは全く分かっていないようですが、私の同志社大学教授としての地位は消えていません。日本は三権分立の民主主義・法治国家ですから、司法の場で係争中の事案について、大学が勝手なことをできないはずです。私は国際的に認められている労働者の権利、日本国憲法で保障された裁判を受ける権利と労働して生きる権利を行使して、地位確認裁判を起こしているのに、被告はそれを無視して、「浅野なき」メディア学専攻・メディア学科の体制づくりにまい進してきました。
同志社大学評議会は14年12月4日の大学評議会(大学の最高決定機関)で採用人事を決めています。私の後任人事は裁判無視の暴挙です。
私の後任に決まった伊藤氏は元日本新聞協会職員で、私の福島原発報道に関する論稿について、最初から反原発の立場で論じていると非難する論文を日本大学法学部新聞学科の紀要に発表し、私の記者クラブ廃止論も批判する論文を書いています。
大学評議会で、村田学長が私の「後任補充人事」と会議で明言しているのは、私の地位確認裁判無視です。
私は、カストリ雑誌研究などで著名な故・山本明教授の後任補充の公募で採用されましたが、山本先生は脳梗塞で倒れ、約4年間休職していました。学科(当時は新聞学専攻)はその間、後任を募集せず、「定員1減」のままでメディア学科はやりくりしていました。
また、この人事では、准教授の河崎吉紀氏(浅野ゼミ2期生)が院前期任用になっています。小黒氏も博士後期の任用が決まっています。竹内、佐伯両教授らは2012年と13年の会議で、この2人について「業績、教育経験がまだ少ない」として、それぞれの任用を見送っていました。「浅野がいなくても困らない」と偽装するために、人事が進んでいます。】