「同志社の理不尽な追放は浅野さんへの勲章」小出裕章さんが300人参加のシンポで激励
7月5日(土)午後、同志社大学今出川校地・明徳館21番教室(M21 )で、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章さんを招いてのシンポジウムが開かれました。
タイトルは《小出裕章さんが再び語る 東電福島原発「事件」後を生きる ~原発再稼働・輸出攻撃にどう向き合うか~》。浅野ゼミOBG会などで構成する同大小出裕章さん講演会実行委員会の主催で、シンポには300人の学生・市民が参加し、午後6時まで熱心な討議が続いて、大成功のうちに終わりました。
シンポの模様はIWJがネット(ustream)で中継しました。動画がIWJ・ustreamで配信されています。参加できなかった方は以下のURLでご覧ください。
まとめ → http://iwj.co.jp/wj/open/archives/150810
映像(前半)→ http://www.ustream.tv/recorded/49574165
映像(後半)→ http://www.ustream.tv/recorded/49580520
また、浅野ゼミ卒業生の氏本ロナルド智之さん(テレビ朝日映像ディレクター)のお母さん、氏本デリアさんがyoutubeに当日のビデオをアップしてくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=iRoKxNxBPTM
和田教授が開会のあいさつ
シンポでは、実行委員会を代表して、同志社大学経済学部教授の和田喜彦さんが開会のあいさつ。「福島の状況は依然として深刻なままなのに、再稼働と原発輸出が強行されようとしている。特定秘密保護法、武器輸出解禁、集団的自衛権の閣議決定など、日本は危険な方向に進んでいる中で、今後どうすべきかをみんなで考えたい」と述べました。
第1部の基調講演で、小出さんは「原発が差別構造の中から生み出され、日本政府が核武装の野望を捨てていないこと」を分かりやすく説明し、原発再稼働・輸出を企む安倍政権の動きを、特定秘密保護法・集団的自衛権・解釈改憲との関連でとらえ、参加者に現在当面する政治的課題として問題提起しました。
小出さんはまた、原発について発言すること、原発に反対すること、デモに参加することで、講演の会場が使えなくなったことなど、様々な攻撃を受けたご自身の体験を話した後、浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程教授の追放問題を「浅野事件」として取り上げました。「私は同じ団体のところには2回目はいかないことにしているが、同志社大学による浅野さんへの不当な弾圧を看過できないので、二度目の講演を引き受けた」と述べた小出さんは、「浅野事件は現代日本社会のネオファシズム状況下で起きたと」して、次のように指摘しました。
「いつの時代も、国家による強権的、暴力的な弾圧は必ずあります。でも、それ以上に、民衆自身が社会的規範とかいうものをつくって、人々を弾圧していく。浅野さんが受けた弾圧もそうだと思います。浅野さんがこれまで、マスメディアというものと果敢にずっと闘ってきた。そして、学生たちにそれを教えてきた。同志社という輝かしい歴史を持った大学が、もう浅野さんの存在を許容しないということになっている。皆さん、ご存知かもしれませんが、浅野さんが同志社から追放されるということになりかけている訳です。私は浅野さんを支持したいと思うし(会場拍手)、浅野さんが同志社大学から受けていることは、浅野さんにとっての”勲章”だ、と私は言っていますが(会場拍手)、その”勲章”を付けていくかどうかは、私たち一人一人が問われている。浅野さんを支えていくんだ、ということにむしろかかっているのだろうと思う」
シンポ第2部パネル討論
シンポ第2部では、同志社大学人文科学研究所教授の庄司俊作さん、鹿砦社代表で元同志社大学文学部自治会委員長・第98回EVE(学園祭)実行委員長の松岡利康さんもパネリストに加わり、浅野教授追放問題を約45分討論しました。この中で、小出さんはさらに次のように述べました。
「同志社大学という場所で、浅野さんが追放されるという、そういう時代がいま来ている訳です。大変厳しい時代ですけれども、私は、浅野さんが追放されることを“勲章”だ、と先ほど言いました。普通の方から見れば、浅野さんは“生け贄”にされた、というふうに見えるかもしれません。それを見て、ほとんどの方は萎縮すると思う。自分がやられないように、自己防衛に走るだろうと思います。ですが、浅野さんの追放を“勲章”にするためにも、自己防衛に走るのではなく、むしろ、この時だから闘おう、というふうに思って頂きたいと思います」
支援会は今回のシンポを通じて、裁判の支援の輪がさらに大きく広がることを強く願っています。シンポには、ベトナム戦争の枯葉剤を取り上げたドキュメンタリー映画『花はどこへ行った』の監督・坂田雅子さん、門真市議の戸田ひさよしさんも参加し、会場から発言してくださいました。シンポの最後に挨拶した学生代表は「浅野健一教授のようなジャーナリストになりたいと思っています。これからも支援していきたい」と述べました。
