1.渡辺裁判第11回期日
第11回期日の弁論準備手続きは、6月10日(金)午前11時から、東京地方裁判所民事第7部で開かれた。電話会議で行われた。
本訴原告側(浅野教授側)は、2006年に行われた『評論社会科学』78号回収事件について、回収そのものが不当であり、回収は本訴被告である渡辺教授による社会学会への強い圧力のもと行われたことを主張した。また、本訴原告側は、被告側が出した石田光男教授および山口功二教授(両者との回収事件当時の紀要編集委員)の陳述書についても「少なくとも石田光男教授の陳述書(乙53)は、本訴被告が同教授らの言い分を一切聞くことなく文面を一方的に作成し、上記2名の教授らの研究室に設置されている郵便受けに投函し、署名・捺印のみを求めたものにすぎない。このような手法は、本訴被告に特有のものであり、同手法で作成された証拠の信用性については、きわめて慎重に吟味されなくてはならない。なお、山口功二教授の陳述書(乙54)についても、形式・内容が石田光男教授の陳述書(乙53)と最後の一文が異なるだけで酷似していることから、本訴被告が、上記のような方法で山口教授に対し陳述書への署名・捺印を求めたことが強く疑われる」と指摘した。石田教授は、本訴原告の依頼にしたがって、2度目の陳述書を原告側から提出した。
石田教授は浅野教授側で出した陳述書で、渡辺教授が文書を準備し、新町キャンパスにある研究室棟の渓水館1階の郵便受けに投函されていた陳述書の文章をよく読まずにそのまま署名・捺印して渡辺教授の郵便受けに入れてしまったことや、回収の理由について当時の社会学会は「本誌の目的にそぐわない」からとしていたにもかかわらず、本訴被告側が作成した陳述書(乙53)では、それとは意味の異なる「不適切な部分がある」との表現になっている点を看過し、そのまま署名・捺印してしまったことなどを述べ、さらに当時回収になったことの浅野教授への告知やその理由説明が遅れたことについては謝罪した。
また、石田教授は、口頭でも浅野教授に上記の件で謝罪した。
本訴被告側は、乙56号証(メール送受信経過報告書)を提出した。本訴被告側は、この書証は本訴被告がC子さんとやりとりしたメール記録だと主張している。しかし、このメール記録は、メールの体裁が「転送」の形になっていたり、受信した転送前の原メールがなかったり、送信・受信日時が一致して転送前の原文と転送後という関係にあるとされるのにもかかわらず件名や内容に異なる箇所があったりと、不自然な点が非常に多い。原告側はその矛盾点を突く指摘をした。本訴被告側は、裁判所に指示されて、次回期日までに答えることになった。
また、今回の乙56号証で、渡辺教授が新聞学専攻教員各位宛の文章の原案をC子に提示して書かせたことや、渡辺教授と三井氏、中谷氏との協力関係をはっきりさせるものであり、文春裁判と同じく、渡辺教授が“キーパーソン”として操っていたことが浮き彫りになった。さらに、①被告側はまだ関係するメールの一部を隠していること②渡辺教授のやり口を示す証拠がまた1つ出てきたことなどが乙56で分かった。
また、被告側は乙57号証も提出した。この書証は、「人権と報道・連絡会」の創設当初からのメンバーで、神奈川大学准教授(専門は犯罪社会学)の大庭絵里氏が作成し陳述書である。大庭氏は陳述書で、浅野教授を「セクハラ加害者」と断定し、大学教員、市民運動活動家の「倫理」を解説した上で浅野教授にはそれが欠けていると裁判所に告げている。しかし大庭氏は、本件で一度も浅野教授に接触をしておらず、浅野教授の話を聞こうという態度もない。陳述書は、渡辺教授グループから聞いたと推察される一方的な情報によって書かれている。
次回の第12回期日では、本訴原告・本訴被告双方の準備書面について、互いに反論することとなった。また、その後は人証調べに移行する。
