浅野教授の文春裁判・第十一回期日は十一月二十日午後四時半から、京都地裁二〇八号法廷(中村哲裁判長)で開かれた。原告・被告の双方から最終準備書面が提出され、この日で結審した。法廷には原告支援者が多数駆けつけ、文春側で傍聴に来ていたのは被告側証人を務めた私大講師・中谷聡氏(浅野ゼミ三期生)ただ一人だった。
今回から、内藤隆弁護士(東京弁護士会、四谷総合法律事務所)・池田良太弁護士(京都弁護士会、堀和幸法律事務所)が浅野弁護団に加わった。
原告側は六十六ページの準備書面で、週刊文春の「確信的常習累犯」性と、文春記事の虚構性を指摘した。特に損害論では、謝罪広告(誌面・新聞広告の両方)の必要性を強く主張した。
また、浅野教授は四十七ページの陳述書(第三次)を提出した。陳述書では前回、三井愛子、中谷両氏らが提出した「RA(リサーチアシスタント)費ピンハネ」虚偽記事に関する陳述書などについて反論した。
弁論では原告の最終陳述が認められ、浅野教授は「報道被害者になって見えてきたものがたくさんある。裁判は大変なことも分かった。文春は金で有能なリベラル派&ル護士を雇って、任し切りで、今日も誰も来ていない。賠償命令が出ても、必要経費としかとらえない。
文春は十一月二十二日号で《ミャンマー銃撃死 長井さんを喰い物にする通信社 APF代表》という人権侵害記事を載せている」と指摘。「記事の情報源になった同志社関係者と立命館大学教授の計五人は、自分たちが被告であると錯覚していると思われるほど、異常に積極的だった。渡辺教授裁判≠ニいう様相だった。しかし、被告は文春である。文春は浅野の同僚の渡辺教授の言い分を信用したという作戦だろう。裁判官には真実はどこにあるのかにこだわってほしい。人権を無視して売るためには何でもする悪徳週刊誌の改革につながる正義の判決をお願いしたい」と訴えた。裁判官は熱心に耳を傾けていた。
文春側の虚偽がまたもや発覚
裁判長は前回期日の際、「相手側が反論できるように一週間前に必ず出すように」と強く指示していた。にもかかわらず、文春側の書面は弁論の前日夕方に提出された。文春書面は渡辺教授らが出した伝聞・再伝聞情報を真実と勝手に決め付けて、原告側の主張には全く答えていない。
今回、文春側の証拠として既に出されている書面(乙二・四・七・十四号証)に、またもや虚偽があったということが新たに分かった。渡辺教授が作成したと思われるこれらの書面は、浅野教授を除く六人(年度によっては七人)の教員が「新聞学専攻」(「学部」「学科」などと同じ)として、浅野教授の「セクハラ」を早く調査するように、大学のセクハラ委員会や学長、学部長に要請したとされるものである。しかし、これが捏造だったのである。
浅野教授はこれらの書面に姓名が出ている同僚教員たちに、弁護団を介して、事の真偽を問う質問書を送ったところ、当時大学院教授であった竹内成明氏(〇四年三月退職、現在は名誉教授)から文書回答が来た。竹内氏は《この件に関して、専攻の専任教員が集まって話し合ったことは、何度もある。ただ渡辺氏が、この会合を「専攻会議」と表現しておられるなら、私と認識が異なる。私は、この件に関して話し合うときは、いつも専攻教員有志の集まりだと思っていた》と答えている。正式に「専攻」として決定したことはなかったということが証明された。渡辺教授が他の教員に有無を言わせないかたちで勝手に作ったものであろう。
津田教授が新潮にタレこみ
また、津田教授は〇五年七月五日に週刊新潮編集部に「浅野教授がセクハラしている」という文春記事と同内容の情報をタレこんでいることも分かった。新潮に、「同志社大『創価学会シンパ』教授の教材は『AVビデオ』」という記事、以下「AV問題」記事)の校了直前だった。
津田教授はこの記事を書いたY記者に電子メール・電話をした。Y記者直通の番号と個人的な電子メールアドレスだった。これらの「個人情報」は渡辺教授を取材した際に、Y記者が渡辺教授に伝えていたものだ。津田教授は渡辺教授からY記者の連絡先を聞いたのであろう。Y記者がそのことを問うと「私も元NHKですからそのくらいは分かる。NHKは興信所なのか」と何度も言い放った。
津田教授はY記者に、「AV問題」記事を掲載するのをやめて浅野教授の「セクハラ」を取材するように強く勧め、三井氏をY記者に紹介した。Y記者は実際に三井氏と連絡をとったが、途中で取材をやめた。
渡辺教授が津田教授に「浅野セクハラ」の件を新潮に垂れ込むように頼んだのだろう。渡辺教授は、記事にしてくれそうなメディアだったらどこでもよかったが、自分に対して批判的な記事を掲載する新潮に、自分から垂れ込むわけにはいかなかったので、津田教授を使ったのだ。
懲りない文春側の書面
今回の書面で、文春側はまたしても詭弁を繰り返した。例えば、当時ネパールからの留学生H氏のRA報酬の半分を浅野教授が「ピンハネ」したという文春記事の箇所について、現在までの書面で浅野教授側が「そういう事実はない」と完全に論破している。裁判長も七月三十一日の尋問で、石垣記者に対し「使途が分からないのに、ピンハネ≠オたとなぜ書いたのか。結局浅野教授はピンハネした≠ニ書きたかっただけではないか」と追及した。
これに対し、文春側は今回の書面で《「ピンハネ」は、かすめ取った利益をどのように使用するか、すなわちその使途についてまで含んだ表現ではなく、「本来はある人に支払われるべき利益の一部を渡さず、自分で取得すること」という行為だけを指すものである》と主張し、文春記事は正確であると述べた。このように、語句の定義を矮小化して「記事は間違えていない」という理屈付けをするのは文春代理人・喜田村洋一弁護士の得意技である。大分聖嶽訴訟でも、同様の手法を用いて文春を擁護した。
書面では他にも、浅野教授を「セクハラ加害者」と断定して犯罪者扱いをしている箇所も多数あり、許されるものでは到底ない。このような主張を四十ページにも渡って書き連ねているのである。
次回は判決
判決は来年〇八年二月二十七日(水)午後一時一〇分から、京都地裁二〇八号法廷で言い渡される。一審判決の結果にかかわらず審理は大阪高裁、最高裁まで続くことは確実だ。一審での完全勝訴(謝罪広告・高額賠償)が望まれる。
また、浅野教授は今年十二月末に『メディア凶乱──報道加害と冤罪の構造を撃つ』(社会評論社)を出版する。支援集会を兼ねた浅野教授の新刊『メディア凶乱』出版記念会が来年一月十一日(金)に都内で行われる。詳しくは社会評論社の新孝一氏(пZ三―三八一四―三八六一/ファクス〇三―三八一八―二八〇八)に問い合わせを。
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