浅野教授の定年延長を求める署名
シンポジウム終了後、浅野研究室があった同志社大学新町キャンパス近くで懇親会が開かれ、深夜まで原発と報道について語り合いました。小出さんからは「大学、とりわけメディア学科教員たちの圧力に屈せず、シンポをスタッフとしてやり遂げ、浅野教授の裁判を支援している学生たちは、同志社の誇りです」と称賛の言葉をいただきました。
支援会ではこの日、シンポ会場で、理事長と学長宛てに浅野教授の定年延長を求める署名を「小出裕章さんのシンポジウムに参加した市民有志一同」として参加者にお願いし、市民・学生約60人分集まりました。さらに、このシンポに参加していた文学部社会学科新聞学専攻(現社会学部メディア学科)1965年卒業の木佐木翠子さんが翌日の7月6日に新島会館で開かれた新聞学「住谷会」(故住谷伸一新聞学専攻教授を偲ぶ会)の会合で32人の署名を集めてくれました。
また、現役学生にも「同志社大学現役学生有志」による浅野教授の担当科目の開講を求める署名をお願いしました。支援会の学生代表2人が7月17日、それまでに集まった署名を水谷誠理事長と村田晃嗣学長へ提出しました。2人は署名提出の際、次のような文書を添付しました。
「これは浅野教授が学内外つまり社会から求められていることの証左であります。私たちの母校ともいうべき同志社と私たちの尊敬する浅野教授が裁判で争うというのは、見ていて心が痛みます。私たちはこのようなことを望みませんし、新島襄が生きていれば彼もきっとそう思うことでしょう。私たちは浅野教授の定年延長拒否問題が明るみに出た2013年10月末以降、村田学長らに浅野教授の定年延長を認めるようにお願いしてきました。同志社大学の卒業生も含めた多くの市民と現役学生の願いに耳を傾け、浅野教授を一日も早く教壇に戻していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。7・5シンポ参加者有志一同代表」
学生の支援活動を歪曲・非難する大学当局
浅野教授が2014年2月4日に起こした地位確認本案訴訟の被告である学校法人同志社は、4月4日に京都地方裁判所第6民事部へ提出した「答弁書」のp41の「オ 現在の学生の状況」の中で、《原告は, 自分がいないと学生らの指導に不都合が生じる旨を主張するが,現時点で,不都合は何も生じていない。一時帰国中の留学生を除き,大学院生らは指導敬員の変更を了承して新年度の研究・勉学をスタートさせているし, 学部生も, 各自が希望するゼミへの移籍を終えている》と言い切っています。
また、浅野教授定年延長拒否の動きが明るみに出た後の院と学部の学生たちによる大学当局に対する嘆願活動について、p39で以下のように断定しています。
《本来,学生らは自己の学習,研究等を行うことが本分である。大学院教授が, 自らの利益のために学生を利用し,学生の学習,研究等を阻害することは許されるものではない。 それにもかかわらず, 原告は, 構造的な上下関係権力関係を背景に, 自己の利益のために学生らを紛争に巻きこみ, 大きな精神的負担を負わせ, 多大な時問を使わせており, 学生らが被る弊害は著しく大きい》
「一時帰国中の留学生」というのは13年度博士後期3年生のナジ・イムティハニさんです。ナジさんは、2、3月の専攻会議で博士論文資格の審査を数の暴力で否決され、3月末付で満期退学にすると研究科委員会は6月勝手に決め通告しました。ナジさんの博士後期3年目の成績は、浅野教授に相談なく誰かがつけました。13年度の矢内真理子さんの指導所見も同様です。違法、不当なことがやりたい放題に行われています。
昨年10月29日からの学生や卒業生による「浅野教授を残してほしい」という要望活動は、当時の博士後期課程2年生矢内真理子さんや浅野ゼミ出身の大学講師らが中心になって自然発生的に起きたことで、浅野教授が強制したものでは全くありません。また、学生のためにも14年度以降も教鞭をとりたいと考えた浅野教授が、学生たちと共闘するのは当然ではないでしょうか。「指導教授を失って困る」と感じた学生、保護者に対して、何もするなというのはそれこそ学生を軽視しているのではないでしょうか。
浅野さんから感謝のメッセージ
浅野さんはシンポの成功について、支援会に次のようなメッセージを寄せられました。
《浅野ゼミ関係の招きで二度目の講演を引き受けてくださった小出さんに、心より感謝します。また、実行委メンバーとして同志社で一番大きい教室を借りてくださり、資料の印刷などでもご尽力いただいた和田さん、パネリストになってくださった庄司さん、松岡さん、シンポの準備段階から中心的に関わってくださった鹿野健一さん、学生では総合司会を務めてくれた2年生、2部の学生代表パネリストを務めた4年生、2部のコーディネーターの2年生の皆さんにも、心からお礼を申し上げます。
