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現役学生・卒業生・市民らが浅野教授の講義再開を要望
171人署名の要望書を水谷理事長、村田学長へ提出(2)

市民署名の要望書

 以下は、署名用紙に書かれた要請内容です。当日参加された一般市民の方々は以下の用紙に賛同し、署名をしてくださいました。

◆7月5日小出裕章さんのシンポジウムに参加した市民一同

 2014年7月5日同志社大学明徳館で開かれた小出裕章さんを招いたシンポジウムに参加した市民です。私たちは同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程・同志社大学社会学部の浅野健一教授が2014年3月末に「定年退職」とされてしまったことに強い違和感を覚えます。私たちは浅野教授の定年退職が認められなかった経緯について納得がいきません。これは浅野教授に対する事実上の追放・解雇と言えるのではないでしょうか。 一刻も早く浅野教授を同志社に戻し、再び教鞭をとらせてほしいと切に願います。

  これまで大学院社会学研究科で、本人が継続して勤務を希望しているのに、定年が認められなかった例は皆無だと聞いています。であるならば、浅野教授の定年延長が認められないのはまったく不可解なことです。また、浅野教授の指導を受けてきた学生たちは14年度以降も浅野教授が70歳まで教授で指導を受けられると当たり前に考えてきたでしょうし、浅野教授の講義やゼミをうけることができると思って今年入学した学生も少なからずいるとのことです。

 同志社大学のメディア学(旧新聞学)は長い歴史を持ち、ジャーナリズム研究で高い評価を受けてきています。その中で浅野教授は教員としてだけでなく、行動するジャーナリストとして我々市民の間でもよく知られています。今日のシンポのような機会を市民に与えてくれる大学の先生は私たちにとって貴重な存在です。

 浅野ゼミが福島原発事件後、原発問題について報道問題の観点から様々な分析や提言を行ってきたことはとても大きな意味を持つものです。

 浅野教授の大学院と学部の講義には社会学部・社会学研究科の学生だけでなく、他学部・他大学の学生や広く市民も受講しています。広く社会の問題を提起していた浅野教授の講義が失われるのは同志社大学のみならず、社会にとっても大きな損失だと考えます。

 同志社大学の学長、理事長におかれましては、私たちの願いに耳を傾けていただき浅野教授を一日も早く教壇に戻していただきますよう強くお願いいたします。

現役学生の要望書

  また、7月5日およびその後以下の内容の要請に学生の署名が集まりました。

学校法人同志社理事長 水谷誠様 同志社大学学長 村田晃嗣様

私たちは同志社大学の大学院と学部の学生有志です。

 私たちは、2013年度まで20年間大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授を務めた浅野健一先生の担当予定だった院と学部の講義が2014年春期にすべて「未定」(院)「休講」(学部)となっていることについて非常に残念でなりません。

 浅野先生の授業がゼロになり、ジャーナリズム論・新聞学に関する講義が少なくなり、院と学部の講義と演習、指導する先生が減り、選択肢が狭まっています。

 また、浅野先生の指導を受けたいと思って同志社大学・大学院に入学した学生もいます。14年4月院前期課程に入学した学生の数人が「なぜ浅野先生の講義・演習がないのですか」と社会学部・社会学研究科事務室で聞いているそうです。

 13年度までに「新聞学原論Ⅱ」(秋期)を履修し、14年度は「新聞学原論Ⅰ」(春期)を履修しようとした法学部3年生が事務室で「なぜ休講なのか」と尋ねたそうです。「新聞学原論Ⅰ」を前に取っていて、14年秋期に「新聞学原論Ⅱ」を履修しようと思っている学生もいます。多くの学生が浅野先生を待ちわびています。

 大学と学校法人同志社の中の手続きで法人側は「浅野先生は14年3月末で退職した」と主張、浅野先生は「定年延長」の権利があるなどと主張し、先生の地位をめぐって法人同志社と浅野先生との間で、裁判所において係争中と聞いています。しかし結論が出る前であっても、学部の演習科目と院後期課程の「特殊研究」以外の科目は浅野先生が嘱託講師として担当できると思います。
 浅野先生を9月から始まる秋期に嘱託講師でぜひ任用し、未定、休講になっている科目をどうか開講してくだい。なにとぞよろしくお願いいたします。多くの学生の声をお聞き入れください。

