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「怪文書」4人と渡辺教授を名誉毀損で近く提訴
定年制度の不備を悪用、不当解雇を主導

【以下は「人権と報道・連絡会」の世話人を務める浅野健一教授が、2月に予定している新たな提訴について支援を訴えるメッセージである。同会ニュースの15年2月15日号にも要約が掲載される。】

怪文書4人と渡辺氏を提訴

 人報連ニュースで何度か伝えていただいていますが、私は2014年3月末、20年間勤務した同志社大学から追放されました。学校法人同志社(水谷誠理事長)による「定年延長拒否」による「退職」という形での理不尽な解雇でした。

 私は14年2月以来、「従業員地位確認等請求訴訟」を京都地裁民事6部で起こして闘っていますが、この裁判とは全く別に、2月下旬、大学院社会学研究科メディア学専攻の同僚教授5人を相手取り、名誉棄損損害賠償訴訟を東京地裁へ起こします。

 2003年9月から続く“渡辺グループ”との最後の闘いで、代理人は弘中惇一郎、山縣敦彦、橋本太地各弁護士の予定です。

 被告となるのは、13年10月25日、密室で開かれた大学院社会学研究科メディア学専攻の「臨時専攻会議」の構成員である小黒純(ニュース論)、竹内長武(漫画論)、佐伯順子(遊女研究)、池田謙一(社会心理学)各教授と、4人に私の定年延長を認めないよう指示した渡辺武達教授(メディア倫理)の計5人です。同会議の議長は小黒氏で、「渡辺武達教授(当時69歳)の5回目の定年延長あり、浅野(同65歳)の1回目の定年延長はなし」という決議を強行しました。

 4人は何の資格もないのに、私の研究・教育業績を「審査」して、不当な決定を行ったのです。また、4人は、私の定年延長の可否を審議した2013年10月30日の研究科委員会(30人出席)で、「浅野教授定年延長の件 検討事項」と題したA4判2枚の審議資料を配布し、11月13日に研究科委員会では、文書もとにした無記名投票ながされ、「定年延長なし」の不当決定がなされました。
この審議資料は、作成者名、作成日時などの表記が全くない「怪文書」です。私の著書や私の学生への指導について「客観的根拠がない推測による記述が多い」「論文指導がまともに行われていない」「ゼミ学生に、学内イベントの準備など過剰な労務を課している」などと虚偽記述を並べています。

 この怪文書は、私が「大学院教授としての品位にかける表現」を雑誌記事で使っていると非難しました。「“ペンとカメラを持った米国工作員”」「労務屋」「企業メディア“用心棒”学者」「メディア企業御用学者」「デマ」という用語がダメだというのです。また、学生向けのシラバス(授業計画)での「不適切な内容、表現」として、「マスコミ用心棒」「御用学者」「御用組合」などの用語を使ったとして非難しています。

 「記者クラブ制度は必要」(小黒氏)「日本では15年戦争(日中戦争)という用語は使えない」(竹内氏)などと学生を“指導”する4人や、特定秘密保護法に賛成し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を支持する村田晃嗣学長のような学者は、「御用学者」としか呼びようがないのではないでしょうか。

 怪文書には「専攻科の各教員は常時強いストレスにさらされている」「突発性難聴や帯状疱疹などの発症」という、言いがかりとしか思えない非科学的記述もありました。

渡辺氏が4人を扇動

 私の追放を主導したのは、「原告(浅野)に敵意に近い感情を持つ」「大学に不信感も抱いた」と「週刊文春」訴訟確定判決で指摘された渡辺グループです。文春確定判決では渡辺グループは2004年に結成されたと認定されています。

 渡辺氏は05年11月に文春を使って、私の社会的抹殺を狙いました。文春側は大阪高裁で私に完全敗訴し、最高裁で確定後、賠償金550万円を支払いました。続いて私が文春に捏造情報を垂れ込んだ渡辺氏を訴えた裁判でも、東京高裁は90万円の賠償命令を出し、最高裁で確定しました。渡辺氏は05年7月に起こした、「週刊新潮」AV上映記事裁判でも完全敗訴しています。

 渡辺氏は三つの裁判で完敗したにもかかわらず、懲りずに4人と組み、学内の定年延長制度の不備を悪用して復讐を図ったのです。

 私は5人の嫌がらせで、70歳までの5年間の雇用機会と計1億円近い収入を奪われました。ジャーナリズムの諸問題を社会へ発信する拠点だった新町キャンパスの研究室も奪われました。

