渡辺教授が同大当局を不当に批判、佐伯教授らに責任転嫁などの偽証連発
「調べてないがセクハラはあった」と開き直り
浅野健一・同志社大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授が同僚の渡辺武達教授に対して東京地方裁判所民事七部(堀内明裁判長)に起こした損害賠償訴訟(後に渡辺教授も反訴)で、第3回証人調べが5月11日(金)午前10時から12時半まで806号法廷で開かれた。今回は、本裁判の最大のヤマ場である本訴被告(反訴原告)の渡辺教授の証人調べが2時間半行われた。「メディア学の権威」「報道倫理専門家」を自称する大学人が週刊誌を使って同じ専攻の教授を社会的に抹殺しようとした構図の一端が解明された。裁判所が渡辺氏の証言の反訳記録を近く証拠とするので、正確な証言内容はそこで明らかになるが、支援会のメモをもとに渡辺教授証言の問題点を報告したい。
裁判長は堀内明、右陪席は中村心(こころ)、左陪席は森山由孝(よしたか)の各裁判官。法廷の裁判官席に向かって左側に、本訴原告の浅野教授側の代理人である弘中惇一郎、若松芳也、小原健司、山縣敦彦各弁護士が浅野教授と共に座った。右側に渡辺教授側の代理人は池上哲朗・拾井美香・野崎隆史の各弁護士が並んだ。
傍聴席には、浅野ゼミOBG会会長でフリーアナウンサーの馬場尚子さんの他、浅野ゼミOBGの森類臣さん、院生の矢内真理子さん、学部の浅野ゼミ3年生3人も参加した。人報連の山際永三さん、山口正紀さん、船橋進さん、宮城学院女子大学の新免貢教授、元愛媛大学教授の田中弘子さん、安田忠郎・前武蔵工業大学教授も傍聴した。冤罪の被害者の足利事件・菅家利和さん、布川事件・杉山卓男さん、松本サリン被害者の河野義行さん(鹿児島)、インドネシア語通訳・翻訳家の大石薫さん(元大学院生のPさんと一緒に浅野教授の講談社『月刊現代』記事の取材に同行。陳述書提出)ら計41人が傍聴した。
渡辺教授サイドは大庭絵里・神奈川大学教授と文春記事を書いた契約記者2人(男女)の計3人だけとみられ、渡辺教授グループによるセクハラ捏造の“準キーパーソン”の三井愛子氏は今回も姿を見せず、文春裁判も含め傍聴を続けてきた中谷聡氏も来ていなかった。渡辺教授グループの中心的役割を果たした野原仁岐阜大学准教授、津田正夫・前立命館大学教授の姿もなかった。傍聴席は原告側が圧倒した。
陳述書の訂正せずに偽証のオンパレード
渡辺氏は最初に「ウソ、偽りを述べない」という宣誓書を読み上げた。傍聴した浅野ゼミ学部生の一人は、「渡辺教授はいつもの教壇とは違って張りのない声で小さくなっていた」と証言した。
被告代理人の拾井美香弁護士が主尋問の最初に、渡辺教授が2月2日付で裁判所に出した陳述書を示し、「訂正するところはあるか」と聞くと、「ありません」と答えた。この陳述書には、原告と初めて会ったのは1989年秋期(浅野教授は当時共同通信ジャカルタ支局長でジャカルタにいた)などのでたらめのほか、「海外で院生を毒牙にかけた」などのウソと歪曲がいっぱいで、それに対し、多くの支援者(現役学生を含む)が4月下旬相次いで、具体的な証拠を基に陳述書や意見書を出して批判している。
拾井弁護士による主尋問の60分のうち約40分は、原告側が不法行為として全く取り上げていない「TA問題」(アカハラがあった旨問題にされた)に使われた。これは3月26日の浅野教授への反対尋問の時と同じであった。あるいは拾井弁護士ら被告渡辺教授側としては、浅野教授が当時この問題でC子さんも含む院生らにことさらに強硬な言動をしていたとか・C子さんがTAを受けるのを最初の頃から渋っていたとかいう悪印象あるいは先入観を醸し出そうとしたのかもしれない。しかし結果的にはそれはそう成功したと言いがたい。
渡辺教授は証言の中で、数回、同志社大学と同大のセクシュアル・ハラスメント防止に関する委員会(以下、ハラスメント委員会)が「2年もたつのに(原告の処分に)動かなかった」「職務怠慢で機能していない」などと痛烈に非難した。さらに「毎日新聞の取材に対して、問題があれば裁判をすればいい等とコメントした大学はけしからんと思う」と述べた。現職の大学教員(定年延長中)が勤務先の大学を罵るのは極めて珍しい。渡辺教授は文春記事の内容は真実だと断言し、文春記事が出た後、「セクハラを起こした教員が2名職を辞した」とあたかも具体的な全体状況を把握しているかのような発言をした。しかしそのような発表は公式に行われたことがなく、到底説得できる根拠とはいえない。同志社大学倫理審査室の担当者によると、「ハラスメント委員会の認定で、解雇された教職員はいない」という。