2.渡辺裁判第12回期日
第12回の弁論準備手続期日は、8月19日(金)午前11時から東京地方裁判所民事第7部であった。今回は電話会議で行われた。 堀内明判事、岩田真吾判事補が出席、本訴原告側は弘中惇一郎、小原健司、山縣敦彦の各弁護士と原告・浅野教授が出席した。本訴被告側(渡辺教授側)では池上哲朗弁護士が電話で出席した。
堀内裁判長は「次回被告からの反論が出れば、若干の補充はあるとしても、主張としては双方大体出揃ったものと理解して良いと思われる。あとは立証である。人証の検討と陳述書の準備を始めてほしい。人証の採否は、早ければ次々回期日あたりで行いたい」と述べた。
現時点で被告側は「被告本人、中谷、末續、大庭の4名を人証請求する予定である。被告本人と中谷については、文春裁判の証人尋問調書を既に証拠として出しているので、重複しないようにする」と述べた。
被告側が人証請求する予定だと告げた大庭絵里氏は、「人権と報道・連絡会」の創設当初からのメンバーで、神奈川大学教員(犯罪社会学)。大庭氏は、浅野教授を「セクハラ加害者」と断定した上で非難する陳述書を、第11回期日で既に提出している。
また、文春裁判から継続して渡辺教授と一体となって動いている中谷聡氏(実際は、2003年から渡辺グループとして活動)が証人として出てくる可能性が高い。ここで注目すべきなのは、2003年から文春裁判まで渡辺教授と行動をともにしていた三井愛子氏が今回は証人候補者からは脱落していることである。今回の裁判で渡辺教授が“立証”しようと試みている事項・特に浅野教授の「セクハラ」とりわけC子さん関係については三井氏はキーパーソンの一人である。このことは文春裁判の当時に既に分かっていて同裁判では現に同氏は文春側で証人出廷していたくらいであった(そして三井氏のその証言にもかかわらず、同氏自身を被害者だとする関係でもC子さん関係でもいずれも、浅野教授の「セクハラ」の真実性は一貫してこの裁判では否定されてきたのであった)。そんな三井氏を本裁判で証人として呼ばないということであり、ある意味不可解である。
次回の第13回期日は、10月4日(火)午前11時から電話会議で行われる。
3.同志社学生新聞が5年前の記事でお詫びと訂正記事を掲載
2011年6月28日(火)発行の同志社学生新聞(同志社学生新聞局発行、楠尾茜発行人)第66号1面の右下に「お詫び」という大きな見出しの記事が掲載された。記事の全文は次のとおり。
[ 2006年6月8日発行の同志社学生新聞第29号3面の記事「セクハラの今」の中で、「新聞・週刊誌などの大手メディアによって学内のセクハラに関する二件の事例が明るみに出た(学生新聞局調べ)」とあり、あたかも学生新聞局が学内でセクハラを二件確認したかのように読めますが、実際は「二件の事例について報道があった」に過ぎませんでした。不確定な情報をもとに、誤解を招く表現をしてしまったことをお詫びいたします。なお、二件のうち一件はあくまで「セクハラ疑惑」であり、後に週刊誌の捏造であったことが判明しました。今後、このような不適切な報道をしないように、記事のチェック体制を強化していきます。]
これは、同新聞が2006年6月8日に載せた記事「セクハラの今 本学の体制に迫る~キャンパス・ハラスメントの提唱へ~」の訂正謝罪である。 問題の記事は「本学でも昨年、新聞・週刊誌などの大手メディアによって学内のセクハラに関する二件の事例が明るみに出た(学生新聞局調べ)」と書いていた。今回の訂正記事は、5年前の記事の訂正である。
浅野教授によると、同志社学生新聞局の現在の役員から、今年に入ってから何度か連絡があったという。「先輩の書いた記事で、<お詫びと訂正>を載せる方針だ」という趣旨で、6月に学生新聞局局長の楠尾氏らが浅野研究室を訪れ、話し合ったということである。大学公認団体である新聞局の良心的なメンバーによって、今回の訂正記事に結びついた。
