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関連資料
文春裁判関連年表 ダイジェスト版(敬称略)
1990.4 渡辺武達、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻(2005年に社会学部メディア学科)教授に就任。
1994.4 浅野健一、同志社大学大学院文学研究科新聞学専攻(2005年に社会学研究科メディア学専攻)文学部社会学科新聞学専攻教授に就任。
2001.04 ・三井愛子・中谷聡が博士後期課程に入学。
2001.04 ・三井が院専攻教務主任の渡辺の依頼でTAリスト作成。4月9日に秋からの浅野担当の「新聞学原論」にTAがつかない旨一方的に“通告”。
2003.04.03 ・渡辺が、浅野を誹謗中傷するメールをかなり多くの人へ出す。約300人と推察される。
2003.09.22 ・浅野、森類臣、E子、X子(E子は論述中の表記。当時立命館大学産業社会学部の津田正夫ゼミ生)の4人で会食。E子からのメール、電話での要望により、浅野がセット。
2003.11.05 ・渡辺が三井・中谷の件で新聞学専攻の名をかたり、03年9月にセクハラ委員会に申し立てをしていた件で、三井・中谷への聴取を開始。公式に浅野が被申立て人となる。
2004.01 ・三井・中谷が博士後期課程を満期退学。両氏がそろって4月から社会学部嘱託講師に。
2004.03 ・渡辺が学際科目「マスメディアの現場」(今出川校地、明徳館21)でビデ倫広報ビデオを流す。
2005.04.27 ・三井が京都弁護士会人権擁護委員会へ人権救済の申し立てを行う。⇒同委員会は同年度中に「不開始」を決定。
2005.05.14 ・セクハラ委員会が三井・中谷に経過説明書を郵送。
2005.06.15 ・週刊新潮7月14日号発売。「同志社大『創価学会シンパ』教授の教材は『AVビデオ』」記事が掲載。渡辺は、浅野が垂れ込んだと思い込む。渡辺の新潮裁判で、一・二審とも「大門宏樹デスクとの知人の同志社大OB」と認定。
2005.07.07 ・渡辺が週刊新潮を京都地裁に提訴。
2005.07.13 ・文春側準備書面によると、文春が会議で「浅野セクハラ告発記事」を書くことを決定。石垣篤志記者らによる取材が始まる。
2005.10.13 ・週刊文春HP上に、11月24日号の広告が載る。
2005.11.16 ・文春記事発売前夜に、報道機関にゲラが出回る。
2005.11.17 ・週刊文春11月24日号発売。記事掲載。
2006.01.27 ・浅野が週刊文春らを京都地裁に提訴。
2006.03.22 ・第1回口頭弁論。
2006.03末 ・評論社会科学78号“回収”事件
2007.03.16 ・渡辺が京都地裁で新潮に勝訴。330万の賠償、謝罪文掲載請求は棄却。新潮社は直ちに控訴。
2007.07.10 ・三井・中谷・渡辺各氏の証人尋問
2007.07.31 ・石垣記者と原告浅野本人の証人尋問。
2008.02.27 ・地裁が判決言い渡し。275万円の賠償命令、謝罪広告は棄却。記事の主要な点6件のうち、4件は真実性を否定するも、2件(DとE)については名誉毀損を認めなかった。「一旦記載された文章に事後において手が加えられた」として、渡辺による書証(メールなど)改竄の可能性・痕跡を認める
2008.02.28 ・新聞朝刊各紙に判決の記事掲載。毎日新聞西部本社版の見出しは、「教授のセクハラ 一部真実と認定」。また、共同通信配信の記事も、棄却された2件の部分を強調。浅野が両社に抗議。
2008.02.29 ・文春が控訴。
2008.03.06 ・浅野が控訴。
2008.03.27 ・大阪高裁において、渡辺の新潮裁判の判決言い渡し。渡辺の逆転・全面敗訴。
2008.07.03 ・大阪高裁で控訴審第一回期日。
2008.12.02 ・津田正夫教授の証人尋問が行われる。
2009.02.13 ・大阪高裁で結審。結審後に「裁判所の職権で和解を勧告したい」と松本哲泓裁判長が述べ、和解協議に入る。
2009.03.16 ・文春側が和解を拒否、予定通り判決言い渡しへ。
2009.05.15 ・高裁が判決言い渡し。
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