受付を担当してくれたOBの森類臣さん、会場の片づけを担当してくれた望月詩史さん、資料の印刷・帳合などを担当してくれた他学部の院生・学部生有志、他大学の学生有志のみなさんにも感謝します。家族連れで愛知県から駆け付けてくれた浅野ゼミ3期生の伊藤(田中)陽子さん(元朝日新聞記者)ら元浅野ゼミ生の参加者(元ゼミ生の家族含む)もいました。会場には元ゼミ生の現役学生もいました。
メディア学専攻・学科の複数の専任教員が、院生や学部生に対し、「シンポにかかわらないように」「署名活動に加わらないように」と圧力をかけていることが分かっています。浅野ゼミ2期生の河﨑吉紀准教授は6月下旬、院の授業の中で、受講している院生に7・5シンポに協力しないように警告しています。河﨑氏は「業績が不十分」(竹内長武教授の専攻会議での発言)なため、大学院教授にまだ任用されておらず、院では嘱託講師として授業だけ担当しています。複数の教員の院生に対する言動は、集会結社の自由、学生自治への侵害です。
河﨑准教授はメディア学科の学生全員で構成する学術研究団体であるメディア学研究会(13年度の会長は生駒了士氏)の新役員選出について「私が学部メディア学研究会の担当になった。研究会役員の選出方法は新しいシステムでやることになった。一部学生による(研究会の)濫用を防ぐためだ」と3年ゼミの時に話しています。河﨑ゼミの6人が聞いています。これも学生自治への許しがたい不当な介入です。》
7・5シンポはもともと博士後期課程2年(当時、前期1年から指導教授は浅野教授)で大学院メディア学研究会会長(2013年度)=14年4月25日から日本学術会議特別研究員(受入研究者・竹内長武教授、研究課題は「東電福島原発事故と報道」)=が13年10月、小出さんに講演を依頼し実現しました。ところが、前会長は今年1月末、院生・学部生の「研究会の主催で小出さんを招請してほしい」という要請に、「私の任期は14年6月で終わるので、次期役員に要請してほしい」と表明しました。メディア学専攻の院生によると、前会長は6月中旬に発足した新役員に小出さんシンポに関して何の引継ぎも行っていないようです。結局、メディア学研究会は今回のシンポにノータッチでした。
小出さんから浅野ゼミ生へ
小出さんは6月13日のシンポ打ち合わせの際、浅野研究室にいた学生の今後の人生について次のように話しています。
《浅野さんなんかと関わったらペナルティーを受けるかもしれないわけでしょ。そういう世界なわけですから、皆さん自分がペナルティーを受けるというのはやっぱり嫌ですよね。特に若い人なんてこれからどうやって生きようかと思っている、そういう時に向こう側は徹底的に浅野さんを弾圧することで『こうやるぞ!』と言って見せしめを作っているわけですから、周りの人がそれで萎縮するというのはもちろんあり得るだろうと思います。ですから、それを食い破っていけるだけの人材を育てられるかどうかということが私たちの役目なんだろうと思う。
浅野さんは本当に理不尽なというか、こんなの大学かと思うような形でやられているが、私はどっちかっていうと、これが浅野さんの勲章だと思っている。浅野さんのような生き方をするから彼らは嫌なわけだし、権力に徹底的に嫌がられるという意味で浅野さんはついに突出したというかね、ちゃんと闘った。でもそれを見ていれば、皆は『ああこれはだめだな』『俺は黙っていよう』というところに今どんどん行っている。
日本では、『強いものには巻かれろ』とか、『寄らば大樹の陰』というように、とにかく強いものの、お上の顔色をうかがいながらそれに抵抗しないように、ご機嫌を損なわないように生きてきた。今それが急激に悪くなっている。
社会が今ものすごく悪い方向に転げ落ちて行っているし、浅野さんが弾圧を受けたのは勲章だと私は思うけど、でも悪い方向に落ちて行っているのを何とか食い止めないといけないわけだし、それをどうしたら食い止められるのかが私にはよくわからない
だから今度のシンポジウムでも、そんなことを語り合いたい。浅野裁判はものすごく重要だと思う。使える制度は使わなければいけない。アカデミズムがここまで腐っているわけだから、裁判所に訴えるのはしょうがない。
浅野さんは生贄にされた。自分も同じ目に遭うかもしれないという恐怖感を与えている。特定機密保護法案が既に成立した、施行はまだだが、マスコミも含めてみんなあの法律が出来たら怖いなーと思っていて、たぶん自主規制は既に始まっている。
私が勤務するこの研究所でも65歳の定年後、嘱託のような雇用形態での再雇用制度があります。5年間ぐらい働けるのですが、私の場合は、同僚たちは祝賀パーティを開いて私がいなくなるのを喜ぶのではないでしょうか。私は40年近く、ずっと助教です。これだけ長く助教をやる人は世界中にいないので、ギネスブックに登録しようかと思っています。助教だから再雇用はない》
浅野教授とともに、ジャーナリズムのあり方について学問・研究してこられた皆さんが、小出さんの言葉を胸に刻んで学問研究に励んでほしいと支援会は願っています。