浅野教授の文春裁判・第十回期日が、七月三十一日午後一時一五分から五時まで、京都地裁二〇八号法廷(中村哲裁判長)で開かれた。被告の文春契約記者・石垣篤志氏と原告本人・浅野教授の証人尋問が行われた。法廷には浅野教授の支援者が多数駆けつけ、傍聴席はほぼ満席になった。文春関係者のほか渡辺武達教授、津田正夫教授、三井愛子氏、中谷聡氏らが傍聴に来ていた。
前半は石垣記者の証言だった。石垣証言は、文春記事が、いかに一方的かつ杜撰な取材によって書かれたかを、執筆した本人の口から明らかにしてしまうような結果となった。
文春が記事で「被害者」として挙げたのは、「A子さん」「C子さん」「Dさん」「E子さん」「Hさん」の五人だが、実際に本人から取材したのはA子(三井愛子氏)、D(中谷聡氏)の二人だけ。つまり、文春に「タレコミ」をした当事者だけで、それ以外はすべて渡辺教授の仲間たちからの伝聞情報だったのである。
文春記事に登場する「B教授」が渡辺教授であることは、第三回期日(六月二十三日付被告準備書面)で分かっていたが、その他に記事に登場する「教員」「同志社関係者」「ある教授」も全て渡辺教授であることが明らかになった。つまり、渡辺教授に色々な「仮面」をつけさせ、さも沢山の人たちが文春の取材に応じたかのように装って記事を書いたというお粗末な実態を、石垣記者は認めざるを得なかった。石垣記者は主尋問で「(B教授と書かなかったのは)内容を重視したため」と訳の分からないことを言い、傍聴席から失笑を買った。第九回期日で証明された「渡辺教授黒幕説」が、さらに確定的になった。
文春側はこの裁判で「被害者のプライバシーを最大限尊重して本人から取材しなかった」などと書面等で主張しながら、実際にはC子さんの実家に直接電話したり手紙を出したりしていたことを認めた。石垣証言によると、彼女の実家に電話したのは、石垣記者ではなく名村さえ記者である。実際に家族への取材は本人取材以上に「プライバシー侵害」になることなど、全く考えもしなかったのだろう。石垣証言によると、名村氏のC子さんへの電話は浅野教授への取材の二日後の〇五年十一月十一日。文春記事校了の三日前だった。実家への手紙は石垣記者が書いて送った。石垣記者らはE子さんには取材を試みてもいない。津田正夫教授を妄信したということだ。
また、石垣記者は、渡辺教授が浅野教授に「敵意」を抱いていたことを十分知った上で、渡辺教授の一方的な話を記事にしたことも認めた。週刊新潮が〇五年七月に報じた「渡辺教授のAV上映」問題で、渡辺教授が「浅野教授がタレこんだ」と思いこんでいたことなどを、知っていたと証言した。ただ、「渡辺先生からは(直接)何も聞いていない」と繰り返した。
さらに、文春記事が「セクハラ委員会の認定文書」として掲載した文書の写真の日付が、三井氏らが裁判で提出した文書の日付の位置と食い違っていたことも明らかになった。この裁判で、文春側は様々な文書を「証拠」「資料」として提出しているが、そんな文書類が、いくらでも改ざんできるいい加減な代物であることの一端が暴露されたわけである。記事中で最もインパクトの強い「C子さん」の箇所に関連して、渡辺教授の陳述書に資料として添付される形で、C子さんから渡辺教授に転送されたとされるメール(渡辺陳述書の「資料5」)があるが、原告側は「このメールは捏造である」と以前から主張していた。石垣記者はこの怪しいメールを一部引用して記事を書いたわけだが、そのことについて右陪席裁判官が、「普通メーラー(電子メールを閲覧するためのソフト、マイクロソフトのOutlookのようなもの)を立ち上げると、このメールのような形にはなりませんよね。アドレスの下に本文があるはずですが…。元のものを確認することはしなかったのか」と本質を衝く質問をすると、石垣記者は「本物だと信用したんですが…」とぼかして答えた。
この他、Hさん(ネパール人留学生)の報酬の半額を浅野教授が「ピンハネした」と書いたことについて、石垣記者は「半額を本人に渡していないのは問題だ」と言うだけで、浅野教授が「ピンハネした」ことは全く証明できなかった。石垣記者が「半額の使途は知らない」と言い張ったことについて、裁判長は「使途が分からないのに、ピンハネ≠オたとなぜ書いたのか。使途についてはいくらでも調べることはできたはず。それをやらなかったということは、結局浅野教授はピンハネした≠ニ書きたかっただけではないか」という厳しい追及があった。石垣記者は、この裁判長の追及についてまともに答えられなかった。
浅野教授の証人尋問は、すでに原告浅野教授本人が、詳細な陳述書を二回提出している事情もあり、主尋問は要点を簡潔に聞く形で進められた。一方、被告代理人・喜田村洋一弁護士は、反対尋問で、渡辺教授らが提出した様々な「資料」を「ホンモノ」だと印象付けようと努めていたが、最初から否定されるのを分かった上で「資料」の内容を繰り返して説明し、形式的に確認を求めるといった、中身のないものばかりだった。裁判長は、立命館大学の津田教授(元NHKディレクター)から何か敵視されるようなこと、思い当たるようなことはあるかと聞いた。浅野教授は「NHK慰安婦問題での朝日新聞とNHKの対立で、津田教授の『NHKの調査委員会の報告はおおむね妥当』という新聞紙上のコメントを批判したことはあるが、それ以外はない。ただ、渡辺教授との関係で何かあるのかもしれない」と答えた。裁判長は「それは学問的な論議ですよね」とコメントした。「どうして津田先生がそこまでするのか理解に苦しみます」とも言った。
この日、原告側からは、新たに浅野教授の第二陳述書(本文八十二ページ)が出されたほか、山田悦子さん(甲山事件の報道資料保存をめぐって)、賀川真さん(文春の報道被害について)、Hさんの報酬問題を知る当時の大学院生ら、五人が原告の主張を証明・補強する陳述書を提出した。
裁判は、九月十八日(火)午後二時に電話会議で弁論準備について協議した上で、十一月二十日(火)午後四時半から、双方の最終弁論が行われ、結審する予定。判決は来年前半の見込み、早ければ春頃になる模様だ。引き続き、浅野教授の支援・傍聴をお願いしたい。
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