また、渡辺教授は2003年9月27日にハラスメント委員会の鈴木直人委員長へC子さん事案を持ち込んだ経緯について、「佐伯順子教授がセクハラ委員会に申立てようと専攻会議で提案した」という驚くべきウソをついた。文春裁判では、自身が情報提供で主導的役割を果たしたと認めていたのに、本裁判では他人のせいにする作戦だろう。さらに、「自分は専攻会議に原告を呼んで事実関係を聞くべきだと言ったが、賛同する同僚がいなかった」というウソもついた。文春裁判では、「浅野先生は怖い人だから聞けない」などと証言していた。
渡辺教授はハラスメント委員会のパンフを読んでいないし、被害を受けたと感じた学生は各学部に置かれている相談員に相談するようにというガイドラインも全く知らなかったと述べた。ガイドラインは教員が把握すべき内容で、知らなかったでは済まされない。これこそ職務怠慢ではないか。
渡辺教授は「浅野教授が同志社大学の教授になって2年目から評価が変わった」と述べ、その理由は「セクハラだ」と説明した。浅野教授の2年目と言えば、1995年度に当たり、渡辺教授が捏造した“セクハラ”は2000年以降のことだ。時期が全く合わない。虚偽事実をつぎはぎしているから混乱しているとしか思えない。
委員会の委員長や委員の役職、姓名は公表されていないのに、鈴木直人文学部教授が委員長で、他の委員もC子さんから事情を聞いたなどと、証言した。渡辺教授はどういう手段で委員の情報を知ったか、大学は調査すべきだ。
渡辺教授は「原告はC子さんの他に院生2人にセクハラをしていた」「立命館の学生のE子さんにセクハラしたと京都新聞の記者(渡辺陳述書ではY記者)から聞いた」「東京でもセクハラをした」などという悪質な虚偽証言を繰り返した。
渡辺教授は証言の中で「文春記事が出てから同大でセクハラが減った」などと“堂々と”言い放った。
またも「TA問題」でウソ
渡辺教授はTA問題で、「当時、院生会の会長は大島十二愛さん(現在共立女子大学文芸学部文芸学科文芸メディアコース准教授)で、TAを取りまとめていたのは三井(愛子)さん。博士後期課程(渡辺教授が文春裁判で言った言い回しによると「院生D(博士課程)会長」)の責任者は中谷氏が行っていた」と言った。
院生会という組織は北村日出夫教授(故人)が院の専攻教務主任だったころまでは存在していた。現役の大学院生だけでなく課程を修了したOB、OGが加入しており、院生の中間発表会に参加し、院生が発行する紀要に書くこともできる。一方、院の「新聞学研究会」は院専攻に在籍する学生だけで構成される公的組織で、会長、副会長、会計担当がいる。しかし、渡辺教授の造語である「院D会長」や「博士後期課程院生の責任者」という役職は存在しない。渡辺教授らの頭の中だけに存在するようだ。
また、被告代理人の質問に「浅野教授はC子さんがTAにつくことにこだわった」ととんでもない嘘を言った。浅野教授は03年の授業にTAが配置されることを強く望んではいたが(補助がいないと授業進行に支障が出るため)、C子さんにこだわったわけでは全くない。さらに「03年11月27日の中間発表時に、浅野教授はC子さんに対して詰問、糾弾、弾劾した」などと事実をねつ造した。
また、渡辺教授は「C子さんは当時睡眠障害で薬を飲んでいると言っていた」と答え、C子さんの実名も言ってしまった。プライバシーの暴露である。
弘中弁護士の鋭い追及にしどろもどろ
この後、原告代理人の反対尋問に移った。原告代理人の弘中惇一郎弁護士(4月26日に東京地裁で無罪を言い渡され5月9日に控訴された小沢一郎氏の弁護団長)は最初に週刊新潮AV記事のことを取り上げた。弘中弁護士は「セクハラ」の定義を尋ね、「大教室でセックスシーンが挿入されているビデオを流したのか」という質問をした。渡辺教授は「そうだ」と認め、「今出川で一番大きい教室で500~1000人くらい入ることができる。表現の自由を取り上げる中でビデ倫の広報ビデオを見せたもので、セクハラだとは思わない」と答えた。弘中弁護士は「学生たちは見ないわけにはいかなかったのではないか。不愉快な思いをさせれば、セクハラになると思わなかったか」と追及した。