◆法人・大学へ提出した際の訴え

このような要請内容の署名文書を大学に提出するに際して、提出した学生2人は以下の添え状を添付しています。

[これらの要望書は浅野健一教授が学内外つまり社会から求められていることの証左であります。私たちの母校ともいうべき同志社と私たちの尊敬する浅野教授が裁判で争うというのは、見ていて心が痛みます。私たちはこのようなことを望みませんし、新島襄が生きていれば彼もきっとそう思うことでしょう。私たちは浅野教授の定年延長拒否問題が明るみに出た2013年10月末以降、村田学長らに浅野教授の定年延長を認めるようにお願いしてきました。同志社大学の卒業生も含めた多くの市民と現役学生の願いに耳を傾け、浅野教授を一日も早く教壇に戻していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 7・5シンポ参加者有志一同代表 ]

◆1965年卒のOB・OGも署名に参加

また、以下は署名提出にあたり、送られてきた新聞学専攻卒の京都市在住、木佐木翠子(きさき・みどりこ)さんから支援会へ届いた手紙です。

《7月5日、夫が明徳館で原発の講演会があるから、パソコンで申し込んでおいたと言うので、二人で聴きに行きました。資料を見て、以前サリン事件で河野さんの講演会と同じ浅野ゼミ主催だなと思いました。京都地裁で地位確認係争中と書いてあるけれど、河野さんの講演会を聴いた後、先輩たちと話していたら浅野教授は同僚と裁判沙汰になっているらしいと言っていたので、まだ決着がついていないのかな?と思いながら小出さんの講演会を聴きました。その後、新聞学の教授たちの内紛で、浅野教授だけが定年延長が認められず、定年退職になったとの話になった。博士課程の教授は70~72歳まで定年延長されると、学生時代に私は聞いたことがあるのですが、これはいったいどういうことなのだろう。

私が学生だった頃の新聞学専攻の雰囲気は、教授たちみんな仲が良かったし、教授たちも先輩たちも若者の面倒を良く見るし、みんな和気藹々としていました。私達卒業生は新聞学専攻したおかげで素晴らしい教授や仲間に恵まれたことをいまだにずっと喜んでいるのに、その新聞学に内紛が起こり、浅野先生を解雇した?情けないです。新聞学卒業生の一人として私はとってもがっかりしました。翌日の6日に恒例の新聞学「住谷会」の集まりがあったので、早速浅野先生の教授復帰署名活動を開始。とりあえず32人の署名を集めたので送ります。

ちょうど私が大学4回生の時に海外旅行が自由化され、住谷ゼミが初めての香港ゼミ旅行を計画。2週間の日程で往復は外国船での船底生活をしながら、香港のマスコミ関係の会社訪問、香港大学での交流会などの内容でした。私は城戸又一ゼミでしたが、和田ゼミの友人達と参加を希望して初めての海外旅行を体験しました。旅行途中から住谷先生は体調を崩され、それでも全日程をこなし、帰りの船の中では殆どベッドの中で授業をされました。そして帰国して2週間目に先生は胃癌で亡くなられました。

それ以来、現在80歳になる先輩たちから昭和40年卒業の私達は「住谷会」と云う名称で、住谷先生の命日の7月12日の頃のなると相国寺の先生のお墓参りをし、その後新島会館で会食。今年で半世紀の50回目になりました。今回たまたま前田先輩が持ってこられた「住谷伸一 追悼文集」も同封します。私達が同志社の学生だった頃の、新聞学の素敵な雰囲気がわかると思います。
姉のゼミの先生だった松山義則総長も、総長時代にあらぬ嫌疑を掛けられて大変でしたが、やっぱり署名活動をなどで名誉回復されました。だから浅野先生も頑張って下さい。》

 署名活動は7月17日以降も続けられ、8月7日までに学生40名と一般市民31名の合計71名の署名が集まりました。このときも木佐木さんが20名以上の署名を集めて下さいました。同志社大学経済学部の和田喜彦さんも署名を集めくださいました。それらは政策学部4回生によって、8月8日に理事長と学長に提出され、7月5日から8月8日までに、171名分の署名が集まったことになります。

 要望書を受け取ってくれたのは法人事務部の関知将さん(理事長秘書)と、大学庶務課長の中村伸也さんです。