「学長権限で今すぐ浅野先生の定年延長を」――矢谷暢一郎教授が村田晃嗣学長に緊急提言(支援会事務局報告)
●一時帰国した矢谷教授が、関西で3回にわたり講演
同志社大学の元学生運動リーダーとして活躍した矢谷暢一郎(やたに ちょういちろう)米ニューヨーク州立大学アルフレッド校教授(心理学博士)が2014年11月6日から13日まで一時帰国し、関西で3回講演を行いました。
矢谷教授(右)
矢谷教授の講演は、8日に鹿砦社が主催する「浅野ゼミin西宮」で、11月9日と12日に京都市の同志社大学(村田晃嗣学長)で行われました。矢谷教授を招いたのは同志社大学学友会倶楽部で、同志社大学の「ホームカミングデー」に合わせて企画されました。
矢谷教授は一時帰国に合わせて、鹿砦社から『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学―アメリカを訴えた日本人2』を出版しました。矢谷教授の友人で歌手の加藤登紀子さん(夫は故・藤本敏夫全学連委員長=同志社大学文学部社会学科新聞学専攻・鶴見俊輔ゼミ出身)が本の帯に、自由なはずの日米で「何も言えない、何も行動できない、ガンジガラメの時代が始まっている!」などと書いた推薦文を寄せています。
矢谷教授は各講演で、同志社の開祖、新島襄の建学精神を振り返り、「安倍晋三政権が戦前回帰を狙っており、戦争の時代、憲法改悪が迫っている」と警告しました。また、「日本では、政府に対し批判的に見て、良心に基づいて社会的責任を果たすべきメディアと高等教育機関がきちんとした仕事をしていない。大学のジャーナリズム学の役割が非常に重要な時代だ」と指摘し、浅野健一教授の定年延長拒否を厳しく批判し、「村田晃嗣学長は今すぐ学長権限を行使して、定年延長を認め教授職への復帰を実現すべきだ」と訴えました。
矢谷教授は1965年に同志社大学英文科に入学。60年代後半、同大学友会中央執行委員長としてベトナム反戦デモの指揮をとりました。米神戸領事館包囲、御堂筋デモで逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた後、病気療養などのため同大中退後の77年に渡米。ユタ州立大学・オレゴン州立大学(修士)を経て、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校で博士号(心理学)を取得しました。
86年、オランダの国際政治心理学会で研究発表後の帰途、米ニューヨーク・ケネディ空港で突然逮捕、連邦拘置所に44日間も不当勾留され、「ブラックリスト抹消訴訟」で米国を訴えました。裁判を通して、米国全土を人権・反差別の抗議の渦に巻き込んだ「ヤタニ・ケース」で知られています。この事件は、毎日新聞から刊行した『アメリカを訴えた日本人』(1992年)に詳しく書かれています。
矢谷教授は「私を不当に逮捕したのは米国だが、私を救ってくれたのも米国だ。米議会聴聞会でも証言した。日本大使館は何もしなかった」と振り返ります。矢谷教授の拘束を全米の人権問題にしたのは優秀な米国の新聞記者でした。拘置所にニューヨークタイムズのクリフォード・メイ記者から電話がありました。「どうして勾留されているのか、事実関係を知りたい」「オランダの学会で発表後、帰国したら突然拘束された。何が何だか分からない」と。
米国の刑事施設では、電話を自由に使えます。無罪の推定の法理があるので当然です。矢谷教授が妻子と共に住んでいたアパートの家主が同紙に通報して取材があったのです。矢谷教授はメイ記者から「記事にしていいか」と聞かれ、「一つだけ条件がある。私の指導教授と学長に取材して、米当局の言い分と学長らの主張の両方を公平に書いてほしい」と答えました。
メイ記者の記事は一面に大きく掲載され、他メディアも人権問題として報道し、「ヤタニ・ケース」として全米を揺るがしました。
