渡辺教授の捏造、ウソの構図が明らかに
対渡辺裁判・原告浅野教授の本人尋問行われる
浅野健一同志社大学教授が昨年9月2日、週刊文春による人権侵害記事の“キーパーソン”である渡辺武達教授を相手取り、3850万円の損害賠償を求め東京地裁民事第7部(堀内明裁判長)に起した裁判(事件名は、《平成21年(ワ)第31128号 損害賠償請求事件》=本訴と《平成23年(ワ)第574号 損害賠償請求反訴事件》=反訴)で、第2回目の証人尋問が3月26日に東京地裁606号法廷で行われた。原告の浅野健一教授の「原告本人尋問」が約3時間行われた。
本訴の原告(反訴被告)は浅野教授で、被告(本訴原告)は渡辺教授。裁判長は堀内明、右陪席は中村心(こころ)、左陪席は森山由孝(よしたか)の各裁判官。本訴原告の浅野教授側の代理人は弘中惇一郎・山縣敦彦・小原健司の各弁護士。渡辺教授側の代理人は池上哲朗・拾井美香・野崎隆史の各弁護士だ。
浅野教授は2009年9月に提訴し、東京地裁民事七部準備室で弁論手続きが電話会議で15回行われてきたが、3月5日に第一回証人尋問が行われた。
第2回の証人尋問の日である26日も、被告席前列中央に渡辺教授が陣取り、前代未聞の同志社大学同僚教授同士の“法廷対決”第二ラウンドが始まった。文春裁判で、メディア学者である渡辺教授とその弟子たちによる“メディア悪用”が明らかになったが、本裁判でも少しずつ解明されてきている。メディア学の研究対象としても興味深い現象である。
26日の裁判はまず、原告本人尋問が行われた。原告代理人の山縣敦彦弁護士が主尋問で、被告の渡辺教授による主張の多くが虚偽であることを浮かび上がらせる質問を行い、浅野教授の丁寧な回答によりその実態が更に明確になった。
渡辺教授は陳述書に、浅野教授が1993年秋の教員公募に応じた際、当時、大学院新聞学専攻教務主任の北村日出夫(きたむら・ひでお)教授(故人)が人事案件の専攻会議で採用に反対したが、自分が推してかろうじて採用が決まったと書いている。しかし浅野教授は「北村教授が私の採用に反対したというのは全くのウソだ」と述べ、「朝日放送労組の役員を経て同志社大学に転進した北村氏は共同通信の先輩である新井直之(あらい・なおゆき)東京女子大学教授(故人)と日本新聞学会の活動などを通じて親しく、新井氏は同志社の公募に応じるように勧めてくれた。被告は正式な公募の3カ月前に、『これは知られるとまずいことだが』と言いながら私に公募情報を伝え、リクルートしたが、新井氏は公募の後に話をしてくれた。北村氏は私を大学院教授として任用してくれた。当時、渡辺教授と山口功二教授(本年3月末に同志社大学を退職)はまだ大学院教授に任用されていなかった」と証言し、渡辺教授の陳述書の内容を完全に否定した。また、渡辺教授がハラスメント委員会の鈴木直人委員長(当時)との個人的関係を使って、学科決定とウソをついて、虚偽事案をハラスメント委員会に持ち込んだことについて、「ハラスメント被害を受けた場合、各学部に一人いるハラスメント相談員に訴えて相談員が申立ての内容に正当な理由があれば委員会に事案を送るのがルールであり、同僚の教員が委員会に持ち込むというのはあり得ない」と語った。
山縣弁護士の約70分の主尋問においては、ハラスメント委員会を使って浅野教授の追放を企んでいた渡辺教授が、2005年7月「週刊新潮」が自分に関する「AV上映」記事を掲載したことで、浅野教授が情報を垂れ込んだと誤信・逆上した挙句、週刊文春、毎日新聞、京都新聞といったマスメディアによる報道を通じて大学に圧力をかけ、浅野教授を学外追放し、社会的抹殺を狙った構図が明らかにされた。
反対尋問では、渡辺教授の代理人である池上弁護士が浅野教授に対して執拗な質問を重ねた。意外であったのは、この裁判の主要な争点ではない「TA問題」にのみ質問の約8割が集中したことである。渡辺教授が最も強調して主張している「C子さんへのセクハラ」に関連する質問は皆無であった。
被告側は、予定の1時間を大きく超えて約90分、枝葉末節と思われる事柄も聞いた。時に、全く違うケースを混同させ、起こった出来事の順番を逆に問うた。あるいは原告の記憶の混乱を狙ったのかもしれない。また浅野教授の感情を逆なでするような態度や物腰も見られた。池上弁護士による質問は、あまり本質・核心部分を突いたものとは見えなかった。