渡辺教授は「新潮に書かれて、いろんな人に誤解されて大変だった」と証言しながら、文春記事につては「公的な重要性が優先するので何の問題もない」と言い放つのだった。弘中弁護士は新潮と文春記事のコントラストを浮き彫りにしながら、渡辺教授のダブルスタンダードを問題にした。
渡辺教授はネットの「渡辺ゼミ掲示版!!!」や大学宛ての文書などで、AV上映の件を新潮に垂れ込んだ(記事を書かせた、新潮との間をつないだ)のは浅野教授だと断定してきたが、弘中弁護士の質問に「新潮の記事を書いた記者は、前から原告と親しい関係にある」と述べただけで、浅野教授が情報提供者であるとは言わなかった。渡辺教授は「心の中では思っていることがあるが、内心のことなので言わない」と曖昧に答えた。
渡辺教授が、C子さんから送られてきたと主張していているメール添付文書(マルタ島のホテルのいきさつが書かれている)について、弘中弁護士が「この文書には○○などの伏字や『中略』などがあり、オリジナルではないと思われる。オリジナルは確認したのか」と質したが、渡辺教授は「オリジナルは見ていない。略されている部分も見ていない」と答えた。弘中弁護士が続けて「この文書には、どこのホテルで行われたのかとか、何時から何時までの間だったのかとか全く書いていないが、C子さんに詳細を聞かなかったのか」と質問したが、渡辺教授は「どこのホテルかは確認しなかった。時間についても、常識的な日本語の理解力では10分くらいだと思う」「浅野教授についてのセクハラについては他のことでウワサを聞いていたので『またか』と思った。この文書についてC子さんに改めて問い合わせはしなかった。内容には、疑問点は全くなかった。」と答えた。
弘中弁護士が「この文書を読むと、浅野教授はホテルから帰って行ったとなっているが、浅野教授はどこに帰ったと言うのか」と聞くと「ホテルをチェックアウトして飛行場に向かったと思う」と答えた。弘中弁護士が「怖くてバスルームに逃げ込んだ人が、どうやって浅野教授が荷物をまとめてホテルをチェックアウトして飛行場に向かうことを確認できるのか」と続けて質問すると「物理的には不可能だが心理的に分かる」と答えた。傍聴席からは失笑があふれ、「お笑いだよ」「馬鹿言うなよ」というヤジも聞こえた。裁判長は傍聴席の発言を制止しなかった。
弘中弁護士が「この文書を裁判所に提出することについてC子さんに了解を得たのか」と質問すると、「C子さんから了解を得ていない」と答えた。また、大学のハラスメント委員会の了解もとっていないと答えた。
質問は文春記事の件に移った。弘中弁護士が「文春に記事が載ることによって、C子さんの件が解決すると思ったのか」と質したところ、渡辺教授は「同志社における健全な研究活動に資することが多いと判断した。大学の行動が記事によって促進すると考えた」と答えた。「文春に資料を提供したか」という質問に対して「文春に一部見せた。資料を提供したかもしれない。C子さんに了解はとっていない。C子さんと直接連絡が取れていなかった。間接的にはできたが・・・。C子さんの名前が記事に出なければ、資料を提供してもかまわないと思った」と答えた。
弘中弁護士の「文春記事のコピーを同志社大学の教員に配ったか」という質問に「コピーを配ることでこの件について理解が増すと思った」と答えた。
弘中弁護士が「あなたは、C子さんの件を専攻からセクハラ委員会の鈴木委員長に持ち込んでいるが、セクシュアル・ハラスメント防止に関する委員会のガイドラインには、本人が担当委員を通して申し立てるように書いてある。なぜ専攻から出したのか」と質問し、渡辺教授は「詳しくガイドラインを見たことはなかった。ガイドラインは誰でも見られるところに立てかけられていただけだった」と答えた。
続いて、「C子さんに対し、相談員に相談するように言わず、新聞学専攻で委員会に持ち込んだのはなぜか」という質問に「私は『ここに浅野先生に来ていただいて、学科内で真偽を確かめるべきだ』と言ったが、同僚教員は賛同しなかった。女性の教員、佐伯(順子)先生が『委員会に持ち込んだ方がいい』と提案した」と答えた。渡辺教授は、「文春に持ち込んだのは、委員会に申し立てて2年が経過したのに委員会が動かなかったからだ。大学の怠慢が原因だ」と繰り返した。