浅野教授は米英日のイラク侵略・強制占領の開始直後である2003年3月末、矢谷教授の家に数日滞在しています。浅野教授は「矢谷さんの家のテレビで米国の戦争報道の偏向ぶりをリアルタイムで見ることができた。矢谷教授との対話から、米国が戦争中毒になっている政治経済社会的要因を学ぶことができた。私の『戦争報道の犯罪』(社会評論社)を参照してほしい」と話しています。
矢谷教授は村田晃嗣法学部准教授(当時)が朝日新聞の同志社大学の広告で、自衛隊のイラク派兵以外に選択の余地はないと発言したことに文書で抗議しました。
●「浅野ゼミin西宮」で浅野教授と対談講演
矢谷教授は、総選挙の1カ月前の11月8日、「浅野ゼミin西宮」(鹿砦社と浅野ゼミ共催)で浅野教授と対談しました。
矢谷教授は、次のように語りました。
「私が米国で逮捕された時、浅野先生もインドネシアで国外追放処分を受けた。そういうことが重なりあい、長い付き合いになった。昨年、定年延長に対して非常に同志社らしからぬ対応があって、私はびっくりした。同志社の新島襄は、日本語ではいえば無位無冠。非常に偉大な教育者だ。お金も同志社の大学を創るために注ぎ込んだ。名誉地位に頓着しなかった。新島は政治家ではなく、信仰の人、普通の人のために頑張った人だ」
「基本的には学問というものは、まず良心を大事にしなければならない。学問で名声とか地位とかお金儲けをしてはならない。そういう同志社の精神を考えるにつけて、同志社がどうして浅野先生を放逐するのか。同志社も変わったなと思う。まず学長が右傾化した。人民とか、リベラルな良心だとかを、彼の発言をみていると感じられない。彼が法学部の助教授のときに、公開質問状を書いたことがある。彼は新聞広告の中で、日本政府のイラク戦争参戦を支持した。同志社の法学部の教授が国際法に違反したイラク戦争をなぜ支持するのか、私には信じられなかった。それが十年したら学長になる。その時期を同じくして同志社が浅野先生の定年延長を拒否した」
「常識的に考えてありえない。浅野先生は私と一緒で、不正義に対しては『あかん!』と言う。『悪いことは悪い』と言う。浅野先生はお金、地位、名誉とかを考えない。同志社の精神を持つ人を、誰でも認められる定年延長を認めないというのは、同志社がだんだん悪くなっている証拠の最たるものだ。問題は、それに対して同志社の学生とか教員、職員がほとんど文句を言わない。私が米国から帰ってきて文句を言わないといけないのが、おかしい」
矢谷教授は全共闘世代に対し、「戦争で加害者にも被害者にもなった日本で、戦後生き残った人たちの子どもが大学に行って、ここにいる。後は残り少ない10年・20年の人生の中で、日本の国が戦前回帰になるのは絶対おかしいと考えて、安倍政権を阻止すべきだ。21世紀の初めに日本はどんどん悪くなっている。集団的自衛権行使容認の閣議決定で戦争の時代、憲法改悪が迫っている」と警告しました。
●同志社大学良心館で安倍政権批判の講演
矢谷教授のメインの講演は、11月9日、同志社大学今出川校地・良心館で行われた講演。講演には約400人が参加し、矢谷教授は、次のように延べました。
「武器輸出三原則の放棄、集団的自衛権行使容認の閣議決定、特定秘密保護法強行などに象徴される安倍政権の暴走が止まらない。しかし、政府の右傾化に対する市民の反応が非常に弱い。国民が受け入れてしまっている。海外にいて危機感を覚える。政府を監視すべきジャーナリズムが任務を忘れていることが問題だ。学者も反対を言うと外されてしまうと恐れ、行動しない」
「日米両国の問題は、人々が正しい知識を得ていないことだ。民主主義は市民が政府の決定過程に関与するからこそ機能する。市民がきちんとした教育を受け、メディアから十分な情報を得られる社会は前進する。市民が知識を持たず、メディアが事実を伝えない社会は後退する」
「第二次世界大戦で7000万人が死亡し、二度と戦争をせず話し合いで紛争を解決することを願って国連ができた。日本でも300万人が戦争で犠牲になり、広島、長崎で原爆が落とされた。非戦平和主義の日本国憲法は世界で最も進んだ憲法だ」
