対渡辺教授裁判が結審、12月3日(月)に判決/弁護士会館で判決報告集会
浅野健一・同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授が2009年9月に提訴した対渡辺武達氏裁判(渡辺氏側も反訴)の最終弁論期日が9月10日(月)午前11時から、東京地裁民事第7部(堀内明裁判長)606号法廷で行われた。双方が最終準備書面など書証を提出し結審し、判決が 12 月3日(月 )午後1 時20分から同法廷で言い渡されることになった。
同日の判決言い渡しの後、午後2時から3時半までの予定で、裁判所の隣にある弁護士会館5階の東京弁護士会509会議室において、浅野教授支援会と弁護団による判決報告集会が開かれる。足利事件の菅家利和さん、布川事件の杉山卓男さんら支援者が参加する予定。
どのような判決が出るにせよ、本裁判は高裁、最高裁まで裁判が続くことは必至で、支援会は浅野教授の名誉回復と教育・ジャーナリズム活動を守るための裁判闘争を支援していきたい。
9月10日の裁判では、本訴原告の浅野教授側は代理人の弘中惇一郎・小原健司・山縣敦彦各弁護士が出廷した。原発報道を共同研究し、福島合宿に向かう途中の浅野ゼミ4年生・院生の15人、布川事件の杉山卓男さん夫妻、「浅野教授の文春裁判を支援する会」の山口正紀事務局長、JR総連本部の2人、慶大白井ゼミの同窓生らが傍聴した。渡辺氏側からは文春記事を書いた文春契約記者の名村さえ氏ら女性2人が来ていた。本裁判傍聴の“常連”である元同志社大学院生・中谷聡氏と神奈川大学経営学部教授・大庭絵里氏の姿はなかった。
本訴被告の渡辺氏は10時半に裁判所に入ったが、開廷まで、通路にいた代理人の池上哲朗・拾井美香両弁護士と別行動で、被告席に座らず、傍聴席の最前列で待っていた。法廷前の廊下で待機していた両弁護士が法廷に入ると、渡辺氏も被告席についた。渡辺氏は傍聴席の学生たちをちらっと見たが、原告席には全く目を向けなかった。
浅野教授側は準備書面(13)、(14)を提出した。両書面は渡辺氏が自分の指導する院生を使ってハラスメント事案をでっちあげて、個人的関係を使ってハラスメント委員会に持ち込み、委員会審理が思いどおりに進まないことに業を煮やして、週刊誌に垂れ込んで虚偽の記事を書かせた構造を明らかにし、渡辺氏側の本裁判での様々な主張を全面的に批判した。
準備書面(13)は48ページあり、「総論」「文春裁判における認定判断」「本訴被告による文春への情報提供(第1行為)の違法性」「C子への「セクハラ」の事実が存在しなかったこと」「新潮名誉毀損事件について」「本訴原告が被った損害について」「反訴請求について」「結語」など12章にわたっている。
総論では、以下のように主張を展開した。
《本訴原告が掲げた8点の違法行為は、いずれも、本訴被告が、本訴原告を不当に社会的に抹殺することをもくろんだきわめて悪質かつ執拗な行為であり、しかも、8つの行為はそれぞれが有機的に関連している。すなわち、本訴被告は、週刊誌に虚偽の情報を持ち込み、それを記事化させることをした(第1行為)上で、通常ならそのような記事を読まない可能性の高い同僚教員に確実に読ませるために、これをコピーして週刊誌が発売された翌日に配布し(第2行為)、また、同僚教員間での本訴原告の評価を一層下げることをもくろんで裁判所の調査嘱託に関する書類や他事件の和解書のコピーを同様に配布し(第3,第4行為)、上記週刊誌記事に対する本訴原告の反論活動を封殺するために紀要回収を行い(第5行為)、さらに第1ないし第3行為の効果を増強するためにインターネットでの誹謗中傷行為を繰り返した(第6ないし第8行為)ものである。