続いて山縣弁護士が、ハラスメント委員会への「申し立て」経緯について渡辺教授へ重要な質問が行われた。「あなたが証拠として提出している、ハラスメント委員会の手続きでは被害者が相談員に被害を申し立てることになっているが、なぜそうしなかったのか」との問いに、「そのパンフレットは読んでいなかった」と渡辺教授は回答。さらに「専攻として委員会に持ち込むべきだという発言は佐伯先生からあったと認識している」とも述べた。これは新聞学専攻(当時、現メディア学専攻)教員への完全な責任転嫁を意味する重大な発言であろう。また「相談員」かどうかはわからないが「個人的に親しかったので鈴木委員長に直接相談した」と渡辺氏は今回も明言した。渡辺教授の行動原則は、大学の規則・規定よりも「思い込み・個人的関係」に重きがおかれていることがまたしても露呈される形となった。
また、小原弁護士は、渡辺教授からの「03年11月27日の中間発表時に、浅野教授はC子さんに対して詰問、糾弾、弾劾した」との証言の信憑性を弾劾した。C子さんの論文テーマを渡辺教授は指導教授であるが故に当然に把握しているのだが、それは浅野教授の研究分野とまさにまともに関連しているものであった。そうである以上は、もしその論文が浅野教授による先行研究へ言及していないとか文献引用していないとかいうことなら、その点に関し発表の際に批判的ニュアンスを伴って疑問視し質問をすることは、学問研究者としては全く自然な行動である。それは学問研究として当然に許容される質問にすぎないのであり、どこが糾弾や弾劾なのかと問うた(渡辺教授はこれに対し、単に、浅野教授の言い方が強硬だったとだけ反駁した)。
さらに、前回期日の中谷証人の証言でも、渡辺教授がC子さんと連絡が取れなくなって以後に、中谷氏に依頼して、同氏発C子さん宛の郵便に渡辺教授発の文書を同封させたということを、渡辺教授自身に対してもだめ押し的に確認質問をした。渡辺教授は相変わらず、同封してもらった中身の文書や用件についてははあくまでも「指導所見」であって送付する必要性も正当性もあった(本当はそれらも無い)と強弁反論はし続けたが、①少なくともその時点で自身とC子さんとが連絡のとれない状態になっていたことは認めたし、②そういう連絡途絶の人相手に、他人の手紙・封書を借りての文書送りつけというのは、やはり社会常識に反する問題行動ではないかと指摘したのに対し、渡辺教授は(これも必要性があった・正当な用件だったとの反駁をしたが)中谷氏を使って外形的にそういう行動を取ったこと自体は否定できなかった。
そして上記の際に浅野教授の評価について質問した。渡辺教授は「2年目くらいから評価が変わってきた。東京で浅野教授の仕事と行動について聞いて『ちょっと・・・』と思うことが多かった。津田教授・E子の件は、京都新聞の記者から聞いた。それから津田教授と連絡を多くとるようになった」と話した。
終盤、左陪席の森山裁判官が何点か的確な質問を行った。重要なので、以下、森山裁判官と渡辺教授のやりとりを掲載する。
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森山裁判官:
2年ほどで印象が変わったと発言されたが具体的にはどのようなことがあって印象が変わりましたか。
渡辺教授:
東京での浅野先生の仕事と社会的行動につき、私どもの常識としてはちょっと、という、その中にC子さんのセクハラの件も含まれております
森山裁判官:
そのことをほかの教員に話したことはありますか。
渡辺教授:
個人的に飲み屋さんで話すとか、きわめて日常的なところではあったかもしれませんが、公的には全くないです。
森山裁判官:
渡辺さんが文春記者に話した、浅野先生から被害を受けた人としてあげた人は誰かもう一度言ってもらっていいですか。
渡辺教授:
取材をされたという意味では同志社では中谷さん、立命館では津田正行さんとその関係、それから野原仁さん、現在岐阜大学の助教授ですが、その人たちの名前をあげました。取材の前にその人たちに要請をしました。
森山裁判官:
そうすると渡辺先生がE子さんについて直接取材を受けたことについて(関与)はないということですね。
渡辺教授:
手紙を出しましたが理由はわかりませんが返ってきました。
被告側弁護士:
E子さんですね。
渡辺教授:
ああ私はE子さんには会ったこともありませんし。
森山裁判官:
甲21を示してください。これをパソコンで作成されたのはどなたですか、この陳述書を作成したのは?
