INDEX

HOME

地位確認裁判に勝ち、同志社新聞学の本流・浅野ゼミを守るまで闘う
同僚教員6人による定年延長妨害=解雇クーデターから1年

浅野健一(同志大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授、同志社大学教職員組合社会学部支部組合員)

私に対する「定年延長妨害クーデター・暗黒裁判」から1周年に当たり、以下、私の声明(アピール)です。

私は2013年10月25日、密室で開かれたメディア学専攻の「臨時専攻会議」(小黒純、竹内長武、佐伯順子、池田謙一各教授の4人、議長は小黒教授=博士課程前期任用教授)で定年延長が否決され、大学院社会学研究科委員会(院教授会)、学校法人同志社(水谷誠理事長=神学部長)でも「定年延長拒否」という形で、私を不当解雇しました。そして13年3月末、大学院博士後期課程教授のポストを奪われました。

このため4月1日から全く教壇に立てなくなり、20期まで続いた13年度浅野ゼミ(3年生)も暴力的に解体されました。この不当な追放策動はメディア学専攻の同僚4人(背後にメディア学科の2人)と冨田安信社会学研究科長(社会学部長兼任)が「浅野に敵意に近い感情を持つ」「大学に不信感も抱いた」(文春確定判決の認定)渡辺武達教授の指示で行ったもので、まさに暗黒裁判、クーデターでした。5人の暴挙を同志社大学(村田晃嗣学長)と法人同志社が追認したのです。同志社の新島襄精神は死んだと言えるでしょう。

この理不尽な「決定」に対し、私は今年2月3日、京都地裁民事6部に「従業員地位確認等請求訴訟」(平成26年(ワ)第310号、(堀内照美裁判長、堀内裁判官は第6民事部・部総括判事)を起こして、これまで4回の口頭弁論が開かれました。

同志社大学社会学部は2014年6月から8月まで、私の後任補充を含め3人のメディア学科専任教員(1人は任期=5年=付き)を公募し、いま学科・学部で選考中と思われます。正式には大学内の部長会、評議会、理事会を経て採用者が決まります。私は私の教授職の地位確認を求めて京都地裁で裁判中です。私の後任人事は裁判無視の暴挙です。

浅野ゼミにゲストで来てくださり、東京合宿でも何度もお世話になったメディア関係者から2014年6月12日、こんなメールをいただきました。

[ 浅野先生からのメール、毎回、同志社の一派に憤りを感じながら拝読しています。その同志社大学社会学部がメディアで教員公募を始めました。浅野先生の穴埋めかと思うと腹が立ちます。(略)まずは先生の訴訟での勝利、祈念しております。 ]

大学教員への転身を希望する新聞記者は「同志社大学メディア学科の公募に応じたいが、浅野さんの後任人事は認められないので応募しない。浅野さんの理不尽な追放を認めないからだ」と言ってきました。

私が裁判に勝ったら、いま進めている後任人事で決まった人と私がダブります。メディア学科(学部定員・83人)の専任教員の定員は9人です。もしそうなったら誰が責任を取るつもりなのでしょうか。

14年3月末「円満な定年退職」という形式で私が「追放」されてから、千葉県の自宅には同志社大学の広報関係の冊子、同志社大学共済組合からの案内状などが届いています。その一方で、学校法人同志社の代理人弁護士から「研究室を明け渡せ、撤去しなければ私物をすべて撤去する」という趣旨の手紙が届きます。また、弁護士は「裁判のことで学生とメールや電話で連絡するな、学内で学生と会うな」などとも通告してきます。学部事務室は、大学の公式HPにある浅野ゼミのHPも抹消すると言ってきました。すべて冨田氏の指示によるものと思われます。

