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浅野ゼミHP管理者移転のお知らせ(2014年9月/浅野健一)

 和田喜彦・同志社大学経済学部教授からの連絡によると、浅野ゼミの公式HPが以下のアドレスに移動しました。大学から私への連絡はありません。和田先生にも「移転完了した」という連絡はなく、和田先生が気になって検索した結果分かったということです。

 私の教授の地位は京都地裁民事六部で係争中でありながら、研究室の強奪に続く、「新しい管理者が大学内の現職専任教員にいなければ抹消する」というゼミHP抹消の恫喝でしたが、和田教授、大学の情報支援課、メディアサポーター関連の部署のご厚意で移転作業が終わりました。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

  これまでの浅野ゼミのURLである

http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/

 を入れると、次のような<お知らせ>画面が出てきます。

[浅野健一先生のご退職にともない、本ページにて公開されていたコンテンツは和田喜彦先生(経済学部経済学科)が引き継がれました。これまでのコンテンツは下記URLから閲覧することができます。

http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

2014年9月21日をもって、このお知らせページは閉鎖します。期日までに各自でブックマーク等を修正してください。]

【注】 同志社大学による上記「お知らせページ」のHTMLファイルとページ表示イメージは、同大学による「閉鎖」後も、浅野支援会側で保存します。

「浅野健一先生のご退職」という表現がいやらしいと思います。たった4人の教員(小黒純、竹内長武、佐伯順子、池田謙一各教授)が開いた会議で、私の追放を決め、それを法人同志社の中で誰も止めることができずに、裁判中にもかかわらず、私を教壇から追放してきた人たちの暴挙は止まりません。

しかし、ジャーナリズム研究史に残る輝かしい歴史をつくってきた浅野ゼミのHPが今後も存続することは、とてもよかったと思います。更新はしません。浅野ゼミに関する新しい情報は「浅野教授の文春裁判を支援する会」のHPで随時アップします。
http://www.support-asano.net/index.html

 9月21日を過ぎると、これまでどおり「http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/」へアクセスした人は、浅野ゼミのページがわからなくなります。松隈佳之・社会学部・社会学研究科事務長に、郵便局の転送サービスと同じように、1年間ぐらいは<お知らせ>画面を残すように依頼しましたが、8月28日、以下のような返事が来ました。

《「http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/」へのお知らせページにつきましては、URLをご案内いただくことによりホームページにアクセスすることは可能ですので、申し訳ございませんが、予定どおり9/21をもって閉鎖させていただきたく存じます。ご了解のほど、よろしくお願いいたします》

裁判に勝って、研究室や20期ゼミを解散させ、ゼミHPを移転さよと命じる暴挙を続ける冨田安信社会学研究科長らを同志社から追放したいと思います。

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浅野ゼミのHPについては、同志社大学 社会学部・社会学研究科事務室の事務長、松隈佳之さんから「先生がご在職時にご利用になられていた公開用WebサーバのコンテンツURL「www1.doshisha.ac.jp/~kasano」の今後の取扱い」というタイトルで再三連絡がありました。8月9日にもメールが来ました。私は以下のように返信しました。

 私の「退職」は法的に確定していません(注1)。あろうことか、2013年11月(理事会決定の3カ月も前)から、私の退職を前提に、研究室の強奪、全科目未定・休講、旧3年ゼミの強制解散などの手続きを進めてきた教職員は、もし私が地位確認裁判で勝訴した場合、重い責任をとってもらいます。(授業料と国庫補助を無駄遣いしているからです)

  ただ、それだけを主張した場合、学校法人、とりわけ弁護士法に違反し、弁護士倫理にも反した言動を取り続けている「弁護団」がおりますので、“正当防衛”的に、以下の対応をとります。

  20期の1年目で強制解散された浅野ゼミ(1994年~2014年)は新島襄が人民のためにつくった大学のゼミナールとして歴史に名を残すと私は自負しています。浅野ゼミの輝かしい歩みを示し、ジャーナリズム界に有益なる提言をしているコンテンツに関して、経済学研究科教授の和田喜彦先生のディレクトリにコンテンツを移行することとします。

 なお和田先生にはご迷惑をおかけしたくないので、和田先生の使用される容量が少なくなるような事態は避けてください。貴殿は私を「在職中の専任教職員」ではないと勝手に決めていますが、日本は法治国家ですので、公的な大学(私学への国庫助もあります)の教職員は日本国憲法、ILO条約を守る義務があります。
和田先生には、「該専任教員の意思でコンテンツを公開する場合、引き継いだ専任教員に公開責任が発生いたしますので、当該専任教員」があるとの貴殿の説明を伝えてあります。