矢谷教授は同世代の仲間に「学生時代に反戦平和運動を担った我々は子どもや孫に平和な未来を残そう」と呼び掛けました。
矢谷教授は最後に「東電福島原発事故を生きる我々は、川内原発再稼働は絶対に阻止しなければならない。核兵器と原発のない世界を日本は構想するべきだ。そうすれば世界中の人たちから尊敬されるに違いない」と訴えました。
◆浅野教授の雇用問題に言及
矢谷教授はこの講演で、浅野教授の雇用問題について、(「自責の杖」事件のことについて触れ、徳富蘇峰や板垣退助など、当時の自由民権運動や平民運動を担っていく人たちが新島襄の精神を反映していたということを述べた上で)、次のように指摘しました。
《同志社というのは、いろいろな学生が集まって、一所懸命勉強して、分野は違うけれども、常に世の中を良くしていこうという、と。少々、はめをはずすのだけれども、それを受け入れてくれる、ということなんですね。これは非常に大事なことだ、というように思っています。とりわけ21世紀の世の中というのは、そういう雅量とか、良心とか、それから、普通の人々に対する関心とか、真心。こういうのが一番大事だと思います。
最近、同志社であまりいいことが起こっていません。いいことが起こってないというのは、米国にもいろいろな情報が入ってきます。非常に私事なんですが、私と同じような経験を持っている浅野健一という立派な学者がいる訳です。初めのときは、“セクハラ”問題で訴えられる訳だけれども、きちっとですね、裁判を経る中で、彼の無実が証明される訳ですよね。ところが、それを逆恨みしてですね、彼がこれから学問をしていく上で、定年延長を申請するけれども、どういう訳か、そういう定年延長を阻害する人たちがいる訳ですよ。阻害するのみならず、そういう浅野先生をですね、遠くから支援する人があまりいない。学生もですね、どういう訳か少ない。私はこういうことを見て、私の頃の1960、70年代から比べると、同志社は大分変わってきたんじゃないかと思う訳ですね。
同志社の歴代の学長、総長というのは、同志社の伝統とか精神を引き継ぎ、大変、寛容な人が多かったです。例えばですね、さっき話しました、岩山太次郎(元学長・英文科教授)という先生がいらっしゃいます。英語でレクチャーをしまして、私は感動しました。2年生から先生のクラスをとる訳です。ところが、反戦運動が忙しいから、先生のクラスに行かない訳ですね。言い忘れましたけれど、私は同志社を出ていません。1965年に同志社に帰ったけれども、同志社を出てない訳です。ところが、いわゆる、後から少し話しますけれども、ヤタニ・ケースという大きな問題が起こりまして、その時に私は『米国を訴えた日本人』という本を毎日新聞社から出しまして、出版記念パーティをするから帰ってこいというので、帰ってきました。それが1992年です
その時に同志社へ来ました。そしたらですね、そのときの大学幹部が、私と岩山学長を会わせて下さいまして、私は学長室へ行きました。私は最初に先生に謝りました。
『先生、すみません。先生の授業サボりまして」
この時ですね、太次郎先生はこう言う訳です。
「君は米国で勉強してるんやろ」「はい、していますけれども…」
「先生やろ」「はい、先生ですけれども…」
「君、英語で講義をしているんか」「一応、米国人が英語で話しますから、私は講義を英語でやっています」
そしたらですね、「それでええやないか。そのために英文科に来たんだから、君、立派なもんや」と、逆に褒めてくれる訳ですね。で、岩山先生に私は頭が上がらない訳です。こういう先生が同志社の学長をしていました。あるいは、その後に、松山義則総長(故人)にも会いました。彼も私にこう言いました。「あなたは同志社を出てないのか。同志社では、よく勉強する人や頑張る人は、卒業せんのや」。これは褒められているのかねぇ?(笑)冗談?私が言いたいのは、そういう懐が非常に広くて、常に大局でものを言う、そういう先生方が多かったということです》
