浅野支援会主催の報告集会が開かれる
(続き)
同日午後、弁護士会館で浅野支援会主催による報告集会が行われた。司会は、浅野支援会事務局長の山口正紀氏が務めた。
まず弘中弁護士によるポイント解説が行われた。弘中弁護士は「渡辺さんは文春記事を学内に配って歩いた。この事実は認めている。裁判所からの和解書など、そういう目的に使ってはいけないようなものも配って歩いている。また、紀要回収事件。ネットでの名誉棄損。このようなことが名誉棄損に当たる」「被告側によると、C子さんは大庭絵里さんに相談したらしい。普通であれば、直接会って、相手の顔色を見ながら相談にのり、突っ込むところは突っ込むのがカウンセリングの基本である。しかし、メールで数回やりとりしただけだという。とても恐ろしいカウンセラーだ」「渡辺教授は、この事件の複線として、授業で出産シーンやアダルトビデオ上映などとんでもないことをやったのは事実であるという。その一方で浅野教授に関する情報を文春に持ち込んだ。彼のセクハラ概念は実にいい加減だ」「セクハラというのは微妙な問題だから騒いだらいけない。だから相談員に持っていく。しかし渡辺教授は『(ガイドラインを)知らなかった』と言った。ルールは知らなかったけれどゲームはしたと言ったわけだ」「被告側が出したC子さんメールに添付されていたという文書には『~みたいなこと』という表現がある。5W1Hが不明だ。バスルームに隠れながら浅野教授が空港まで行ったという記述がある。実際は、C子さんはバスルームに隠れていたのではなく、浅野教授をロビーまで送っている。きわめて不確かな、中略・中略で伏字だらけの手紙を渡辺教授は信じたというわけだ」とコメントした。
また、書面尋問について反対した理由について「書面による尋問とは質問書を郵送して、それを自宅で書いてもらう形式だから、その間に被告からの圧力がある可能性があるし、あったとしてもそれを追及できない。これは非常に危険。例えばC子さんは、渡辺さんが言えば怖がって従ってしまう人らしいので、書面尋問は避けなければならない。書面尋問は、問題がある証人についてはやってはいけない。教科書的にもダメなわけだ」「次回、6月25日午後ですが、何もない可能性もかなりある。8月に最終準備書面となるだろう」と語った。
弁護団の山縣敦彦弁護士は「今回の場合は、不法行為を積極的に立証していかなければならないことが難しさかと思う。C子さんが実際に書いたかどうかを掘田教授に鑑定してもらったが、問題の「○○へ」の文書は、他の人が書いた可能性があると。そういった技術的なところも、学者の意見を踏まえて行っている。また、渡辺教授が、虚偽の情報を文春に提供した件について、①そもそも情報が虚偽だったか ②大学教授がマスメディアに提供してよいのか、の2点がポイントだ。裁判所は、虚偽かどうかにこだわっているという印象を受ける。我々としては、マスメディアへの提供を問題としている。これまでもそのように主張してきた。双方証拠も出し切っている状況なので、われわれとしては、是非鈴木委員長を尋問してみたい」とコメントした。
弁護団の小原健司弁護士は、渡辺教授からは矛盾した発言が様々な点に関し細かくも出るだろうと予想されていた中で、弁護団としてもそれを全部一々取り上げるのではなく、重要事項・優先度の高い事項に絞って反対尋問を組み立てたという補足説明コメントをした。
同じく弁護団の若松芳也弁護士は同志社大学キャンパス・ハラスメント防止に関する委員会について「委員会はいつも『裁判の結果をみてから』と言って結論を延ばしている。文春裁判終了後にもわれわれは『早く結論を出せ』といったが、渡辺裁判を口実に結論を延長している。しかし、今日の裁判で富士山でいえば8合目は越えた感じだ」とコメントした。
その後、支援者からの質疑応答となった。支援者の一人である河野義行さん(松本サリン事件冤罪被害者)は「自分の著作物ではないもののコピーをとって郵便受けに入れたというのは名誉棄損に当たるのか」という質問をし、弘中弁護士は「部数の多い雑誌でも、記事は読む人は限られる。記事を渡して歩くことは名誉棄損になる。私は、名誉棄損はドーナツ型だという説明をいつもする。虚偽の記事によって一番影響を受けるのは、被害者の周りだ。一番近いところにいる人たちは、記事を読み飛ばししないので、影響を受ける。近い人への伝達行為は悪質性もある。よって、本人が作成したりしたものでなくても名誉棄損は成立する」と答えた。