したがって、本訴原告の被ったダメージも、単発の名誉毀損報道とは比べものにならないくらい深刻であったし、特に、本訴原告の学者としての活動を困難にすることに焦点を合わせて多数の同僚教員や本訴原告に近い周辺の人々などに内容虚偽の情報を送り続けたことで、本訴原告の被った被害は甚大なものであった。
その上、本訴被告は、その邪悪な目的を完遂するために、自身のメディアに対する影響力、学生に対する影響力を不当に利用し、また、証拠の改ざん、ねつ造、さらに事実の歪曲を繰り返したものであり、その違法性は極めて高い》
また、被告側が《C子に対する「セクハラ」行為の行われたとされる当時の宿泊ホテル所在地域が「シシリー」(一般的にはシチリアとも表記される、地中海上の大きな島でありイタリア共和国の特別自治州)である》と繰り返し主張しているなど誤記が多いと指摘した。本訴原告もC子も「シシリー」に泊まったことなどまったくない。泊まったのは同じ地中海でももっと東に離れた島国である「マルタ」共和国である。欧州報道評議会参加のためだった。
渡辺氏は陳述書で、浅野教授と初めて会ったのが1989年秋期(本訴被告が同志社大学に移る前年で、当時京都産業大学の教授であった)であったとしているが、その頃本訴原告は共同通信の記者としてジャカルタに支局長(1989年2月から1992年7月まで)として勤務していたのであり、本訴被告と知り合う機会など全くなかった。
さらに、渡辺氏は《陳述書で「同志社大学では・・・本件訴訟の結果次第で本訴原告に対する処分を決すると聞いています」、「本訴原告が何回も自身の市民活動での知人や弁護士を伴い、大学当局に『事件が存在しなかったことを認めよ。』との圧力をかけてきています」などと述べているが、これらも全くの虚偽である。前者の記述については、現段階で大学がそのような意向を示すことなど到底考えられない上、それを示す証拠も一切ない。後者の記述についても全くの言い掛かりであり、このような事実がないことは杉山卓男ら作成の陳述書においても明確に示されている》と述べた。
さらに、「本件の異常性」として、次のように主張した。
《本件においては、本訴原告がC子ら女子学生に対し「セクハラ」行為に及んだ旨の情報提供が問題となっているが、本件裁判においては、「被害者」である女子学生らが、証人としてはおろか、陳述書の提出といった間接的な形でも全く登場しなかった》
準備書面(14)は17ページあり、渡辺氏側が強調する「TA問題」について論じた。
《本訴被告側の反証には大変に際立った特徴があった。それは2003年4月に起きた「TA問題」を徹底的に強調したことである。現に被告代理人は本訴原告本人反対尋問・本訴被告本人主尋問どちらの際も、本訴原告からC子やE子に対する「セクハラ」の有無やそれらに関する本訴被告の行動に関する尋問はかなり少なめであって、圧倒的に多くの時間がこのTA問題に割かれていたことである。
双方の主張どちらからしても、「セクハラ」問題やそれを受けた対応行動こそが事実関係レベルで最大の焦点になるのは自明の理である。しかるにそれに比べて明らかに周辺事情でしかない「TA問題」にかような労力・時間が配分されたのはかなり奇異ですらある》
このように、本訴原告の浅野教授側は、同志社大学大学院メディア学専攻のTA決定の手続きや様々な実例を紹介し、渡辺氏側の主張が荒唐無稽であることを完全に論証した。
また、渡辺氏側が証拠として出したC子さん関係のメールなどが本人の文章ではないことを証明する堀田秀吾・明治大学法学部教授(法と言語科学研究所代表)の追加鑑定書を提出した。
渡辺氏側は、書面のほか、浅野支援会HPの記述を「不法行為」の証拠として提出した。裁判の経過を支援者向けに客観的に報告した支援会のHPに掲載されたレポートを人権侵害と主張することに呆れる。
