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原告・被告双方が冨田安信・研究科長を証人申請
浅野教授の地位確認訴訟・第7回弁論――原告が第6書面提出、次回期日は6月18日

 浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授が学校法人同志社(水谷誠理事長)を相手取って提訴した「従業員地位確認等請求訴訟」=平成26年(ワ)第310号=の第7回口頭弁論が4月9日午後4時25分から、京都地裁(第6民事部)208号法廷で開かれました(担当裁判官は堀内照美判事=第6民事部総括判事、髙松みどり判事、渡邊毅裕判事補)。傍聴した支援者の報告をもとに支援会事務局から報告します。

元法学部長が被告側主張の誤りを指摘する陳述書

 この日、原告側は、定年延長に関する雇用契約についての被告の荒唐無稽な主張に全面的に反論する第6準備書面を提出しました。一方、被告側は、3月23日までに原告書面に対し反論を提出すると約束していた準備書面を出しませんでした。また、被告側は、同志社女子大では院教授も全員が65歳定年であるとか、65歳から70歳までの定年延長者の数を並べた書証を提出しました。

 傍聴席には他大学教授、福本高大さん(鹿砦社)、同志社大学法学部4年生、同志社卒業生、「浅野ゼミ」卒業生の両親、映画監督、ボランティア活動家(京都市)の9人が参加しました。一方、被告側は今回も、冨田安信・同志社大学大学院社会学研究科長(社会学部長兼任)と松隈佳之社会学研究科・社会学部事務長の姿がなく、被告代理人・俵法律事務所(大阪)の小國隆輔、多田真央両弁護士が出席しただけでした。

 原告側は元同志社大学法学部長で名誉教授(元同志社大学教職員組合書記長)の西田毅さんの陳述書を提出。被告側は、〈大学院教授の定年延長は毎年2月に開かれる理事会で決まった後、3月末に定年延長対象者に送付する「個人別時間割表」と「出講案内」で、定年延長後の雇用の申し込みを行い、特段の異議がない場合は黙示の承諾があったとして、「労働契約の合意」が成立する〉という趣旨の主張をしていますが、西田名誉教授は陳述書で、この被告主張が事実に反することを証明しています。

 原告側はまた、前田朗・東京造形大学教授が『マスコミ市民』14年5月号に書いた「ジャーナリズム精神なきメディア学」と題する論稿を証拠として提出しました。前田教授は、〈浅野教授追放の背景には、浅野教授が起こして完全勝利した週刊文春、対渡辺教授の二つの裁判があり、メディア学教員が週刊誌メディアを使って浅野教授を社会的に抹殺しようとした一連の動きがある〉と指摘しています。

 この日、原告・被告双方が証人証申請の証拠申出書を提出しました。原告側は原告本人、庄司俊作・同志社大学人文科学研究所教授、冨田安信社会学研究科長(産業関係学専攻教授)の3人を申請。被告側は冨田研究科長を申請しました。被告側は、浅野教授を追放した「臨時専攻会議」(メディア学専攻の院教授4人)の中心人物で、「怪文書」作成の責任者である小黒純教授(龍谷大学から12年4月移籍)は証人申請しませんでした。

 被告側が裁判所に出した冨田氏への尋問事項の中に、「原告(浅野)の退職後の状況」とあります。被告代理人は冨田氏に〈浅野教授がいなくなっても、学生や大学は何も困っていない〉と証言させるのでしょう。「同志社大学の定年延長制度について」という事項もあります。社会学研究科の教育研究の責任者(教員学生の教育研究環境を守るのが仕事)に、法人の雇用問題を話させるというのです。これは本来、法人の水谷誠理事長または総務人事部門の責任者が証言すべきことがらです。

 判長は「原告と被告の人証の件、了解した。申請した証人の陳述書と原告の追加陳述書提出の期限は5月26日でどうか」と提案。原告代理人の武村二三夫弁護士は「人証を追加申請するかもしれない。陳述書はその期日までには提出する」と返答し、被告側の弁護士も同意、5月26日を陳述書提出の締切日とすることが決まりました。裁判は10分ほどで閉廷、次回期日は6月18日(木)午前10時20分、京都地裁208号法廷になりました。

 原告側が出した西田名誉教授の陳述書は、浅野教授の名誉回復と同志社メディア学の暴走をストップさせるための重要な裁判に、大きくプラスになることでしょう。西田名誉教授は陳述書の結びで、「教授会の自治」とは何かを歴史を論じて指摘し、同志社の創立者、新島襄の遺訓を引用して次のように述べています。
《新島襄が遺言で、同志社は将来盛んなるに従い、教育活動が機械的に流れることを警戒し、学園が些末なトリビアリズムや官僚主義によって毒されることを厳に戒めています。いたずらに他者を排除し、「倜儻不羈」なる人物を抑圧することは、自由と寛容をモットーとする新島精神に反する態度であることを改めて拳拳服膺したいと思います。》

冨田氏証人尋問で浅野教授追放の真相究明を

 今回、双方が証人申請した冨田氏が所属する社会学研究科産業関係学専攻、社会学部産業関係学部に博士後期課程ができたのは数年前であり、冨田氏はまだ博士論文の主査を務めたこともありません。

 冨田氏は理事会審議の3カ月前から、「研究科の何人かの教員と相談」した上で、浅野教授の14年度の院と学部の担当予定科目(13年10月16日までに専攻・学科会議で決定済み)をすべて、院は「未定」、学部は「休講」と決定しました。13年度、浅野教授は院メディア学専攻の教務主任(学長任命、研究科長を補佐)で、この決定を無効として撤回を求めていましたが、完全に無視しての強行でした。