田中弘子さんは「私は自分のいた国立大学でセクハラ防止委員会の委員を務めたことがあるが、最近だんだん裁判の形式に近づいているような気がする。セクハラ委員会の冊子などは学内で何度も何度も回ってくるから、渡辺教授が『見たことはない』『ガイドラインを知らない』と言っているのは信じられない。見たことないはずがないと思う」とコメントした。宮城学院女子大学の新免貢教授は「(背後に)何か大きな力が働いていると思います。大学には自浄能力がない」とコメントした。
当日は、支援者からもコメントがあった。浅野教授の友人で、インドネシア語通訳の大石薫さん(陳述書を提出)は「浅野教授は私が日本で一番尊敬するジャーナリスト。これからも応援していきたい」と語った。
足利冤罪事件の菅家さんは「私は今日で傍聴が二度目です。浅野先生はそんな人ではないことは分かりました。心から頑張っていただきたいと思います」と話した。
報告集会の最後に浅野教授が「今日は全国各地から傍聴に来てくださりありがとうございました。私もできれば渡辺先生と仲良くしたい。しかし、今日も、東京でも浅野によるセクハラ被害者がいるとか根拠も示さずに言っている。渡辺陳述書では私のことを性犯罪者のように非難している。そういう人とは仲良くできない。今日の証言すべてが私と大学に対する名誉棄損・侮辱だと思う」とコメントし、また、CH委については「同志社大学は委員長や委員の役職、姓名は全く公開していない。2012年度の委員長、委員も誰か分からない。各学部に一人置かれている相談員は公開している。委員会は形式的には機能している。同志社大学の委員会の欠陥は、適正手続についてよく知らない人がやっている。女性は嘘をつかないという思い込みは危険だ。男子教員の政争に利用されて嘘をつく人もいる。刑事事件では虚偽親告罪(誣告罪)があるのに、ハラスメント委員会には、ウソをついても何のペナルティもない。委員会がクロ認定をすれば解雇などの不利益処分もありうるわけで、真実は何かをどうやって解明するかの厳粛な姿勢が欠かせない。調べもせずに、あいつならやっているはずだと動いた渡辺教授のようなケースはあってはならない」とコメントした。
当日、傍聴した同志社大学の学生の一人は「普段、教壇で威張っている渡辺教授とは違って、今日はすごく小さく見えた。弘中先生の尋問が鋭く、渡辺教授が困りながら小さな声で回答しているのが印象的だった」と話した。また、別の学生は裁判終了後に浅野教授へ「今回初めて浅野先生と渡辺先生の裁判を傍聴させていただき、ことの経緯を理解致した。今までは学校内の噂程度の知識しかなくどう理解していいのか混乱している状態だったが、今回の裁判で渡辺先生の生の声を聞き、そしてさらに報告会で浅野先生の弁護士のお話や浅野先生を支持されている多くの方々のお話を聞くことでことの真相が見えてきた。浅野先生を辞めさせたいという私欲のために、メディアに根拠のない虚偽情報を売り込む人間がメディア学科で教壇に立たれている事実に驚きを隠せない。正しい判決が下されることを願っている」とコメントを寄せた。
傍聴した宮城学院女子大学の新免貢教授は次のような感想を寄せた。
[きょうの裁判の傍聴も、前回と同様、私にとっては非常に刺激的でした。物事をまともに追求していく姿勢をあきらめずに持ち続けることの意味を感じました。
「まっとうである」「まともである」という、その語の本来の意味における「ジャスティス」のあり方を考えさせられました。
意図的に同僚を貶めようとするW教授の一連の振る舞いは、弁護士からの質問に対する答えを聞く限り、行き過ぎの感は否めないし、上に立つもの(authority)の欺瞞を露呈してしまっています。
個人の誹謗中傷を望まない私たちは、このことを看過できません。というのは、上に立つもの(authority)の信用失墜行為は、他の人の人生を台無しにし、社会的に有害だからです。
残念ながら、現今の大学組織はこの種の問題に十分に対応できる状態にあるとは思えません。このような機能不全に陥っている大学組織が、事の理非を見分ける市民から信頼されるはずがありません。
大学組織に身を置き、そこで禄を食んでいる者の一人として、残念に思います。自戒
の念を込めてそう思います。
制度だけでは世の中は改善されませんので、冤罪事件に対する取り組みを含めて、「市民が見ているんだぞ!」という空気を形成することが重要と思われました。
それから、夕方の実名報道を問う人報連の集会に関しても、同じことを思いました。他人の名前を勝手に使用し、事実を歪曲して、正しい記事を書かずに、事件をストーリとして創作するマスコミの振る舞いは、当事者の人生を狂わせる一種の暴力であり、人権蹂躙とプライヴァシーの侵害に相当すると考えられます。