堀内裁判長は「双方 、主張 及び 立証は尽くしたという理解で良いか」と双方に聞き、両者が「それで構わない」と答えたため、「それでは、本期日をもって弁論を終結し、次回に判決を言い渡す」と表明し、次回期日は12月3日となった。一審の判決日が決まったが、どんな結果であれ、どちらか、または双方が控訴すると思われ、まだまだ闘いは続く。
浅野教授と弁護団は12月3日の判決後に東京の司法記者クラブで記者会見をする予定である。
●報告集会に30人が参加
裁判終了後に、裁判報告集会が弁護士会館で開かれた。弁護団は「やるべきことはやった。12月3日の判決を楽しみに待ちたい」と語った。以下は、支援会事務局の報告である。
渡辺裁判の結審を受け、裁判終了後、弁護士会館会議室で浅野教授支援会と弁護団による報告集会が開かれた。弁護団の弘中、山縣、小原各弁護士と浅野教授が報告を行った。浅野教授支援会の山口正紀事務局長(ジャーナリスト)が司会を務め、浅野ゼミ学生、布川事件冤罪被害者、杉山夫妻ら約30名が参加した。
報告会では最初に山縣弁護士が、渡辺裁判全体を網羅的に振り返り、以下のように説明した。
「この裁判は約3年続いて今日結審を迎えた。渡辺教授が2005年、週刊文春に記事の元となる情報を提供したことなどを問題にしている裁判だ。文藝春秋と記事を書いた記者とを訴えた文春裁判では浅野教授が勝訴しているが、今回の裁判では情報提供をした渡辺教授を相手取り、8つの不法行為を取り上げている。最大の問題は文春への情報提供だ。文春裁判勝訴確定後、浅野教授には損害賠償が支払われているので、その点難しい面もあるが、それだけでは十分に購われていないと考えている。渡辺教授は、文春への情報提供に止まらず、文春記事をコピーして教員に配布したり、インターネット掲示板やメールを送付したりしている。渡辺裁判の大きな特徴は、渡辺教授が「セクハラ被害者」と主張した人物が裁判に登場してきていないことだ。原告側(浅野教授側)から証人申請したが出廷しなかった。渡辺教授側はメール等を証拠として出しているが、本当にすべて被害者とされる人物が作成したものか疑問であり、それを科学的に証明するため、法言語学者に鑑定を依頼し、証拠として提出した。一般的な名誉棄損と異なり、あえて同僚教員、学生に対して間違った情報を伝える、毎日接する人に伝える、というのは一般レベルに情報を伝えるのと違法のレベルが違う。出せる証拠はすべて出して闘ってきたので、12月3日の判決が楽しみだ」。
次いで弘中弁護士が、裁判の争点を解説した。
「裁判の主要な内容は山縣弁護士が説明したとおりだが、少し補足すると、米国などでは名誉棄損には『現実の悪意』という概念がある。つまり、わざと、極めて不注意な形で、間違っていても構わないというふうな形で名誉棄損をすると、非常に責任が重くなるという考え方がある。本件の場合、渡辺さんが単に情報提供するだけではなくて、普通なら週刊文春を読まない人にわざわざ記事をコピーして配ったり、反論を封じるために大学の紀要を回収したり、色んな形で、浅野さんを職場から追放することを視野に入れて、悪質な形で、いろいろな行為をしてきた。なので、我々は、普通の名誉棄損とは格が違うと主張している。つまり、単なる名誉棄損記事の情報提供者じゃなくて、もう一つランクが上だということ。それから『セクハラ』という概念が本件でも議論になっているが、なにが『セクハラ』か、というのは非常に難しく、微妙な問題だ。『女性がセクハラと思ったらセクハラ』というような単純なものではない。だから、それを的確に判断するために、学内の委員会があったりする。それにもかかわらず、このケースでは、言葉だけが飛び交って、しかも肝心の関係者は誰ひとり証人にも出てこない。メールみたいな、影みたいなものだけがあって、しかもそれが『何があったか』を抜きにして、ただセクハラがあったという言葉だけが飛び交っているという事件だ。裁判所は、そのあたりをどう判断するか。いずれにしても文春裁判ではセクハラはなかった、という判決が最高裁で確定している。裁判所は文春確定判決を無視はできないだろう」。