矢谷教授の約2時間の講演の後、休憩を挟んで行われた会場参加者との質疑応答の最初に、浅野教授が登壇し、次のように挨拶しました。
《同志社大学の教壇に立つのは実に10カ月ぶりのことです。矢谷さん、本講演会主催者のおかげです。今、講演の中で矢谷さんが言ってくれましたように、私は今年3月末、理不尽な形で不当解雇され、2月から地位確認の裁判を京都地裁で闘っています。会場に、支援会のつくったチラシが配布されていますので、お読みください。
私が裁判を起こしても、大新聞と通信社は報道しません。学内のリベラル・左翼教授たちも数人を除いて、支援してくれません。『学部で決めたことに介入できない』という理由です。学部の自治というのですが、人の道に反することをやるのが自治ではないはずです。
私は20年間、真面目に、学生と共に ジャーナリズムの在り方を学んできました。その時々のテーマに沿って、講演会やシンポジウムを開き、学外の市民・労働者にも公開し、共に考え、行動してきました。同志社らしい企画だと多くの市民から評価されてきたと自負しています。
今は研究室もなくし、ゼミもなくなりました。私を追放した同僚のメディア学科教員を私は許しません。新島襄の伝統を引き継いでいるのは私だと確信して、裁判で勝利して、教壇に戻ってきます。同志社で何が起きているかを知ってください。そして、支援ください》
●重要文化財クラーク館チャペルで「奨励」
矢谷教授は11月12日午前、同志社大学今出川校地で開かれた「今出川水曜チャペル・アワー」で「奨励」(注1)を行いました。会場はクラーク館(重要文化財)2階のクラーク・チャペル(クラーク記念館2階)(注2)で、同志社大学キリスト教文化センター(所長、石川立・神学部教授)の主催です。奨励題は「God@heaven.org:50年目のチャペル」でした。
矢谷教授の1時間近い奨励は、新島襄と同志社の歴史をたどり、矢谷さん自身の大学時代を振り返り、「普通の人々の暮らしをよくするのが同志社」などと強調したすばらしい内容でした。
矢谷教授は奨励の最後で、浅野教授の定年延長妨害問題を取り上げ、「村田晃嗣学長は学長権限を使って、今後5年間の雇用延長をいますぐ決めるべきだ」として、次のように提言しました。
《日本の安倍政権は間違っている。安倍首相の目指す戦前回帰は良くない。大学の政治学、法学の学者、特にメディア学、ジャーナリズム学の役割が非常に重要な時代だ。東電福島第一原発事故のこともある。普通に生きる人たちがちゃんと子どもをつくり育てる、日本にしなければならない。
同志社の学長は率先して、安倍政権に、言わなければならないと思う。
最後に、今日言わなければならないことを言う。一人の先生が定年延長を拒否されて大学を追われようとしている。メディア学の浅野健一先生だ。浅野先生はメディア学の教授として、ジャーナリズムのあり方を説き、政府、大企業に対して文句を言っているとても良い学者だ。
浅野先生は同志社ではなく、慶應義塾の出身だ。同志社出身の学者が黙っていて、慶應出の浅野先生が発言している。しかし、大学内で浅野先生を守ってくれない状態になっていると聞いている。村田学長は学長権限を行使して浅野先生の定年延長ができるようにし、あと5年間、浅野先生が教えることができるようにすべきだ。それぐらいのことは、たいして難しいことではないはずだ。
世の中を良くしていく、子どもたちにいい社会を残していかなければならない。それを浅野先生はやっている。みんなで、浅野先生に感謝しなければならい。少々、問題発言があったとしても、普通の人々のために、働いている。
キリスト教文化センターの主催する場で、おこがましいことを申し上げたが、お許しいただきたい。》