言論人や評論家諸氏が今、こういうことを認識できていないところに、問題の根深さを感じます。マスコミ報道に対する市民の監視の目が必要です。大きな力が働くとき、その力に対して一人では抗いがたいですが、関心ある善良な市民と共に、あきらめないことが次につながることを杉山卓男さんや菅家利和さんの事例を通して実感させられています。]
大住良太さん(人権と報道・連絡会会員)は次のように傍聴の感想を綴っている。
[私は文春裁判では、浅野先生が受けているインターネット被害、渡辺裁判ではさらに渡辺教授のメールの分析を担当しました。
そして今回、渡辺教授自身の証言を聞いたわけですが、浅野弁護団の要点をついた尋問が非常に良く効いていたと思います。
渡辺氏は、「AV上映問題」で、これを上映したことこそセクハラではないかと二重基準を問われて動揺していましたし、「上映に関する情報を新潮にたれ込んだのは浅野教授」という嘘も正当化できなかったと思います。
また、C子さんが添付して渡辺教授に送ったとされるワード文書の信憑性や内容の自己矛盾についても、渡辺教授は全く説明できず、むしろ自分が見てきたようなことを証言して失笑を買っていました。
渡辺教授が大学ハラスメント委員会のガイドラインも読まず、「被害者」が委員会へ申し立てることもないまま種々の情報を学科に漏らすなど、正当な手続きを無視したにもかかわらず、自身が委員会をよくしたかのように主張したのには呆れました。
一方、渡辺教授弁護団による渡辺氏本人への尋問は、何の成果も出なかったと思います。
最近事件のことを知ったという傍聴者が、「C子さんが何者なのかよく分からない」と感想を述べていましたが、私もそう思いますし、裁判官もそう思われているのではないでしょうか。今後このままC子さんが出廷しなければ、彼女の実像が分からないまま裁判が終わるでしょう。「被害者」が姿を現さないまま、捏造された「被害者情報」が、本人の了承もなく大量に流された、それが今回の裁判の本質だと思います。]
浅野ゼミの学生はこう振り返った。
[先日の裁判は学生の私の立場からはとても興味深いものでした。浅野先生とお話ししている時に渡辺教授の奇行については常々伺っており、裁判についても少しはお聞きしていたのですが、いまいち、浅野先生と渡辺先生が法廷で争っているというのがイメージできずにいました。しかし、実際に東京地裁の806法廷に入り、原告席に浅野先生、被告席に渡辺先生がいたこと、さらに会場の緊張感がひしひしと感じられ、二人が本当に裁判で争っているのだなと初めて実感していました。
裁判の内容については私も必死になって聞いていましたが、みなさんも仰っていたようにC子さんとはどういう人なのか、渡辺先生の弁護側からの尋問からでは全くイメージが湧かず、なぜ学生のC子さんがそんなことをするのか…と納得のいかない思いでした。しかし、原告側からの尋問を見ていると、話が噛み合っていない…、矛盾しすぎている…と苦笑してしまう程でした。それを見ていると渡辺先生は物事を自分勝手な憶測と自分本位の解釈をする方なんだな、と弁護側の尋問が理解できなかったことに妙に納得してしまいました。
また今回の裁判を傍聴するまで私が渡辺先生に抱いていたイメージと法廷での渡辺先生の姿はまるで違うもので、そのことにも違和感を覚えました。私は何度か渡辺先生の講義を受けたことがありますが、その時の渡辺先生の姿はとても自信満々で、決まって自分の出演するテレビ番組を流す、という自己陶酔な授業でした。しかし、今回の尋問での渡辺先生は原告側からの反対尋問にはあやふやな返答、自信のない弱々しい声、渡辺先生の教壇に立った姿しか見たことがなかった私にはすごく滑稽に思えました。
それにしても、浅野先生の弁護団の方々がとても優秀で単純にかっこよかったです。あんなに優秀な方々が味方に付くと先生もとても心強いと思います。
浅野先生の仰っていた伝統あるメディア学(旧新聞学)に在籍する自分の学生のためにも闘いたいという気持ち、浅野ゼミの学生としてはとても嬉しく思いました。私もこの裁判がいい結果に終わることを願っています。これからも頑張って下さい。]
次回は6月25日の午後1時30分から東京地裁の606号法廷で行われる。ただし、証人3人の出廷がない場合は期日自体が取り消される。
いよいよ一審も終盤に入った。最後まで皆様の応援をよろしくお願いいたします。
(了)