浅野ゼミのHPの管理は和田喜彦経済学部教授が引き受けてくれることになり、8月から和田先生のゼミのHPの中に入っています。

1994年4月にスタートし、20期の1年目の終わりに強制解散された浅野ゼミは、新島襄がつくった大学のゼミナールとして歴史に名を残すと私は自負しています。

日本では、三権分立、人権と民主主義がほとんど機能していないとつくづく思います。東京では総理大臣がまるで独裁者のように、憲法解釈を変更しました。大学もまた同様です。

私の教授としての身分は法的になくなったわけではないのに、暴力的強制的に研究室を奪われ、院生学部生の指導教授も私に全く相談もなしに変更し、博士後期課程2人の成績である「指導所見」について、2人を一度も指導したことのない教授が14年5月、私に何の相談もなく勝手に記入しました。すべて学則、専攻・学科のルールに違反した行為です。

私には日本国憲法と、国際的なILO条約などで保障された労働権があります。裁判が確定するまで、なぜ待たないのでしょうか。同志社大学大学院神学研究科出身の佐藤優さんは2002年2月に国策逮捕されましたが、2009年の刑の確定まで、外務省職員の地位は守られ、「外務省主任分析官=起訴休職中」という肩書を使っていました。休職中に減額はされましたが賃金も出ています。不当なことですが失職したのは09年7月です。

私が支援してきた痴漢の罪に問われた中学校教諭が7月15日に逆転無罪判決を受けました。この教諭は逮捕・起訴後も起訴休職中で、東京都教育委員会から賃金も本給の60%が出ていました。3月末にすべてを失った私とは、全く違います。今、高校生になっている生徒さんたちが支援してきました。

私は犯罪嫌疑を受けているわけでなく、みんなに認められている定年延長を暗黒裁判さながらの闇討ちで拒否されたため、労働権を主張して裁判を起こしているのです。

同志社大学は日本外務省、東京都教育委員会ぐらいの法感覚とやさしさを私と浅野ゼミに対してもってほしいと思います。

 私の京都地裁・地位確認本裁判の口頭弁論(第4回)が10月29日(水)午前10時から、京都地裁208号法廷で開かれました。10月22日、私の弁護団が被告のウソ八百を並べた第2準備委書面に全面的に反論したすばらしい準備書面(第三次)を裁判所に提出してくれました。裁判官たちが、この問題の背景に、私の同僚教員6人の正当な理由もない「悪しき意図」に基づくハラスメントがあることを理解してほしいと願います。

6人とは怪文書の4人と渡辺授と河﨑吉紀准教授=学部のみ任用の教員=です。6人の謀略さえなければ、私は学生たちと楽しくジャーナリズム研究にいそしんでいたでしょう。

第4回口頭弁論の10月29日は、ちょうど、私の定年延長が妨害されたことが発覚した日に当たります。浅野追放の暗黒裁判・クーデターが分かった日と言ってもいいでしょう。

「渡辺武達教授(当時69歳)の5回目の定年延長あり、浅野(当時65歳)の1回目の定年延長はなし」を10月25日夜の「臨時専攻会議」(小黒議長­=13年4月院前期課程任用)で決定したという通知書を読んだのが2013年10月29日午前10時過ぎでした。小黒氏は前日の28日午前8時、私へのメールで、定年延長にかかわる審議結果を渓水館1階の郵便受けに投函したと伝えてきました。私は千葉県の自宅にいましたので、翌日大学に来て、郵便受けに入っていた茶封筒を受け取り、文書を読んだのです。茶封筒には小黒氏の印がありました。

封筒の中にA41枚の審議結果通知書とA4・4枚の「議事録」がありました。議事録と言っても、審議・議事内容は何もない代物でした。決定したのは渡辺武達教授が背後で操る「臨時専攻会議」で、私の排除を決めたのは4人の同僚。小黒、竹内、佐伯、池田各氏。10月25日夜に小黒研究室で開かれた同会議で決めたというのです。渡辺氏と私は定年延長の対象者ですから、審議には加わりませんでした。