新島襄は「同志社大学設立の大意」で「我が大学の門戸は広く開け、我が大学の空気は自由なり」と述べています。自公の対米隷従政策を支持してきた村田学長は、十年前に自衛隊イラク派兵を煽った過ちを謝罪し、人民のためにはたらく大学にする義務があるでしょう。
式次第の司会をしたのが越川弘英・キリスト教文化センター教授です。奨励の終了後、浅野教授が「今日の奨励の録音を聞かせてほしい」と頼むと、同センターで管理しているので無理だと言う返事があったそうです。浅野教授は「まるで官僚のような対応で、何が良心教育だと怒りを感じた」と言っています。
浅野教授は奨励後に、学友会倶楽部の堀清明さんらと一緒に昼食をとって、左京区にある新島襄の墓参りをしました。学校法人同志社が管理する墓地でした。鹿砦社の松岡利康社長と浅野教授は12日夜、故藤本敏夫さんのお連れ合い、加藤登紀子さんと、ロシア料理店「キエフ」会食しました。加藤さんが原発の現状についてたくさん語ったとのことです。
矢谷教授は11月13日朝、伊丹から成田経由でニューヨークへ向かいました。
矢谷教授は11月19日、浅野教授に送った電子メールで今回の旅について次のように書いています。
《この間、“講演旅行”(?)で一時帰国した際は大変お世話になりました。西宮での先生のゼミへの参加は初めての経験で、懐かしい人たちにも会えることが出来ました。皆様方への宣伝に感謝する次第です。
伊丹から成田・東京とJFK空港は実に秋晴れのいい天気でしたが、ロッチェスター空港に近づくにつれ、雪になり、アルフレッドに戻ると積雪。京都では先生とご一緒に新島襄の墓の庭での紅葉も楽しみましたが、11月中旬とはいえ北のアルフレッドはもう冬景色でした。強行軍のスケジュールでしたから、こっちに戻ってちょっとばかり疲れも出ました。昨日月曜日から、また平常の講義を始めています。
定年延長・身分保全の闘いがうまく行くよう、お祈りしています。》
米国の大学には日本のような「休講」掲示板はありません。休講はできないのです。病気や学会などで大学を離れる時は、代わりに授業をする人を手当てしなければなりません。矢谷教授は訪日の日程を1週間にするのがぎりぎりだったそうです。
浅野教授は「私は3回、矢谷さんのすべての講演を聞いたが、すべて感動的だった。元気をもらった。矢谷さんと今回出会った人たちは勇気、励ましを与えてもらったと思う」と話しています。
浅野教授は「週刊金曜日」11月14日号の「人権とメディア」に矢谷教授の講演内容を記事にしています。
●浅野教授が「奨励」参加者にアピール
浅野教授の支援者は11月12日、「奨励」参加者に以下のような文書を配布しました。9日に良心館で配布した文書もほぼ同じ内容です。
◆2014年11月12日・「今出川水曜チャペル・アワー」、矢谷暢一郎さん奨励参加の皆さんへ
私たちは、本年3月末をもって定年延長が認められず、不当にもその職を奪われかけ、学校法人同志社と現在係争中の同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程・社会学部メディア学科教授、浅野健一氏を支援する者です。
浅野教授は米英日のイラク侵略直後の2003年3月末、ニューヨーク州立大学アルフレッド校に矢谷暢一郎さんを訪ねています。09年3月には同大学で、“Japanese media at a panel discussion focusing on mass media and the Iraq and Afghanistan wars.”(「イラク戦争とメディア」)をテーマにした国際学術セミナーに参加し、「違憲の武装自衛隊派兵を批判できない日本メディア」をテーマに発表しました。矢谷さんのアレンジでした。また、矢谷さんの訪日の際、浅野ゼミで講演会を開催するなどの交流を重ねています。
浅野教授は2014年3月末に、「定年退職」扱いで教壇を追われました。学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部長)でも「定年延長拒否」という形で、浅野教授を不当解雇しました。