弘中弁護士はこのように「現実の悪意」の有無も、渡辺裁判で争われている重要な争点であることを分かり易く語った。
小原弁護士は「被害者の姿のない裁判」の特徴を次のように語った。
「『被害者』の姿のない裁判だった。文春裁判でも『被害者』は法廷に来なかった。『被害者』は渡辺教授の指導下の人間が大半だ。文春記事で最も中心的な『被害者』とされたC子さんは渡辺教授側に迎合させられていたようだが、セクハラ問題がもたらしかねない浅野教授追放という危険の重大さに怯え、浅野教授と渡辺教授との“板挟み”が嫌になり逃げたくなったのではないだろうか。また、この裁判ではメディア学研究者としての渡辺教授のダブル・スタンダードも問題だ。渡辺教授自身が原告となったが敗訴した週刊新潮事件の報道では、渡辺教授が大教室での授業で性交場面を含む映像を上映した事実についての争いはなかった。しかし、浅野教授の文春報道裁判では、セクハラなどの事実自体が争いの対象になっている。その意味では、自分の新潮事件以上に浅野教授の文春事案では、名誉毀損被害発生の危険について本来慎重な配慮が必要だった。それなのにそんな配慮など全くなく、文春に協力し報道に踏み切らせた。学者としてのあるべき判断など放棄し、かなぐり捨てている」。
小原弁護士は、06年1月に京都地裁に提訴し、10年に最高裁で全面勝訴が確定した文春裁判からの流れを辿りながら「被害者」不在という異例の裁判の特徴を説明した。
最後に浅野教授が次のようにあいさつした。
「JR総連、杉山さん夫妻、浅野ゼミの学生ら多くの人が傍聴に来てくれた。心より感謝している。専任教員が9人しかいない(内1名は5年の任期付き)メディア学科の中でベテラン教員同士が裁判で争っているのは、大学が調整機能を失っていることが原因だ。真実は一つなので、どちらかの主張が正しければどちらかが大学を辞めるしかないと考えている。
文春裁判で勝訴して以来、この裁判を起こすかどうか慎重に考えたが、やはり提訴に踏み切った。渡辺氏が文春裁判後も、私をセクハラ加害者、性犯罪者のように大々的に言っている上、大学の委員会や執行部が判断を回避し逃げている以上、司法に頼るしかないと思った。裁判所についてはいい印象を持っていなかったが、文春裁判の大阪高裁判決には司法の力を再発見した。そして弘中先生にお願いしたら快く引き受けてくれた。強力な弁護団ができて、しっかりした闘いができた。やり残したことはない。本来、大学が調整してくれれば、この裁判も途中で止めることが出来たが、そうならなかったので仕方がない。浅野を辞めさせたい勢力だけではなく、実名報道主義や記者クラブムラを擁護する勢力、朝鮮民主主義バッシングが好きな勢力などが、渡辺氏の背後で束になって私に攻撃を仕掛けてきたのだと思っている。この裁判は人権と報道・連絡会や人民のために活動するジャーナリズムの創成を目指す人々の闘いでもあると思っている」。
浅野教授はさらに以下のように述べて締めくくった。
「2003年にC子さんがハラスメント委員会へ申し立てたと渡辺教授は主張しているが、本人は申立していないことが裁判で明白になった。ハラスメントの被害者とされる学生は委員会が各学部に一人ずつ置いている相談員に持ち込み、相談員が聞き取り調査をして本人のサインの入った文書を委員会に送り、委員会が調査事案にするかを決める。私のケースは、渡辺氏が同じ教授会メンバーだったという個人的な関係を使って、当時の鈴木直人委員長に『学科会議決定』と偽って申し立てを行っていた。渡辺氏が事実上の申立人である“C子さん事案”は2003年12月に委員会に行く前に流れた(審議の対象から外れた)。ところが、懲りもせずに渡辺教授は自分がコントロールしていた中谷・三井両氏をハラスメント被害者にでっちあげて2004年1月に再度申し立てを行った。中谷氏は浅野ゼミ3期生で、私が9年間も指導した学生であり、どうして渡辺氏の謀略に加担したのか分からず、一時深刻な人間不信に陥った。しかし、この裁判で多くの心ある人たちが支援してくれた。多くの学生、院生は困難な状況の中、支えてくれた。これからも支援をお願いしたい」