池上弁護士はTAの実務・制度や大学内組織についての理解が乏しいのかそれともわざとなのか、反対尋問でありながらも大学の制度については浅野教授に説明を求めているかのような質問もあった。「院生会」、「専攻会議」、「教務主任」、「学科窓口」等の意味が十分に理解できているとは思われなかった。TA問題についても、03年4月に浅野教授と中谷氏・三井氏・C子さんがおこなったやりとりと、その後のやりとりとを混同するような質問をし、浅野教授が「それは時期が違う。TA問題は状況が動いているのです」という具合に何度も切り返し、池上弁護士はそれ以上質問できなくなっていた。また、池上弁護士は、C子さんが三井氏に送ったメールの内容について、当時のC子さんの心境という本来質問相手の浅野教授が回答できない性質の事項に尋ねようとするなど、強引で押しつけ的な質問もあった。浅野教授は「それは私に聞かれても分かりません。C子さんに尋ねるべきではないでしょうか」と何度も指摘した。押しつけ的な質問はさらに続き、池上弁護士はC子さんと三井氏らとのメール交信記録を示して、「これは事実だろう」と何度も聞いてきたが、当然浅野教授はその信憑性については性質上回答しようがない事項なので「三井さんとC子さんとのやりとりついて、事実かどうか私に聞かれても答えようがない」と答えた。浅野教授は始終、冷静に対処していた。
また、池上弁護士は、元立命館大学生「E子」さん(元NHK職員の津田正夫教授のゼミ所属)に「セクハラ」発言(捏造)が行われたとされる日本料理屋について、質問前半で浅野教授から詳細に回答を聞いていたが、全く別の文脈で登場する居酒屋をその日本料理屋と勘違いしてしまったようであった。これに対しては明らかな完全な勘違いに山縣、小原両弁護士が間髪入れず立ち上がり「異議」を申し立てた。
また、裁判長が「録音して反訳を作成するので質問の途中での発言は控えるように」と証人に注意しているにもかかわらず、池上弁護士が意図的に何度も浅野教授の発言を途中で遮り、発言妨害を繰り返した。しかし、浅野教授は冷静な回答に終始した。
池上弁護士の反対尋問終了後、原告代理人の山縣弁護士と小原弁護士が再度質問を行った。
この日の質問での池上弁護士の一番の大問題(「違法行為」とも受け取れる)であったのは、C子さんが渡辺氏や三井愛子氏に出したとされるメールを本人の了解ないまま質問の材料として多用したことである。特に03年秋ごろにC子さんが体調不良の症状を具体的に書いたのだとされる三井愛子氏宛のメール本文の内容を、池上弁護士は公開の法廷で読みあげた。浅野教授は「文春裁判で、C子さんが誰か、メディア学専攻の関係者ならすぐに特定できる」と渡辺氏が証言したこと引き合いに出し、「そういうプライバシー情報をこういう公開法廷の場で読み上げていいのでしょうか」と逆に質すと、池上氏は「私の責任でやっています」と言った。
この日の被告側が、事実無根のマルタ島(被告側はシシリー島と誤認したままであった)での「セクハラ疑惑」への具体的質問を回避していた。そのようになった事情としては、3月5日の被告(渡辺氏)側証人の3人の証言内容が支離滅裂で、あまりにもマイナス要素が大きすぎたとの判断があったのかもしれない。渡辺氏は不満そうだった。
この日の傍聴席は、約7割を浅野教授の支援者が占めた。冤罪富山氷見事件の柳原浩さん、布川事件の杉山卓男さん、井出洋子監督、名古屋事件冤罪被害者の佃冶彦さん、JR東労組の石井俊郎さんや、浅野教授の慶応大学経済学部白井ゼミの先輩の安田忠郎・元武蔵工大教授とゼミ仲間2人、浅野教授のゼミ生・OBGら約20人が駆けつけた。四谷総合法律事務所の内藤隆弁護士も最後まで傍聴した。
他方で傍聴席には、渡辺教授関係者と見られる人物が何人かいた。3月5日期日の傍聴席は90パーセントを浅野教授支援者が埋め尽くしたため、渡辺教授側は危機感を募らせて緊急動員をかけたかのようで、被告である渡辺教授の関係者として、中谷聡氏、大庭絵里・神奈川大学経営学部准教授という前回被告側証人としての尋問を済ませた両名の姿も傍聴席にあった。また、『週刊文春』で浅野教授への名誉棄損記事を書き文春裁判で証人人も受けた石垣篤志記者と、同じ記事を書いた名村さえ記者(と思しき人)の姿もあった。傍聴席にいた大庭、中谷、文春契約記者の石垣・名村(?)各氏は、休憩時間と閉廷後に渡辺教授らと談笑していた。渡辺教授と文春との強い共謀関係がいまだに維持されていることがわかった。それにより、これまで「社会学者」としての科学性、客観性を強調していた大庭准教授が渡辺グループの有力メンバーになっていることが前回尋問内容に引き続いて再び確認された。そのような大庭氏は今も神奈川大学セクハラ委員会の委員である。神奈川大学は放置していいのだろうか。