この「定年退職」とされるまでの過程は、まったく不合理に満ちたものでした。2013年10月25日、密室で開かれた社会学研究科メディア学専攻の「臨時専攻会議」(小黒純、竹内長武、佐伯順子、池田謙一各教授の4人、議長は小黒教授=博士課程前期任用教授)において、「渡辺武達教授(当時69歳)の5回目の定年延長あり、浅野(同65歳)の1回目の定年延長はなし」という決議がなされました。同志社大学では慣習上、よほどのことがない限り、大学院教授の定年延長は認められてきました。浅野教授はこれまで一回も授業を休講にしたことがなく、一般市民や高校生を対象にした出前授業も活発に行われ、大手メディアにも登場するなど社会的活動も活発にしています。他にも『犯罪報道の犯罪』や『天皇の記者たち』など多くの著作を出しており、犯罪報道の匿名報道主義の提唱など、ジャーナリズム研究の第一人者として知られています。
小黒教授ら4人は、浅野教授の定年延長の可否を審議した2013年10月30日の研究科委員会で、「浅野教授定年延長の件 検討事項」と題した審議資料を30人に配布し、11月13日に研究科委員会ではその「怪文書」をもとにした「定年延長なし」の不当決議がなされました。今からちょうど1年前のことです。
この浅野教授を中傷した「怪文書」には作成差名、作成日時がありません。4人はその中で、浅野教授が「大学院教授としての品位にかける表現」を雑誌などで使っていると非難しました。
「"ペンとカメラを持った米国工作員"」「労務屋」「企業メディア"用心棒"学者」「メディア企業御用学者」「デマ」
また、学生向けのシラバス(授業計画)での「不適切な内容、表現」として次のような用語をあげました。
「マスコミ用心棒」「御用学者」「御用組合」
渡辺グループの教員と安倍自公政権を擁護する村田学長のような学者は、「御用学者」としか呼びようがないのではないでしょうか。
この怪文書には他にも「専攻科の各教員は常時強いストレスにさらされている・・・(中略)突発性難聴や帯状疱疹などの発症」という非科学的記述もあります。いずれも事実無根です。
これによって本年2月21日の法人理事会でも、浅野教授の定年延長は認められず、3月末、大学を追放されました。
博士論文の指導を受けていた大学院博士後期課程の院生2人は指導教授を失い、浅野ゼミ20期生だった13年度3年ゼミは強制解散されました。
同志社大学社会学部は2014年6月から8月まで、浅野教授の後任補充を含め3人のメディア学科専任教員(1人は任期=5年=付き)を公募し、いま学科・学部で選考中と思われます。正式には大学内の部長会、評議会、理事会を経て採用者が決まります。浅野教授は自身の教授職の地位確認を求めて京都地裁で裁判中です。浅野教授の後任人事は裁判無視の暴挙です。
浅野教授が今日置かれている立場自体が言語道断な暴虐の結果であることは言を俟たないのですが、大学当局が正当な理由もなく、2014年度の浅野教授の大学院と社会学部の担当予定科目(専攻・学科会議で2013年10月17日までに決定)を「未定」「休講」にしたまま放置していることも世界に例のない無責任なことだと考え、7月5日に開催した小出裕章さんのシンポジウムを契機として、浅野教授の秋期の講義を開講することなどを求めた要望書の署名を集めました。
この理不尽な「決定」に対し、浅野教授は本年2月3日、京都地裁民事6部に「従業員地位確認等請求訴訟」(平成26年(ワ)第310号、(堀内照美裁判長、堀内裁判官は第6民事部・部総括判事)を起こして、これまで4回の口頭弁論が開かれました。次回期日は12月24日(水)午前10時です。
この裁判で、被告・法人同志社側は、20年間院教授を務め4人に主査として博士号を出した浅野教授について、「院教員として業績がない」「院教授のレベルにない」「(浅野が)いなくなっても学生は誰ひとり困っていない」「学生に裁判支援を強制している」などと主張しています。