渡辺教授:
当然私だと思います。
森山裁判官:
渡辺先生が直接打ち込んだということでよろしいですか。
渡辺教授:
文章は最終的に了解しておりますので、私の文章となっておりますけど、一部は・・・。
森山裁判官:
そうすると原告代理人からC子さんからもらったワードファイルを加工して、と聞かれましたが、このメールを陳述書に付けたのは弁護士さんですか。
渡辺教授:
弁護士さんは「一太郎」を使っていて、私もC子さんもワードを使っているので。
森山裁判官:
このメールの入ったパソコンは今でも使っていますか。
渡辺教授:
今、弁護士に預けてあります。
森山裁判官:
そうではなく預ける前に日常的に使っていましたか。
渡辺教授:
だいたい2,3年で換えているので、そのときは使っていました。
森山裁判官:
そうすると今回のパソコンは保管してあったということですか。
渡辺教授:
そうです。
森山裁判官:
ほかのパソコンも保管してありますか。
渡辺教授:
過去五年くらいは保管してあります。
森山裁判官:
三井さんや中谷さんから、文春の記者に会いましたよと言う報告はありましたか。
渡辺教授:
詳しいことはありません、来ましたよという程度でした。
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その後、裁判長から「鈴木委員長、Pさん、C子さん(法廷では裁判所は実名を言ったが、浅野支援会からのお知らせでは仮名とする)については書面尋問をしたらどうか」という提案があったが、原告代理人らは「書面尋問はしたくない。直接尋問を行うべきである。もし3人とも呼び出しに応じなければ、証人採用取り消しもやむを得ない」と主張した。被告側も特に反対はしなかった。裁判所は「もう一度3人とも呼び出しをします。それが無理ならば採用を取り消しします」と言った。
次回は6月25日の午後1時30分から東京地裁の606号法廷で行われる。ただし、証人3人の出廷がない場合は期日自体が取り消される。
渡辺教授は、浅野教授の不法行為によって1000万円相当の損害を受けたと主張して「反訴」(損害賠償請求)しているが、拾井弁護士の主尋問で、どういう被害があったのか全く言明せずに、浅野教授の“ハラスメント加害”を糾弾、弾劾するばかりだった。自身が受けたという被害については、反対尋問で提起された週刊新潮AV記事で被害に遭ったと強調しただけだった。週刊新潮の事案は、渡辺教授は新潮社などを訴えて、完敗しており、浅野教授は何の関係もしていない。加えて、渡辺教授は新潮記事を書いた編集部員が「原告(浅野教授)の昔から親しい人だ」と証言したが、新潮の編集部員は上智大学新聞学科の田島泰彦ゼミの出身者で、浅野教授とは慶応義塾大学の三田祭のシンポ「少年犯罪とメディア」で講演した時に一度会っただけだ。新潮裁判の京都地裁・大阪高裁判決(確定)では、AV上映情報の提供者は「同志社大学出身の近畿在住のジャーナリスト」(浅野教授は慶大卒で千葉県在住なので全く違う)と認定されている。
この日の渡辺教授の証言で渡辺グループによる“セクハラ”“アカハラ”の捏造と悪徳メディアを使っての誹謗中傷で浅野教授を社会的に葬ろうとしてきた経緯がさらに明らかになった。
このように、渡辺教授は①専攻会議に原告も呼んで事情を聞くべきだと主張したが、同僚たちから賛同がなかった②女性の教員、(と言って数秒後)セクハラ委員会へ申し立てしようと専攻会議で提案したのは佐伯順子先生だ③ハラスメント被害に遭った学生がいたら各学部にいる相談員のところへ行くように指導するというガイドラインは知らなかった(佐伯教授ら同様というニュアンス)―などと証言し、専攻として2年間も放置されていることは大学と委員会の職務怠慢と、みんなで考えて、文春の取材を受けたなどと証言し、浅野教授を除く「同僚教員全員」の責任に転嫁した。
渡辺教授は証言の中で、C子さんの実名も一度出し、撤回しなかった。浅野教授の送信したメール、同僚の佐伯教授のメールも含めほとんどのメールや手紙などの文書を、当事者の了解なしに文春などのマスメディアと裁判所に出している。「C子さんの実名を出さないように、と文春に言った」と言うのだが、当事者の承諾なしに第三者に渡していいはずがない。
文春裁判では、渡辺教授は「新聞学専攻の関係者なら、文春記事を読めばC子さんが誰かすぐに特定できる」と断言している。今回の証言でも、C子さんがある疾患にかかっていたとも証言した。渡辺被告の代理人弁護士も浅野教授の尋問の際、C子さんの病名まで言った。
このままでは、佐伯教授が、8年8カ月後の今も、私が被申立人にされている事案の持ち込みの責任者となってしまう。浅野教授は「佐伯先生たちが、そのようなことをするはずがないと確信している」と述べている。