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支援者、学生、教員ら約50人が文春全面勝訴を祝う
5月13日、寒梅館で浅野教授の祝賀会

 浅野教授の文春裁判が3月16日に最高裁で確定したのを受け、全面勝訴を祝う会が5月13日午後7時から9時15分まで、京都市上京区の同志社大学今出川校地にある寒梅館7階のフレンチレストラン「SECOND HOUSE will」で開かれた。祝賀会には山田悦子さん(冤罪甲山事件)、上野勝弁護士(元甲山弁護団)、梁次邦夫さん(冤罪浦和事件)、呉成元=お・そんうぉん=さん(仏教大学講師)、春川正明さん(読売テレビ解説委員)、村上直之さん(神戸女学院大学教授)、吾郷賢=あごうさとし=さん(演出家)をはじめ、浅野教授の裁判支援者、学部・院のゼミ学生、OBGなど45人が出席した。

 学内では、PJ科目「夜間中学」担当者の次田哲治・嘱託講師夫妻や、森類臣・嘱託講師、言文センターの准教授らが参加した。同志社大学教職員組合の役員からは、「執行委員会の日程と重なり参加できない」という連絡があった。浅野教授は元委員長。

  またパーティに出席できなかった方々からも、多くの祝電や花束、カンパが届いた。浅野教授の指導を受けた元立命館大学学生が沖縄から会場へ花を届けた。女優の三田佳子さん、JR東労組、ゼミ14期生から祝電が届いた。

 山口正紀さんの司会進行で祝賀会は約2時間、盛況のうちに行われた。

 まず、弁護団長の若松芳也弁護士が「理不尽な記事に抗してみんなで闘い、勝利を得た」と涙ながらに挨拶した後、乾杯した。

 布川事件の杉山卓男さんが「大学教授がウソを週刊誌にちくる(漏洩する)なんて信じられない。よく教授を続けられるものだと呆れる」と述べるなど、参加者が次々に挨拶した。その後、現役学生の16期生ゼミのメンバーが花束を浅野教授に贈呈。

 最後に浅野教授が次のように発言した。

 「裁判が最高裁で確定して2カ月近くになり、文春裁判は遠い昔のことのようになっていましたが、弁護団長の若松先生らみなさんの言葉を聞いているうちに、苦闘した4年2カ月のことが次々と思い出され、感慨深いものがありました。提訴以来、私の闘いを支えてくれた支援会のみなさん、文春弁護団の方々、ゼミの学生のみなさんに心よりお礼を申し上げます。この会が学内の法科大学院のある寒梅館にあるレストランで開かれたことにも大きな意味があると思います」

 また、浅野教授は最高裁で確定した09年5月15日の大阪高等裁判所の判決を高く評価した。

 「私にかけられた虚偽情報をきれいに取り除いてくれたのが大阪高裁判決だった。この確定判決は偉大で、司法(正義)がこの裁判で実現した。この判決で学内状況が一転したと感じる。私を“セクハラ加害者”と決め付け『教育者及び研究者としての生命を事実上奪う』(高裁判決)ことを企んだグループのやったことが明らかになった。グループは、“浅野セクハラ”という虚罪を、03年9月、文春記事に先駆けて同志社大学キャンパス・ハラスメント委員会(石川健次郎委員長)に申立てており、このこと自体が私に対する卑劣な人権侵害だ。同僚教授は、私へ直接抗議なり尋問することもなく、一方的に“被害者”にでっち上げた元院生が委員会に申し立てたという『事実』を創り上げておいて、それを文春に情報提供(守秘義務違反に当たる大量の学内文書コピーを含む)して書かせた。最初は京都新聞、共同通信などの新聞・通信社に書かせようとしたが失敗し、文春だけが記事にしたのだ。大学の委員会は不当にも文春裁判を理由にして審理を中断していたが、文春裁判確定で、3月末、委員会を再開すると私に伝えてきた。私は渡辺グループの申立から6年8カ月もたった今も、委員会の被申立人。私が委員会において『完全シロ』を勝ち取らなければ、グループは反省すらしないだろう。グループに対する私の闘いはもうしばらく続くので、引き続き支援をお願いしたい」

 布川事件の冤罪被告人の桜井昌司さんがブログで祝賀会のことを次のように書いている。また、志布志の川畑さん夫妻から「勝訴確定を知らなかった。おめでとうございます」というメールが浅野教授に来た。

http://blog.goo.ne.jp/syouji0124?sess=f0ba4bb65b996801624b0c2b80f75b13

『昨日、同志社大学に来たのは、浅野先生の招きだった。その企画が終わった後に、浅野先生の裁判勝利パーティが開かれた。

 浅野先生は学内の教授から嘘のセクハラの密告をされ、名誉毀損裁判をして勝った。それは知っていたが、まだ同志社大学には、その嘘のセクハラ密告をした教授がいて隠然たる力を持っていると聞いて驚いた。普通はあり得ないでしょ。

 大学だよ。人の道を教える立場の者が人を陥れるような行為をしたらば失格だ。解雇されて当然だろうに、職に留まっているとは、何たることだろう。

 昨夜のパーティでは、その某W教授を浅野先生の教え子たちが笑っていたが、笑われて当然だ。こんな教授の存在を許す同志社大学、新島精神が泣いていよう。

 浅野先生の一期生の女性二人が語るには、「先生は、私と研究室で二人きりになると、必ずドアを開けていた」とエピソードを話していたが、生徒に信頼された浅野先生の人となりが判った、素晴らしい勝利パーティだった。(桜井昌司)』 (一部略)

 祝賀会のあった日に開かれた「足利事件」シンポは、再審で無罪が確定した菅家利和さんが急病で欠席したが、支援者・西巻糸子さんと冤罪・布川事件(昨年12月、最高裁が再審開始を決定)の杉山卓男さんと桜井昌司さんがカバーしてくれ、成功した。

 朝日新聞京都府版に13日午後の浅野ゼミ主催による足利シンポの記事が載った。カラーでトップだった。

 会終了後、出席した人たちから次のようなメールが届いた。(2010年5月15日現在)

浅野ゼミ生から以下のようなメッセージが届いた。

また当日の詳しい様子につきましては、後日HPや支援会通信でお知らせいたします。