浅野教授は小黒教授ら専攻の同僚を名誉棄損損害賠償で訴える別の裁判を東京地裁で起こす準備に入っていると聞いています。
裁判のことは浅野支援会のHPにあります。
http://www.support-asano.net/index.html
浅野教授追放を主導したのは、「浅野に敵意に近い感情を持つ」「大学に不信感も抱いた」(文春確定判決の認定)同僚の渡辺武達教授が率いる渡辺グループ(週刊文春確定判決では2004年結成)であることは間違いないでしょう。まさに暗黒裁判、クーデターでした。渡辺グループによる嫌がらせ、暴挙を同志社大学(村田晃嗣学長)と法人同志社が追認したのです。
渡辺氏は2005年11月に「週刊文春」で「浅野教授が女子大生にセクハラ行為を行っている」とウソの「告発」をしました。渡辺氏は自分が指導する院生2人(男女)を浅野教授による“セクハラ”“アカハラ”の被害者にでっち上げて、悪徳週刊誌、ネットを使って、浅野教授の失脚を狙ったのです。
もちろん、すべてウソ偽りですから、文春は大阪高裁で浅野教授に完全敗訴し、賠償金550万円を支払いました。浅野教授が文春記事の“キーパーソン”の渡辺氏を訴えた裁判でも、東京高裁は90万円の賠償命令を出し、それぞれ最高裁で確定しました。
渡辺氏は二つの裁判で完敗したのに、全く懲りず2013年に同僚の教員5人と冨田安信社会学研究科長(社会学部長兼任)らと組んで、浅野教授の定年延長を妨害したのです。研究科委員会の、この不当な決議を学校法人同志社と同志社大学は追認し、浅野教授は2014年3月末に追放されてしまいました。「憲法改定問題とマスメディア」を共同研究のテーマにしていた浅野ゼミも強制的に解散させられ、元ゼミ生はそれまでとはまったく異なる研究分野のゼミに振り分けられました。浅野教授には全く相談がなかったとのことです。
大学院で博士論文を書いているインドネシア政府の国費留学生は帰国せざるをえませんでした。核とジャーナリズムで修士論文を書いている前期課程の院生も指導教授を失いました。
このような不正に対し、ゼミ学生、浅野教授のメイン講義「新聞学原論Ⅰ・Ⅱ」受講生を中心とした大学への要請活動も活発に行われてきました。2013年10月末から浅野教授の追放に反対する署名活動は行われ、例えば2014年7月と8月に学長・理事長宛てに提出された学生・一般市民を合わせた署名の合計は171名に上ります。しかし、このような学生・一般市民の声があるにも関わらず、大学は何ら誠意ある行動を見せていません。
同志社大学はリベラル・アーツ教育、良心教育を大切にする大学です。建学者の新島襄は「人民のための大学を」「人一人は大切なり」と思って同志社大学を建てたはずです。そのような大学がなぜ、浅野教授に対する不当な追放を認め、かつそれに反対する学生・一般市民の声に応じないのでしょうか。極めて反民主的なことであり、それは同志社大学の建学理念に真っ向から反します。教育現場の破壊です。
この会場におられる方には、かつて学生運動を経験された方もおられると思います。皆様にはぜひ、この事件を深く知っていただきたいと願っております。さらには浅野教授の裁判闘争をぜひ支援していただきたいと願っております。ぜひ協力してくださいませ。
浅野教授の文春裁判を支援する会・事務局長 山口正紀
浅野教授の復職を求める「7・5要望書」署名学生・市民有志代表
(注1)「奨励」はキリスト教用語で、①熱心に励まし、慰め、勧めること②短めの説教③信徒による説教―という意味がある。
http://christianwords.seesaa.net/article/170681932.html
矢谷さんの奨励の案内は、同志社大学の公式HPの「チャペル・アワー」左上にある「チャペル・アワー案内」225号に出ている。