 私に博士論文の指導を受けていた院博士後期課程の2人と前期課程1人は指導教授を失い、学部では「憲法改定とマスメディア」を2年間の予定で共同研究していた浅野ゼミ20期生(13年度3年)は強制解散され、メンバーは他の教員のゼミに分散配置されました。卒論指導も私に相談は全くありません。私の講義「新聞学原論Ⅰ・Ⅱ」は他学部、他大学、一般市民の履修者がいましたが、14年度は休講になっています。

教授職係争中に「後任補充」を強行

 日本は三権分立の法治国家です。私は国際的に認められている労働者の権利、憲法で保障された裁判を受ける権利を行使して裁判を起こしており、今も教授としての地位は消えていません。

 5人と河﨑吉紀准教授は、それを無視して、「浅野なき」メディア学専攻・学科の体制づくりにまい進しています。

 同志社大学社会学部は14年夏、私の後任補充を含め3人のメディア学科専任教員(1人は5年任期)を公募し、14年12月4日の大学評議会で以下のように採用人事を決めています。

[ (議長=村田学長)2015年4月1日付、社会学部メディア学科で伊藤高史氏を教授として採用する人件。浅野健一先生の補充人件。
社会学部メディア学科で阿部康人氏を助教(有期)として採用する人件。任用期間は2015年4月1日から2020年3月31日です。
社会学研究科で、教授の小黒純氏を後期課程に任用する。
社会学研究科で、准教授の河崎吉紀氏を前期課程に任用する。 ]

 伊藤氏は創価大学教授(元日本新聞協会職員)で、私の福島原発報道に関する論稿について、「メディアにないものねだりをしている」とか「最初から反原発の立場で論じている」と非難し、私の記者クラブ廃止論も批判しています。

 私は著名な故・山本明教授の後任補充の公募で採用されましたが、山本氏は病気で倒れ、約4年間休職していました。学科(当時は新聞学専攻)はその間、定員1減でやっていました。私が裁判に勝ったら、定員を1オーバーします。「多い分にはいいじゃないか」と無責任なことを言う人もいますが、学生の授業料、税金で大学の予算はまかなわれており、コンプライアンス上、大問題です。私が裁判で勝つはずがないという司法無視の姿勢は、新島襄の建学理念に真っ向から反しています。

 任期付き教員に決まった阿部氏は渡辺ゼミ出身です。

 3月末に70歳定年になる渡辺氏の後任は誰か、まだ分かりません。

 准教授の河崎吉紀氏(浅野ゼミ2期生)が院前期任用になりました。小黒氏も博士後期任用です。メディア学専攻はこの2人について「業績、教育経験が足りない」(竹内教授)として、それぞれの任用を見送っていました。研究科は適切な審査をしたのでしょうか。

 私の後任公募に関しては、14年6月12日に、大学教授への転身を希望しているメディア関係者から「浅野さんのメール、同志社の一派に憤りを感じながら拝読しています。その同志社大学社会学部がメディアで教員公募を始めました。浅野先生の穴埋めかと思うと腹が立ちます」というメールをもらいました。その後も、「専任教員のポストを探しているが、浅野先生の補充公募に応じることは道義上できない」という声をたくさん聞きました。今回、何人が応募したか不明ですが、私が70歳定年で退職した場合には、多くの研究者がこだわりなく応募し、よりフェアな選考が行われたでしょう。

 私たちは同志社新聞学のリベラリズムを破壊しようとしている4人と渡辺氏の暴走を止めなければなりません。

次回の地位確認裁判は2月19日(木)

 私の地位確認裁判の第6回口頭弁論は、2月19日(木)午前10時10分から208号法廷で開かれます。春ごろには証人調べに入り、私を解雇した首謀者が法廷に呼ばれるでしょう。

  京都と東京の二つの裁判では「院教授の特権を認めて差別的で、職場の風通しを悪くする同大独自の定年延長制度」(社会学専攻・板垣竜太教授、元同志社大学教職員組合委員長)の問題点も明らかになるでしょう。

  みなさんの支援をお願いします。

 私の裁判については、浅野裁判支援会HPを読んでください。