また、 学生新聞局のメンバーによると、「浅野教授は怖い人だから近付くな」という風評が今も流れているようだ。メンバーの一人によると「浅野先生は、怖い人で話をするな、と入学以来、先輩からきつく言われていたので、先生の講義をとっていたが、近づけなかった」「新聞局は浅野教授とかかわらないと決めている。局のメンバーは浅野ゼミには入ってはいけないと1年生のときから先輩たちからずっと言われていた」「浅野教授に近寄らないようにしろ。学問的なことでも、とにかく話を聞くのも止めておいたほうがいいなどと指導されていた」ということである。
渡辺武達教授グループ(文春裁判の最高裁確定判決では、2004年にグループ設立)の流言飛語やセクシュアル・ハラスメント防止に関する委員会と大学当局の無責任体制(浅野教授が被申立人になってから約8年になるにもかかわらず、大学のCH委員会は結論を先延ばししている)が問われている。
4.浅野ゼミOBGおよび現役学生が倫理委員会に申入書を提出
浅野教授のゼミOBGおよび現役学生が、4月22日午後3時に、同志社大学キャンパス・ハラスメント防止に関する委員会(以下、CH委)へ、浅野教授が被申立人として7年7カ月ものあいだ放置されている件について、早急に結論を出し浅野教授の名誉を回復するよう申入書を提出した。倫理審査室の志古(しこ)氏が受け取った。
浅野ゼミOBGおよび現役学生が、CH委へ申入書を提出するのは、2009年3月17日、09年3月26日、09年6月4日、2010年6月23日に続いて今回で5回目。
浅野ゼミOBGおよび現役学生は申入書で(1)浅野健一教授が、03年9月末、貴委員会の“被申立人”とされている事案について、早急に結論(2人の不当な申し立ての却下=調査の打ち切り)を出すこと (2)“申立人”とされる中谷聡氏(文春確定判決では指導教授は渡辺教授)が、あたかも浅野先生がアカデミック・ハラスメントを行ったかのように申立てている件について、絶対に認定しないようにすること、の2点を求めている。
浅野ゼミOBGおよび現役学生は、上記(1)で、浅野教授の件が2011年度に持ち越されたことで浅野教授の人権侵害が拡大したことをCH委の責任に触れつつ述べている。また、CH委が結論を先延ばしにしている状態について、2010年11月5日、浅野教授が若松芳也、小原健司両弁護士を代理人として、京都弁護士会に人権救済の申立て(被申立人は八田英二同志社大学長と石川健次郎委員長)をした事実も明記した。さらに、上記(2)の項目では、中谷氏と大学院で一緒だった元院生・学生らの証言や、中谷氏と浅野ゼミで同期または後輩の関係にあった人たちの評価を引用しつつ、浅野教授による中谷氏へのアカデミック・ハラスメントは事実無根であることを述べている。
浅野ゼミOBGおよび現役学生は、4月28日(金)を期限として回答を求めていたが、約1ヶ月遅れの5月26日にCH委の石川健次郎委員長から回答が来た。「2011年4月22日付申入書について」と題された回答には「標記の申入書には自筆による署名や捺印がありませんので、回答の必要性に疑問が残るところですが、浅野ゼミ関係者のご意見として承り、以下のとおりご返答いたします」と始まり、肝心の回答の内容については「浅野先生に対し回答させていただく方針」とあった。ちなみに、この回答書には「同志社大学キャンパス・ハラスメント防止に関する委員会委員長」という捺印があるが、これまでCH委から来た回答書(浅野教授の代理人への回答書も含め)には署名・捺印が全くない。浅野ゼミOBGおよび現役学生も、これまでの要望書で署名・捺印を求められたことがない。ここになってこのような些末な文書体裁を初めて問題だと指摘してくるのは不可解である。