http://www.christian-center.jp/chapelhour/index.html
同志社大学HPによると、キリスト教文化センターは次のような仕事をしている。
《同志社大学は「キリスト教を徳育の基本とする」大学です。同志社大学は、学生の皆さんにキリスト教の価値観を押しつけようとするのではなく、キリスト教、あるいは宗教を、正しく理解することを通して、わたしたち一人一人の世界観、価値観が豊かに形成されることを願っています。キリスト教文化センターは、そのために学生のみならず教員、職員、そして地域の市民の皆さんのために、毎週のチャペル・アワー、チャペル・コンサート、オープン・プログラムなど、様々なプログラムを提供しています。
キリスト教文化センターの使命は、大学のなかにあって、さまざまな出会いを提供する、いわば「人間の広場」となることです。どうか気軽に立ち寄り、問い合わせて下さい。
キリスト教文化センター今出川校地事務室
TEL:(075)251-3320
FAX:(075)251-3085
ji-kirib@mail.doshisha.ac.jp
事務室開室時間月~金 9:00~11:30、12:30~17:00
※休暇期間中などは変更される場合があります。》
2014年度秋学期チャペル・アワーは次のようになっている。
《統一テーマ「愛によって互いに仕えなさい。」
ガラテヤの信徒への手紙 5章13節より
チャペル・アワーは、キリスト教主義大学である同志社大学のもっとも大切なひとときとして、キリスト教文化センターが提供しているプログラムのひとつです。開講期間中、現代に生きる人間の諸問題をめぐって、学内外の様々な分野の人々に奨励をいただいています。チャペル・アワーは礼拝形式で行われますが、どなたでもご自由にご参加いただけます。》
渡辺武達教授の指示で浅野教授を追放した4人の中心人物、小黒純教授(元三井物産社員、元毎日新聞・共同通信記者)は、メディア学専攻における浅野教授追放決定直後の13年11月6日(水)午前、「水曜チャペル・アワー」で奨励を行っている。以下は、参加した浅野ゼミ学生(現在新聞記者)の記録。
◆「理不尽」に目を向け立ち上がれ?―小黒教授「チャペル」で奨励
2013年11月6日午前10時45分より、同志社大学クラーク・チャペルで行われた水曜チャペル・アワーに社会学部メディア学科の小黒純教授が登壇した。「理不尽な世界~バングラデシュと福島から」と題しパワーポイントを用いて約30分間の奨励(講演)を行った。
小黒教授は神戸市内の教会に通うキリスト教徒。2013年夏に「理不尽な世界」であるバングラデシュと福島を訪れた経験をもとに、約20名の信者や学生に向けてメッセージを発信した。
バングラデシュの首都ダッカでは物乞いやゴミ収集をして生計を立てている人々を、福島では放射能汚染土壌の仮置き場が住宅地にまで広がっている現状を取材し、「理不尽さ」に直面した同教授は、「私たちに何ができるだろうか」と問いかけた。旧約聖書12章7節「虐げに苦しむ者と呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」というイエスの教えに従い、各人が身近にある「理不尽さ」に目を向け、立ち上がることの大切さを説いた。
小黒教授は奨励の際、パワーポイントを使ったが、資料配布はなかった。録音は禁止だった。キリスト教文化センターの担当者によると、小黒教授の奨励の概要が月刊の冊子で公表されるという。
(注2)
クラーク館チャペルは、浅野教授の同大教授就任20周年記念講義が行われた会場。
http://www.doshisha.ac.jp/information/campus/
buildings/imadegawa.html#clarke_memorial_hall
浅野記念講義の記録は浅野支援会HPに載っている。
http://www.support-asano.net/index.html