傍聴席の最前列中央に座った中谷氏はにやにやしながらメモを取ろうとしていたが、結局浅野教授の証言については3点しかメモが取れなかったようである。他方で、中谷氏と同じ「渡辺グループ」であり「セクハラ被害者」を演出してきた三井愛子氏(文春記事のA子さん、現在同志社大学嘱託講師)が、傍聴席に全く姿を見せない点も注目される。なお池上弁護士は証人を選ぶ際の電話会議で、裁判官に「三井さんは申請しないのか」と聞かれ、「三井さんとは全く連絡が取れない状態だ」と回答した。過去にも、C子さんが03年11月ごろから渡辺教授からの電話、メール、郵便の受信拒否を続けている。渡辺教授が捏造した事案で、“被害者”とされる女性二人が渡辺教授と手を切っていることが、この事案の本質を示している。
3月5日の被告側3証人の支離滅裂な証言には傍聴席から苦笑や驚きの発声が起きたこともあり、裁判長は開廷直後に「前回期日傍聴席が騒がしかった。注意しても収まらない場合には退廷を命じることもある」と傍聴席に注意を促した。ただ、それは、被告側のあまりにも荒唐無稽かつ非論理的な証言を聞かされたがゆえの、傍聴者の自然な生理反応であった。26日の傍聴席は非常に静かであった。
また、同志社大学セクシュアル・ハラスメント委員会(当時の名称。現在は、「キャンパス・ハラスメント防止に関する委員会」)の鈴木直人・同志社大学教授(前ハラスメント委員長、心理学部長)が「講義」を理由に証人尋問になかなか応じないことについて、裁判長は「鈴木さんは出廷を嫌がっている可能性が高い。相当消極的だ」とし、今回、証人尋問に応じなかったC子さん、Pさん(元浅野ゼミ)、鈴木教授の3人を書面尋問する可能性を原告・被告に聞いた。
鈴木教授の証人尋問はやるべきであるという方針を強く持っている原告側は、鈴木教授の証人尋問の可能性を最後まで捨てるべきでないと要請したが、裁判所は「鈴木氏の出廷は難しいのでは」と反応した。
C子さん、Pさん、鈴木教授については、次回証人尋問の5月11日までに、原告・被告双方の書面尋問案を作成し、裁判所とすり合わせた上で書面尋問することを検討する方向にまとまった。裁判所は、場合によっては弁論準備期日を入れるかもしれない可能性も示唆した。
左陪席の森山裁判官は最後に浅野教授に対して「文春訴訟で損害賠償請求が認められたが、文春から賠償金は支払われたか」という補充質問をし、浅野教授は「既に利子付きで支払われています」と答えた。現段階で左陪席の裁判官がわざわざこの質問をするということは、渡辺裁判においても原告の賠償請求を基本的に認めるが、文春裁判で損害賠償請求が認められているので、その分(損害として重なる部分があるとして)、渡辺氏に対する請求額は減る可能性があることを示唆したのではないかと推認できる。
次回は5月11日(金)午前10時から12時まで、いよいよ渡辺氏の証人調べが行われる。被告本人の尋問は2時間しかないが、浅野教授の尋問は結果的に午後1時半から4時半過ぎ(休憩15分)まで行ったので原告代理人による取質問は得厳重に時間厳守させるべきだし、かりにそれを守れなかった場合には反対尋問時間は昼休みに食い込んでも十分確保させるか、それこそ反対尋問の次回期日への続行を認めるべきである。
裁判終了後の報告会で、弘中弁護士は「こちらは陳述書2通を含め出しているものについてしっかりとした質問が出来た。被告側は浅野さんの力量を知っていて争いの中心部分に話が及ぶと反論されることを恐れ、あえてあのように本論から外れた質問だけをしたのかもしれない。C子さんらについては書面尋問という方法があるが、弁護団で慎重に議論して方針を決める。次回渡辺氏の尋問で嘘を暴いていく」と述べた。
井出監督は「裁判のことは詳しくないが、どうでもいい質問を繰り返しYESかNOで回答を求めてくるやり方は怖いと思った」と感想を語った。
JR東労組の石井さんからは「メールは大変だと思った。白でも黒になってしまう。裁判は理不尽だと思うこともあるが一つの制度なので、これからも出来ることをしていきたい」とのコメントがあった。
支援者を前にして浅野教授は「あからさまに私を敵視し、馬鹿にする態度を繰り返した池上弁護士の品格を疑う。いよいよ次回は、悪徳メディアを使って私を大学から追放し、社会的に抹殺しようとしている渡辺氏の尋問だ。偽証を許さない傍聴体制を敷いてほしい」と語った。
この裁判における最も重要な期日である5月11日(金)は東京地裁606号法廷を浅野教授支援者で是非埋め尽くしたい。浅野教授支援者の皆様の傍聴を重ねてお願いしたい。