私は13年度院メディア学専攻の専攻教務主任でした。小黒氏らが決めた理由をメールで聞きましたが、返答はありませんでした。私は専攻教務主任として翌日の10月30日午後1時から開かれた定例の院メディア学専攻会議で、小黒氏になぜ渡辺氏の定年延長を認め、私の延長は認めないのかと聞いても、「今日開かれる研究科委員会で言う」としか答えませんでした。小黒氏の文書には、定年延長を認めた渡辺氏の15年度の担当予定科目が書いてなく欠陥だらけでした。私は小黒氏の通知書は無効と判断して、渡辺氏と私の定年延長を認めるという専攻会議決定を冨田研究科長に提出しました。

30日午後4時ごろから始まった社会学研究科委員会(院教授会)で、私に関する悪口を書き連ねたA4判・2枚の討議資料(作成者名、作成日時なし)を冨田安信研究科長に印刷・帳合させた上、30人の教員に配布させました。私は当事者ですから、審議の場にはいませんでした。冨田氏によりますと、4人はこのおぞましい怪文書と呼ぶべき資料をもとに、順番に立ち上がり、私の定年延長に反対する理由を述べたということです。これは同僚の教員による理不尽なハラスメントというしかありません。「大学の教授がよくもこんな文書を書いたものだ」と多くの人が呆れています。

10月29日、30日、そして研究科委員会の前代未聞の投票による採決で解雇が決まった11月13日まで、矢内真理子氏(当時学士後期2年)とナジ・イムティハニさん(同3年)を先頭に浅野ゼミ生(1年生19人、2~4年31人)、「新聞学原論」受講生約50名、馬場尚子・浅野ゼミOBG会長(ゼミ1期、フリーアナウンサー)、ゼミ3期田中陽子さん(元朝日新聞)、元院生で博士号を取得した嘱託講師(ハングル語など)の森類臣さん、同大助手で元ゼミTAの望月詩史さん、Kさん(20期生で当時米留学中)の保護者、支援者の鹿野健一さん・鹿砦社社員福本高大さんらが大学に結集して、専攻の教員たち、大学と理事会へ、私の定年延長=雇用継続を訴えてくれました。

ちょうどあれから1年です。季節が一回りし、小黒氏からの通知書と怪文書の二つの「文書」を再読した私は、渡辺グループとの闘いの最終ステージのスタートとして、闘う決意を新たにしました。20年間浅野ゼミを運営した私の名誉を守るために闘う決意です。これは人間の尊厳をかけた闘争であり、絶対に勝たなければなりません。

京都地裁の裁判とは別に、「4人と冨田氏+α」を名誉毀損などで提訴するための本格的な準備に入ります。ある支援者から10月23日に受信したメールに《確かに昨日(10月22日)の原告準備書面(3)はよくできていたと思います。加え、理由なくメディア学専攻の先生方から追放されたことに対し、「悪しき意図」に基づくハラスメントだとして、訴えるべきだと思います(その裁判の勝ち負けは別です)。でないと、先生の訴えは辻褄が合いません》と書いてありました。このメールで、4人の行為は名誉毀損だけでなく同僚教員による悪意に基づくハラスメントだと再認識させられました。

そのほか、学科の6人が私の14年度の院と学部の全科目を「未定」「休講」にしたことに対して必要な措置を取ります。メディア学科では本ゼミは3・4年連続履修と決まっており、卒業論文は3・4年ゼミの指導教員が単位認定すると決まっています。学則に違反して20期ゼミを3年末に解体した6人の責任も追及します。私の組合員としての地位について「脱退手続きはとっていない」としか言わず、「学部・教学の自治への介入になる」という理由で、私の地位確認裁判を支援しないと公言している大学教職員組合に対しても何らかの対抗手段を取ります。

人権と民主主義の日本にあるすべての手段を使って、不当で理不尽な攻撃に抗います。みなさんの引き続きの支援をお願いします。