 詳しくは担当部署の担当者から和田先生に説明ください。昨日、情報ネットワーク係長には、私の裁判のことも含め伝えてあります。

 この機会に貴殿をはじめ教職員のみなさんへ注意喚起します。

 私の地位確認裁判(平成26年(ワ)第310号、京都地裁第6民事部合議ロC係)の第三回口頭弁論は8月20日(水)午前10時20分から京都地裁208号法廷で開かれます。担当裁判官は堀内照美裁判長(第6民事部部総括判事・修習38期)、髙松みどり判事(50期)、渡邊 毅裕(たけひろ)判事補(66期)の3人です。

 私は今後の裁判で、「実際に生じた学生・院生への多大なる不利益・被害」「本来メディア学科としては重要不可欠なはずの、重要基幹科目の未定・休講、放置」などの現状を裁判官に訴えます。裁判については浅野支援会のHPをご覧ください。

http://www.support-asano.net/index.html

日本マス・コミュニケーション学会のMLで、社会学部が専任教員3人の公募を開始したことを知りました。私の裁判が続いているのに、私の「後任補充人事」も含まれていると社会は理解しています。私が裁判に勝って教壇に戻った場合、教員の定員オーバーの責任は誰かとるのでしょうか。冨田さんでしょうか。

http://www.doshisha.ac.jp/doshisha/recruit/social_studies.html

 日本では、三権分立、人権と民主主義が機能していないとつくづく思います。総理大臣が独裁者になって、いつでも米国と戦争ができる国への憲法解釈変更を強行しました。

  私の教授としての身分は法的になくなったわけではないのに、暴力的に強制的に研究室を奪われ、ゼミHPも新たな管理者がなければ7月末で抹消する、院生学部生の指導教授も私に全く相談もなしにすすめ、博士後期課程の2人の成績(「指導所見」)を指導教授ではない教員が私相談なく勝手に成績をつけています。

 私のもとで学問をしたかった院生・学部生に対して、メディア学専攻・学科の教員たちは露骨に、私との連絡を取らないように圧力、威嚇をしています。学生の自治への介入、学外奨学金の国籍差別もあります。あってはならない行為です。

 私には日本国憲法と、国際的なILO条約などの労働権があります。裁判が確定するまで、なぜ待たないのでしょうか。同志社大学大学院神学研究科出身の佐藤優さんは2002年2月に国策逮捕されましたが、2009年の刑の確定まで、外務省職員の地位は守られ、外務省主任分析官=起訴休職中という肩書を使っていました。失職したのは09年7月です。私は犯罪嫌疑を受けているわけでなく、みんなに認められている定年延長を暗黒裁判のような闇討ちで拒否されたため、労働権を主張して裁判を起こしているのです。

 日本外務省ぐらいのやさしさを浅野と浅野ゼミに与えていただきたいと切に思います。

以上です。

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(注1)

2014年3月13日

大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授

同志社大学教職員組合・社会学部支部組合員

同志社大学人事厚生課御中

cc学校法人同志社 理事長 水谷誠様

同志社大学学長 村田晃嗣様

同志社大学事務局長 吉田由紀雄様

同志社大学教職員組合委員長 稲岡恭二様

「退職手続」に関しての見解

 いつもお世話になっております。

 2月26日、人事厚生課から「退職手続について」という文書を学内メールで受け取りました。

 私が3月末に本学大学院教授としての地位を失うかどうかは、現時点で京都地方裁判所民事6部において係争中であり、はっきりしていません。

 昨年12月27日に起こした「従業員地位保全等仮処分命令申立」(平成25年(ヨ)第443号、京都地方裁判所第6民事部いA係)と本年2月3日に提訴した「従業員地位確認等請求訴訟」(平成26年(ワ)第310号、係は未定)の二つの裁判があります。

 もし、私の教授としての地位が現在係属中の仮処分事件や本案訴訟で認められることになれば、私は引き続き同志社大学及び同大学・院において教鞭をとり、教育研究活動を続けることになります。その場合、今回の「退職」手続については、教授としての地位が継続していたことを前提に、精算をお願いすることになります。

 なお、私は4月1日以降も同志社大学教職員組合の組合員であることをお知らせしておきます。