山口事務局長は「自身の著書で『文春、新潮は人権侵害メディアだ』と書いてきた渡辺教授本人が、文春を使って浅野さんを攻撃したのは、学者、研究者として失格だ。文春には結果的に『渡辺教授に騙された』との感もあるだろう。渡辺教授は本件の原因を作った人だから、責任を取らせる必要がある。裁判所がしっかりとした判断、モラルを判断するよう期待したい。今後も注目して欲しいし、文春裁判以来の名誉棄損を巡る裁判全体が、学生さんにとっては良い研究材料にもなるだろう」。
その後の質疑では、学生から、「最高裁まで行った場合、どのくらい時間がかかるのですか」との問いがあり、弘中弁護士が「最近は審議が早い。2審は1回で結審という場合もある。ただし新たな理由が生じた場合は長引くかもしれない」と答えた。3年間の裁判を短時間で語りつくすことは難しいが、内容の濃い報告集会であった。
いよいよ12月3日には判決言い渡しが行われる。多くの皆さんのご支援、ご注目と、傍聴を支援会からもお願いしたい。今後も引き続きのご支援よろしくお願いいたします。
最後に、渡辺氏により被申立人にされて9年になるのを機に、浅野教授が支援会へ寄せた支援の要請文(12年9月21日)を紹介する。
《この9月26日は、渡辺氏が、「セクシュアル・ハラスメント防止に関する委員会」(以下、ハラスメント委員会)の鈴木直人委員長(当時、文学部心理学専攻教授で、現在は心理学部長)に、「専攻・学科会議の決定」があったと詐称して、鈴木氏との個人的な関係を使ってC子・三井愛子・中谷聡各氏の件の捏造情報を伝えてからまる9年に当たる日です。ハラスメント委員会の委員長、委員の名前は開示されていません。渡辺氏は03年度、委員会の委員で予備調査にかかわった経済学部の新関三希代教授らも使って、C子さんに「セクハラを受けたと認めなさい」と圧力を掛けています。当時の院生が、新関氏が渡辺氏と何度も会っているのを見ていますが、渡辺氏はそのことを否定しています。渡辺氏はどういう手段で委員の姓名を知ったのでしょうか。
C子さんケースは、C子さんが鈴木氏らの予備調査に対し、セクハラされた事実は全くないと断言したため、03年末までに調査不開始の決定がありました。
ハラスメント委員会は05年末に「調査は終わっている」と言明しながら、文春裁判と本裁判を理由に「静観」を決定し、私は今も「被申立人」のままになっています。9年間も「調査・審理」を続けているというのはまさに非正常、理不尽な事態です。
形式的な「申立人」を演じてきた二人と渡辺氏はハラスメント委員会と大学当局を罵倒、侮辱しています。「委員会が機能しないからマスコミに働きかけた」と渡辺グループは言っています。二人は申立人としての資格を完全に失っていると私は思います。
渡辺氏は今年2月に出した陳述書で、「同志社大学では・・・本件訴訟の結果次第で本訴原告に対する処分を決すると聞いています」、「本訴原告が何回も自身の市民活動での知人や弁護士を伴い、大学当局に『事件が存在しなかったことを認めよ。』との圧力をかけてきています」などと述べています。
そんなことを大学の委員や執行部(学長ですら委員会の進捗状況は知らされていないはずです)が渡辺氏に伝えることはないでしょうが、これは、逆に言えば、本裁判に渡辺氏が敗訴すれば、彼が重い処分を受けるということだと思います。
本裁判は、私の同志社大学での教育研究の拠点を守る闘いでもあります。
これからも支援をどうぞよろしくお願いします。》
(了)