 冨田氏は14年4月初旬には、博士後期課程の矢内真理子氏とナジ・イムティハニ氏の「指導所見」を浅野教授に書かせず、2人を指導したこともない別の教員に書かせ、矢内氏の日本学術振興会特別研究員(2年間、研究課題は福島原発報道)の「受入教員」の変更届を14年4月7日、「浅野が書かない」と虚偽記述して提出しています。

 また冨田氏は、このHPで既に指摘されていますが、14年6月、本裁判の口頭弁論終了後、裁判所内の廊下で浅野教授を支援してきた傍聴者の胸を突き、「(仮処分の審尋の時に)ビデオカメラで撮影された」などとウソをついて、小國弁護士を通じて裁判所に虚偽の告げ口をするなど、研究者としてあるまじき行為をしています。

 冨田氏が、浅野教授の定年延長の審議の際、浅野教授が退席・不在の中で可決要件を独断で決め、「過半数の出席で三分の二の賛成」を課して無記名投票したのは、重大な手続き違反です。冨田氏は「粛々と」浅野教授の定年延長を提案しないと決め、「研究科の決定は理事会で尊重されるのが慣例」と公言して、理事会での審議を待たず、14年度の全科目担当者名を抹消しました。自公政権でもやらない「数の暴力」で、渡辺武達教授と学科教員5人と共に、ファッショ、暗黒裁判、クーデターを起こした張本人です。冨田氏は雇用問題が専門。偽証罪が問われる法廷で、原告側は冨田氏を徹底的に追及するでしょう。

 弁論終了後、裁判所1階の弁護士控え室で、弁護団を代表して武村弁護士と小原健司弁護士が、傍聴した支援者に今後の裁判の流れや争点を説明しました。その質疑が1時間ほど続き、5時40分に終了しました。

 以下は、学内のある支援者(現職教授)から浅野教授に3月19日に届いたメールです。

《西田毅名誉教授の陳述書を拝読。油断は禁物ですが、被告側にはもう主張の材料は残されてないと思いますので、この裁判に勝てる可能性もかなり出てきたのではないでしょうか。(仮に浅野先生が勝った場合、現在のメディア学科の状況を考えたとき、どうなるのか、私などには想像もできませんが)。

今後、専攻有志の「決議」、研究科委員会の「決定」なるものが大学の自治の名に値しないいい加減なものであることを、さらにあの手この手をつかって徹底して詰めていく必要があります。これまで以上にお気を強く持って頑張っていきましょう。》

 同志社大学では、学生、教職員のほとんどが、「浅野教授が裁判に勝って教壇に復帰する」ことを全く考えず行動しています。日本では民衆が革命を起こしたことがないので、権力者の決めたことを覆せないと考えているのでしょう。「お上」に弱く、長いものに巻かれてしまうのです。

 浅野教授は「私は、村山富市首相がオウム真理教に対し、破防法の団体適用を決めた公安審査委員会に申請した際、破防法の規定で認められているオウム側の立会人5人の一人として、内藤隆弁護士らと共に闘い、完全勝利したことがあります。首相の決定を公安審査会で完全に覆しました。今度も勝ちます」と話しています。

学校法人同志社の大谷総長が鳴らした「憲法改悪に警鐘」に学ぼう

 朝日新聞4月30日夕刊によりますと、学校法人同志社の大谷實総長は2015年3月20日の2014年度同志社大学卒業式の祝辞で、安倍晋三政権が憲法改悪に警鐘を鳴らしています。記事を書いたのは、浅野教授の「新聞学原論」を受講したこともある社会学科新聞学専攻卒の浅倉拓也記者です。(http://www.doshisha.ed.jp/message/speech.html

 同志社大学HPによると、大谷総長は、自民党の憲法草案の中で、「個人の尊重」という文言が改められて、「人の尊重」となっていると指摘し、《これまで明確に否定されてきた全体主義への転換を目指していると言ってよいかと思う》として、こう述べています。

《私は、今日の我が国の社会や個人の考え方の基本、あるいは価値観は、個人主義に帰着すると考えています。個人主義は、最近では「個人の尊重」とか「個人の尊厳」と呼ばれていますが、その意味は何かと申しますと、要するに、国や社会で最も尊重すべきものは、「一人ひとりの個人」であり、国や社会は、何にも勝って、個人の自由な考え方や生き方を大切に扱い、尊重しなければならないという原則であります。個人主義は、利己主義に反対しますし、全体主義とも反対します。

同志社の創立者新島は、今から130年前の1885年、同志社創立10周年記念式典の式辞のなかで、「諸君よ、人一人は大切なり」と申しましたが、この言葉こそ、個人主義を最も端的に明らかにしたものと考えられます。

日本国憲法は、個人主義を正面から認め、人間社会におけるあらゆる価値の根源は、国や社会ではなく、一人一人の個人にあり、国や社会は、何よりも、一人一人の個人を大切にする、あるいは尊重する、といった原理であると考えています。

卒業生の皆さんは、遅かれ早かれ憲法改正問題に直面することと存じますが、そのときには、本日の卒業式において、敢えて申し上げた個人主義を思い起こしていただきたいと思います。そして、熟慮に熟慮を重ねて、最終的に判断して頂きたいと思うのであります》

 大谷総長は、卒業生に対して、《一国の良心としてご大活躍されますことを期待し、また、お祈りして祝辞とします》と結んでいます。

 メディア学科の6人と学校法人同志社が浅野教授を不当解雇して、2013年度浅野ゼミ(20期、13人)は3年次の最後に解散させられました。20期ゼミの共同研究テーマは「憲法改定とジャーナリズム」でした。大谷総長は浅野教授の闘いのことを知っているのでしょうか。浅野教授が「個人として尊重」されているかどうか全法人を挙げて議論してほしいところです。(以上、支援会事務局)